goo blog サービス終了のお知らせ 

かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

花は盛りに 月は隈無きをのみ見るものかは。(その2)

2015-03-28 | 気ままなる日々の記録

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。

 

五条川の水源は入鹿池です。江戸時代の工事だとおもわれます。入鹿池→犬山市→大口町《約7キロ)江南市→岩倉町の水田に水を供給しお米の増産に寄与、両岸は遊歩道や桜並木として人々に親しまれてきました。

 


読書感想文の書き方

2015-03-28 | 気ままなる日々の記録

兄から聞いた話である。

あるとき偶然二人の孫が遊びに来て兄の家で揃った。一人は(Aとする)中学3年の男の子、もう一人は(Bとする)中学1年生の男の子でAとBは従妹である。

兄「二人揃ったし、お昼も近いから美味しいものでも食べに行こう」と云って近くの和食堂へ連れて行った時の話だそうだ。

B「お爺ちゃん、僕読書感想文を書かなければならないのだけど、何かいい本知らない?」

兄「何でもいいから何か面白い!と思う本を丁寧に読んで思ったことを書けばいいんじゃないかなあ」

A「それはダメだよ。書くのがすごく難しいから!」

兄「じゃあどうすればいいんだい?」

A「悲しい本を読むのがいいよ」「それでね、まず、凄く悲しくなった。と書いて、それから、僕は大きくなったら、何時も悲しんでいる人のそばにいて、話を聞いてあげたり、励ましてあげるような大人になりたいと思った。とか。僕は大きくなったら××になって、日本を、悲しいことが起こらないような社会にする様な仕事がしたい、と書けばいいんだ。いい点が取れるよ」

兄「お前すごいこと考えているなあ。誰に教えてもらった?」

A「塾の先生だよ。これをやって。最優秀に選ばれた友達もいるよ」

B「僕、悲しいお話読むの嫌いだ」

兄「それは困ったねえ・・・・・・・・。」

 ご存知の通り今文部科学省は学校教育の改善に力を入れていて、名付けてアクティブラー二ング・プログラム、つまり自分の生き方や行いに結びつく知識の習得と云う学習態度の育成とそれに支えられた学習活動を重視する、と云う教育観だ。エライ先生が大勢集まって長時間かけて出された答申案に基づくものだ。これが、塾の先生が云う読書感想文の書き方に反映されている。

 兄の話を聞いて大いに笑えたが、どこか悲しくまた寂しい。文科省が出す答申はいつもこうだ。大学入試改革もまた然り。

 理想の学校教育は、教科担任の先生が自分が教えている教科にどれだけ愛着を持っていて、その愛着がどれだけ生徒に伝わるかの問題に行き着く。これは、大学教育も同じで。教科担任の人間的な感化力のような問題だ。教員養成にもっとお金をかけ教員の待遇を改善して感化力のある人材を学校に迎えなければすぐに、塾の先生が云うような虎の巻が出来てしまって、何の改革にもならない。子どもの教育にお金を掛けない国や家庭に将来はない。先進国の教育予算の対GNP比を調べて見ればすぐわかることである。

この文書を投稿したのが一昨日、「国立大学の教育学部を教員養成学部に改編の方針』と云う文科省の方針を新聞で見たのが昨日でした。このタイミング良さに驚きつつこの一文を追記しています。この方針を支持します。横書きの文章を縦書きにしだけの教育学を勉強する人は大学院で比較文化論を勉強するほんの数人で十分です。この方針変更を暖かく見守りたいと思います。教育実習も充実させるべきです。指導力のある先生の体から出ているオーラのようなものの実態を分析的に学び、体得するような実習であるべきです。