今私がお世話になっている施設の私の部屋の近くに昭和元年生まれの先輩で書道を楽しんでおられる方がおみえになり、その方と親しくなり、その人の筆による『教育勅語』のコピーを頂きました。オソマツ君 (私)は小学校3年が終戦で、それまで、始業式も終業式も白手袋を着用された校長先生の『教育勅語ご奉読』を頭 (こうべ)を下げて拝聴していましたので途中まではすらすらと読めました。確か小学3年生から修身という教科が始まり、そこではこの教育勅語の暗唱が義務づけられていたと思います。なかなかいいことが書いてあると思います。《参考までに書きます。ヤフーで検索すると、明治神宮社務所が「教育勅語」の読み方や口語訳を公開していますので学習に便利です。戦争に負けるということは悲しいことで、全国の学校を支えていた大黒柱であった教育勅語をあっという間に引き抜いて燃やしてしまいました。論語も燃やしました。変わって教育基本法という柱が学校に打ち込まれましたが、大黒柱とは程遠く今日の無残な学校を生み出しました。(週刊東洋経済社刊『学校が危ない』参照)教育基本法では「人格の完成」を強調していますが、人格の完成とはどういうことか答えられる人は多くないと思われます。イジメや学力低下が国民的関心事になっている今日、改めて教育勅語を皆で読み直してみましょう!!。《こう書くと一部の人から保守反動の軍国主義者というレッテルをはられますが・・・・・」。
上の教育勅語の毛筆筆者をSさんとお呼びするとSさんは驚くべき集中力の持ち主だ。作品の写真を見せて頂いた。百四歳になられた方へのお祝いに贈られた作品は、何と104という文字をを104個書く事によって、寿百四歳という文字を浮き上がらせたものでした。その上、寿は、朱色でした。この作品は左の方に「贈○○さま104才誕生日と楷書で書かれ額に納められていました。この作品の構想から完成までに想像を絶する緻密な計画がなされそれをやり遂げられた実行力にも頭が下がります。贈られた家でも「家宝」として大切にされたことでしょう。
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