かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

懐メロを聴く効用

2015-08-09 | 気ままなる日々の記録

今日は日曜日で何の予定もない。毎日ヒマなくせにやはりこんな日はうれしい。

 最近そんな時、インターネットでたとえば「湯の町エレジーをユー・チューブで聴く」と書き込んで検索すると、チャントたどり着けて、古賀雅夫さんのギターで近江敏郎さんのライブを視聴できる。全く便利な時代になったものだ。もっと驚かされることは懐かしのメロディーを聴いているとアッという間に、昔の自分に戻れるるところである。僕がこの曲に引き込まれていたのは高校時代である。

  家には縦長の木の箱に3個のつまみが出ているラジオがあって、夕食の頃そのラジオからこの曲が流れていた。母も歌謡曲が好きで、こうした曲が流れ出すと静かに!と云って子どもたちの口をつむらせいつの間にか体をゆらゆらさせて聞き惚れていたそんな世界へ79歳の自分が舞い戻りそこには、子どものままの兄や妹がいてその光景を映画を見るように見ている自分に気が付き時間が過ぎるのを忘れさせてくれます。

  続けて映画は高校時代の教室の風景に代わり顕微鏡映像を上手に黒板に書かれる先生に感動しながら必死にそれをノートしている自分が見えてきます。あの頃、誰が言い始めたかはっきりしないが、皆でお金を出し合い勇気のある友人が雑誌「夫婦生活」を買ってくる。射国謙とかいう韓国籍のドクターが人形を使っていわゆる体位と云う奴を解説していて、出資者は順番に1日だけ家へ持ち帰れる。親に見つかるといけないから知恵者が「解析Ⅲ」《解析Ⅱまでしかなかったのに)というカバーを上手につけていてくれている。そんなことまで「湯の町エレジー」は思い出させてくれる。本当に不思議だ。

  認知症が始まったかもしれないという不安はあるが、現実と思い出が混乱する症状はまだない。突然セーラー服の同級生と自転車を並べて帰宅したときの弾んだ気持ちを思い出し、そういえば、あの頃、登下校の自転車では「湯の町エレジー」を口ずさんでいたなあと思い出す。元気一杯、夢一杯だったあの高校生が今では半身不随で有料老人ホームの住人になっている現実に連れ戻される。これが無情というもので、むしろ、無常の見本かもしれないと思っています。(T)

 

 

 


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