かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

訃報のシーズン

2016-12-10 | 気ままなる日々の記録

  今年は例年になく多くの方々から訃報のはがきを戴いた。

  中でも印象に残るのが二つある。一つは親友のご主人からのもので印刷された文面の終わりに二行の添え書きがついていた。これが、ご主人の心情をとてもよく表していて読んで胸が熱くなるおもいであった。もう一つはニューヨークの30年の付き合いがある友からのものである。妹さんがなくなり地方の新聞に載せた訃報のコピーを送ってきた。これが長くて長くてまるで弔辞を読んでいるようであった。

 死亡の報告は日本と変わりないが、出生から始まって学歴のこと仕事のこと社会への貢献、趣味等々。残された遺族については、五人の従妹の名前まで連なっている。

 最期に本人の要望で葬儀は行わないが、キャンドルを好んだ本人のために、キャンドルを灯して彼女を忍んで欲しい、が結びとなっている。

 初めての経験なのでこれが当たり前なのかどうかもよく分からない。

2週間後に迫っているクリスマスや新年のあいさつ状も送っていいものかどうか、とりあえずお悔やみの手紙だけは出したが他に何をしたらよいかも分からない。

 文化・習慣の違いとはまさしくこのこと。(E)

   

         冬の夜明け


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1 コメント

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訃報の知らせ (齊藤直一)
2016-12-10 20:22:42
小生も訃報の知らせが3通きました。どれをみても身近な人ばかりで悲しい、毎年年賀を早く書くと、書いた後に訃報の知らせが来ることがあるので、今年は12月に入ってから書くことにしている。小学校の同級生で十数年あっていないし 遠く奈良県なので、同級生男子30人中26人亡くなった、貴兄今どうしていると、同級生の名簿も添えて送った処、宛先にいないと返送されてきた。それでも腑に落ちないので、電話をかけてみた。現在使われていませんと、やはり亡くなっているのかなと思う。戦争中に大きくなり、戦死するのが親孝行と思われた時代、よく今まで生きたものだ。ただただ不思議な命、大事にしなくてはと思うが、90歳歳相応にくたびれました、明日は我が身と思いながら一日 一日を楽しく愉快に暮らしたいと思っています。
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