かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

小さな荒廃二つ。

2012-11-23 | 気ままなる日々の記録

 ここ数日厭な仕事をした。

 私が子どものころ、毎年晩秋に祖父と薪を取りに行っていたわが家の雑木林が、最近ゴミの不法投棄場になっているという知らせがあった。

 祖父との「薪取り」の思い出は私の大切な宝だ。陽だまりを探して、葉を落とした木立の根元に茣蓙を広げ、魔法瓶から暖かいお茶をそそぎ、よく熟した柿を食べながらの休憩はとくに楽しかった。祖父はそこでよく「講談話」をしてくれた。

 そこがゴミの捨て場になっている? 信じられない。60有余年、そんなところへゴミを捨てる人は近隣には一人もいなかった。だから信じられない気持ちで見に行った。

 期待は裏切られ、そこにあったものは散乱するゴミの山だった。口を開けたレジ袋、濡れて破れた段ボールの箱、縛ってあったらしい紐が切れたものなどから、あらゆるゴミが散らかり、落ち葉や枯れ枝と重なっていた。

 よく見るとけもの道のような通路さえできていた。何たることか。わが地域もここまで落ちたか。遠くの休耕地で夜には全く人通りのないススキの中へ投げ入れられたゴミは見たことがあるし、片づけを手伝ったこともある。しかし、ここはあの遠隔地とは違う。これは我が国の、内部からの荒廃だ、と思ってしまった。

 近所の物知り老人と相談して、雑木は切り倒し、フェンスを張り巡らせてけもの道を塞ぎ、市の「不法投棄禁止」の看板を立てることにして、ごみの片づけも含めて業者に発注した。

 ここで手違いがあって、明後日までにゴミを分別して空き地に出してくれ、と言ってきた。可燃ごみは特別に市が取りに来てくれることになったからだ、という。業者に言ってくれ! と喉まで出たが、それでは作業予定が一層遅れるだろうと思い、シブシブ腰を上げた。

 ①ビン類 ②缶類 ③小型家電製品 ④金属類 ⑤割れたガラスや陶器類 ⑥ペットボトルやビニール類 ⑦衣類 ⑧その他 に分類して空き地に出した。使った袋は家庭菜園用に購入した鶏糞の空き袋で50枚ほど持ち込んだ。
 ⑥と⑦は空き地に並べ、①~⑤と⑧は何度も往復して家に持ち帰った。

  空き瓶は水洗いし、缶はアルミとスチールを分けて金槌で潰し、埋め立てゴミと金属類は分類して、家電製品と一緒に地域の資源ごみ収集日に出した。この作業を通して、ここへゴミを捨てた家は3軒で、およその家の家族構成まで推定でき、本気で取り組めば犯人特定も可能と考えたが、それをしようとは思わなかった。粉ミルクの大きな缶が34個もあり、傷んだ小さな玩具で子どもの数と年齢が推定でき、雑誌や空き缶や酒類のビンで男たちの構成も分かる。3家族ともに子育て中の若いパパママ家族で、「ゆとり教育」の時代、つまり「自分探し」「校則の見直し」「興味と関心」が教育現場で声高に叫ばれていた時代に育った世代だ。私は、ここでため息をした。

          

          

 写真はフェンス設置の工事をしている現場。

 もう一つ悲しい思いをした話を書いておこう。フェンスを設置するのあたり、隣の地主さんにも声をかけ、賛成されるなら共同で設置した方が不法投棄防止に有効と考え、市役所に出向き、隣地の土地の地主の名前を聞いた。ところが「個人情報保護」で教えられないという。私の名前もいい、聞く趣旨も説明し「決して怪しい話ではない」と言ったがダメだという。地主名は決して秘密情報ではなく法務局へ行って申請書を書き料金を払えば調べられることは知っているが、そこまでやる気はない。
 「共同して、なんて考えないで、自分だけの対策を考えよ、ということだね」と言えば、市の職員が「すみません。すみません。」と謝るばかりだ。これでは共同も連帯も育つはずがなくて、これも小さいけれども確実な荒廃だと見えた。