かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

9月26日は、56年前、伊勢湾台風の来た日で忘れることはできません。

2015-09-27 | 気ままなる日々の記録

遠い昔ですが僕が初めて就職した年でこの日のことはよく覚えています。この日は土曜日だったと思います。

  母と妹は御園座へ芝居を観に行っていて。兄は大阪で、家には僕と病身の父と祖母だけがいました。

  夜暗くなったころから風が強くなり南側の雨戸もガラス戸も風に押されて弓なりになり今にも折れそうでした。

  父がここを破られたら風が家の中に吹き込みその結果家が持ち上げられる状態になり、そうなると家が簡単に北側にずれて土台石から外れて傾く。

 何としても南側の雨戸もガラス戸も破られないように守らなければならない。と云うので、急いで畳を上げて、ガラス戸にもたせ掛け弓なりになるのを防いだ。座敷側と台所側で6枚ほどの畳を横にしてガラス戸にもたせかけた。

  そのうちに玄関の戸が破られそうになっていることに気付き慌てた。

 我が家は明治初年の建設で玄関の戸は木製の大きな木戸で。真ん中にくぐり戸も付いている畳4枚分の大きさのとであった。

 いそいで、雨がっぱを着て外に出て勿論飛来物に気を付けながら丸太を4本ほど担ぎ込み玄関の木戸が破られないように筋違いを入れ力学的な考察を重ねつつあちこち縄で縛り、工事を終わったころには風も少し静まった。

 当時テレビは無くラジオだけであったが停電でそれもきけず。

 父と相談してもう寝ようということにして翌朝まで熟睡した。床についたのは12時前後だったと思われます。翌朝起きて、丸太の筋違いを外して外へ出たときにはびっくりした。何時も見えていた茅葺の前の家がすっかりなくなっていたからです。庭は折れて飛んできた木の枝で溢れ朝食もそこそこにして後片づけに精を出した。

 母と妹が帰ってきたのはお昼頃だった。随分苦労して帰ったようでその話は何度も聞かされた。月曜日は出勤した。いつもは木曽川堤を走る名鉄バスを利用していたがこの日は未だ不通だったので自転車で出かけたが、道に大木が倒れていて自転車を降り、自転車を持ち上げて大木を越え、それから自分が木を超えてすすむということで、通勤に何時間もかかった。

オソマツ君が初めてガソリン・エンジン付きチエンソーというものを、見たのはこの木曽川堤の復旧工事の方だこれを使って倒れた大木を切って道路の両脇へ片づけバスやトラックが通れるようにしておられたふっきゅう工事現場であった。ものすごい威力で太い木を切り刻んで大木を道の両脇へ片づけておられ、ただただ見とれるばかりであった。昔ながらのノコギリデこの木を切っていたら何日もかかるであろうと思われた木がみるみる切られていくさまは圧巻であった。

かくして数日でバスが通るようになりそれからは復旧工事のトラックが列をなして通るようになった。

刈取りまじかの稲田。今年は、台風の影響もなく、健やかに育っています。農家の方々のご苦労に感謝しつつ、更に台風が来なかったことに関して神々に感謝したい気持ちです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿