かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「大人のための昭和史入門」(文春新書)を読みました。

2015-09-14 | 気ままなる日々の記録

このブログが我が国の為政者批判ばかりになり、そのことを子どもから指摘され大いに反省したところであるが、また以前のように下手な「読書感想文」のようになり訪問者にお詫びして新しい内容に切り替えることをお約束したところだが、また振り出しにもどったようで、恐縮至極であります。でもどうしてもこれが書きたくなって、止まりません。今回の内容は2本立てです。

 第一は子供が推薦してきた本の紹介。2番目が前出の本の紹介です。

 子どもが紹介してくれた本は樋口清之著「祥伝社新書「梅干しと日本刀」-日本人の知恵と独創の歴史ーです。

 兎に角この本は面白かったです。日本人は大した民族だと思えてきます。一読をお薦めします。特に数学や理科系がご専門のお方は必読の書でしょう。

  僕の為政者批判はややもすると「自虐史観と思われがちですが。

 そうでもなく、僕自身はかなり愛国的でただ一つ、どうして日本はアメリカを中心とする世界を相手に戦争をしてしまったのか、あの戦争で命を落とした大勢の若者たちの無念はどうすれば晴れるかが気になってしかたがないのです。

 最近読み終えた本が文春新書「大人のための昭和史入門」著者半藤一利ほか5名です。

 ここではこの本で指摘されている昭和15年ころの我が国の政界の盲点を紹介しておきます。こうした視点を多くの人が共有することによってこの過ちを繰り返さない気がするからです。

 結論を先に書きます。世界は第一次世界大戦によって大きく変わったのに日本はそのことにまったく気が付いていなかった。大きく変わった点は、

 ①戦争は国力、科学力経済力などの総合された国力の戦いであるように変わったのに、それに気づかず、以前の戦争のように軍隊の強弱や作戦の優劣で戦うと誤解していた。

 ②戦力の中心は空軍力となりタンク(戦車)や潜水艦の力が大きく勝敗を決めるということに気付いていなかった。戦艦大和の建造に心血を注いだが、もうそういう時代ではなく、事実沖縄戦に出撃して2000人もの尊い水兵を葬る棺桶になっただけだった。

 空からの爆弾、潜水艦からの魚雷に全く弱くアメリカが側から見と全く恐れる必要のない鴨だったのである。いやそれ以前に、燃え盛る火の海へ、木造船に兵士を乗せて出撃させたようなもので、出撃命令そのものが、すでに、狂気であった。

 同じようにコメを持たせ雨季のジャングルへ出撃を命じられ空腹で亡くなった大勢の将兵の無念さは何年たっても晴れることはないだろう。

 どうしてパンを持たせなかったのか、せめて缶詰を持たせるということに気が付かなかったのだろうか。

 我が国の司令部の劣化は想像を絶するものがあった。現場が見えていない作文上手が口先だけで保身に走っていた。これでは兵士も国民もたまったものではない。

 この点は現在は改善されたのだろうか、用心深く点検する必要がある。あの時代、国に命を奪われた若い人たちの無念を晴らすためにもこの点検は疎かにできない。左翼への点検も必要である。一つだけ例をあげると、北朝鮮による拉致疑惑が持ち上がったとき「社会主義の国がそんなことをするはずがない」と豪語した左翼政党の党首がいた。彼女はすでに亡くなったが、生きていたら前言を取消し、捜査当局への謝罪をするだろうか。我が国はこういうととにもルーズである。この左翼政党は日本教職員組合を支配下に置き、日本の教育界をダメにした。

  ③それより、エネルギーが石炭から石油に代わったということさえ理解していなかった。

  石炭では飛行機は飛べない。潜水艦は動かない。だから、石油確保力が国力だという始めの一歩さえ分かっていなかった。

チョット前女子国構成の間でKYと云って特定の生徒を仲間外れにしてイジメルことが流行ったがこれは「空気読めない子」と云う意味だそうだ。この言葉を使えば我が国こそが世界の中でKYだった。現在もその傾向がみられる。

 

 ひと時代前の戦争ばかりを想定し日露戦争の勝利に酔っていた。

 ④更に、世界平和のための理念が問われる時代に入り国際連盟設立の経緯に無頓着であったため、孤立状態だった。

 これらに関して中国の方が遥かに上手で、国際世論に訴えたり、国連常任理事国に提訴したり巧みな外交を繰り広げていた。日本と蒋介石の中国とが戦うことを一番歓迎していたのはモスクワに本部があったコミンホルムと呼ばれていた、「世界共産党連盟情報部」であった。理由は、日中戦争の隙をついて毛沢東共産党が勢力を拡大できるるし、日本がソ連と戦うことができないから結果的にソ連を守ることになるからだ。その動向は尾崎・ゾルゲ事件で見えていたのに、その後の処理を誤った。歴史に「もしも」は無いが、孫文も蒋介石も日本に留学して国の近代化を学んだ人々だったので、日本と蒋介石が結んで毛沢東と戦っていたら毛沢東の中国は世界に存在せず従って北朝鮮も存在せず、今日的な中国の脅威もなく世界史が変わっていた。その意味で日本の為政者の国際感覚のオソマツさが残念でならない。この外交センスの悪さは今も続いている。

 

 


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