これも高校時代の国語の時間に習った詩である。まず詩を思い出すままに書いてみます。
秋の日の ヴィオロンのため息
身に染みて ひたぶるにうら悲し
鐘の音に 胸ふたぎ 色変えて
涙ぐむ 過ぎし日の 想い出や
げに我は うらぶれて ここかしこ
定めなく 飛び散ろう 落ち葉かな《ベルレーヌ作 上田敏訳)
堀口大学さんの訳もあるようです。
ベルレーヌはユダヤ系ドイツ人で、本人がユダヤ系であることを隠そうと幾つものペンネームやファミリーネームの書き換えをやってたようで、
詩の底流にある深い悲しみは、案外その辺に大元があるのかも知れません。
しかし、この悲しみこそセンチメンタルの根源で青春につながるような気がします。オソマツ君も高校時代誰かに勧められて覚えたような気ががします。
突然この詩の一部を思い出し、忘れた部分が気になって、やっとネット検索で調べたところです。
左半身不随になって、特に最後の二行が身に沁みます。しかし、こんなことを云うとベルレーヌに叱られそうですのでどうか御内密にお願いします。(T)
やはり貴兄はすばらしい文学愛好者です。
人を感度させる力のある詩や小説などは 文学作品と 言っていいでしょうね。
私は 文学のすばらしさを感じとれない場合が多いのです
実は最近読んだ本で感動したものがありますが 文学作品でしょうか その本はメルクセローノ文学賞 ガリレオ文学賞 を2014にとっていますが、貴兄の感性にはおよびません。