文春新書
「大人のための昭和史入門」をよんで思いっきり胸をつぶされ、少し疲れると見出しの音楽をネットで聴いています。
オソマツ君は終戦が小学校3年で、戦時中の悲劇はそれほど知りませんが①出征兵士を村はずれまで送ったこと、②夜、西の空が真っ赤になっているのを見て防空壕で震えていたこと③12月8日は登校前に通学団で村中のお墓を回り戦死者の石碑の参拝をしたこと④小学校のグランドに全校生徒が整列し国防婦人会の人や町長さんや区長さんなども整列して出征兵士を送る会をしたことなどはよく覚えています。
そうやって戦地に着いた兵隊さんたちが無暗に突撃を命じられ敵の機関銃の前に逢えなく倒れて行ったことを知ったのは高校にはいったころでした。そうした、作戦は、敵の補給路を遮断して、機関銃の弾を使い尽くさせ、なくなったところで、一機に攻め込んで敵を槍で突いて勝つというさくせんだったということでした。
高校時代これを読んで自分も何時か弾を使わせるために打たれる運命に立たされると思い気が狂いそうになった。そんなこともあって、偶然見出しの歌をユーチューブで聴くことを覚え「お気に入り登録」をして、きくようになりました.前出の「文春新書」も読めば読む程我が国の政治のリーダーたちが情けなくなります。兵士のことを忘れて派閥抗争に明け暮れ、不利な情報は隠し、嘘を発表しついには、自分もウソを信じたり、もうつける薬がない人たちの手に日本は渡されてしまっていました。
野村俊夫作詞 古賀政雄作曲伊藤久雄歌,昭和23年発表の 「シベリヤ・エレジー」
このユーチューブの映像がまたいい映像です。本当にシベリヤで撮影してきたのか、陸地の彼方が水平線のように広がっていてこれこそ「野末」だと思われます。日本だとどこでも、陸地の向こうには山並みが続いていて「野末」と云う言葉はつかえません。お時間がありましたら、どうぞ、このユーチューブ見てみてください。
①赤い夕陽が野末に燃える ここはシベリヤ北の国
雁が飛ぶ飛ぶの日本の空へ 俺もなりたや、ああ あの鳥に
②月も寒そうな 白樺蔭で 誰が歌うか故郷(くに)の歌
男泣きする抑留暮らし いつのいつまでああ 続くやら
③泣いてくれるな シベリヤカラス 雲を見てさえ泣けるのに
せめて一言 故郷の妻に 便り頼むぞ ああ渡り鳥(T)
野村さんと古賀さんのコンビは、実は「湯の町・エレジー」と同じです。僕は野村さんの作詞に惚れています。満州に派遣された陸軍の将兵が敗戦によってソ連兵に拉致・抑留され、シベリヤ開発に強制労働させられた時の悲惨な様子が的確に謳われていると思えるからです。ソ連軍のこの行為は国際条約違反で、帰国船が入港した舞鶴のシベリヤ抑留資料館の記録がユネスコの世界遺産に登録されることになりソ連がそれに反対していると、現在話題になっています。我々日本人はこの歌を忘れることなく大切にしたいものです。何しろ乏しい衣類と食べ物出獄寒の中での重労働です。「男泣きする」毎日だったということがよくわかります。ついでに触れると監督はロシア兵ですが、その手先になって日本兵を殴ったり蹴ったりしたのが日本の上官だったと云います。日本の上官は無駄な突撃を何度も号令しロシア兵の手先になって部下を働かせ死へ追いやりました。之も自分を守るための本能的な行為と云う解釈もできますが、人間として屑だと云えなくもありません。心が痛む状況です。
(備考]ソ連政府が行ったシベリヤ開発とは、広大に広がる針葉樹林を切り倒し幹は切って細かく割って都市部の家庭の暖房用燃料にし株は掘り起し同じく燃料にし、大きいい石や岩は取り除き広大な畑にしようという作業であった。短い夏にすくすく育ち国民の食糧になるようなジャガイモや小麦の栽培をしようと云う国家プロジェクトであり、戦後もソ連共産党政府に反対する知識人や活動家を逮捕し此処へ送り込み強制労働させた名高い過酷な牢獄であった。レーニンからスターリンに至る政権闘争で反対派の多くのリーダーたちがこの地で露と消えた。
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