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自己愛性人格障害について

2017-11-14 | Weblog
数年にわたって付き合いのあった人が、どうもいわゆる自己愛性人格障害 (NPD) らしいということにようやく気がつきました。幸い、ほぼ付き合いは切れたので、もう被害にあわないと思いますが、今から振り返れば、これまでも怪しい行動や言動を再三取っていたのに、どうして何年も気づかなかったのか、と愕然とするばかりです。

このことをきっかけに自己愛性人格障害のことを多少学びました。振り返れば、これに当てはまる人は結構周りにいたことがわかりました。100人に一人はコレらしいです。その他の人格障害を含めると、人格に問題のある人は相当な確率でいるということになります。

例えば、トランプはまず、間違いなく自己愛性人格障害であろうと言えます。どうも自己愛にも複数あって、トランプの場合は、もっともありがちで単純なタイプ。露骨にチヤホヤされることを喜ぶ、都合が悪ければ、バレるような嘘を平気でつく、他人を見下し、自分に反対する相手には常識では考えられないような攻撃をし、汚い言葉で罵倒する。批判されると感情を自制できなくなる。ちょっと調べてみたら、アメリカではすでに35人の精神科医の連名で、トランプは悪性の人格障害があるという意見書が出されているとのこと。 

米国精神医学会(APA)の「NPDの定義」によれば、次の9項目のうち5項目以上があてはまることが基準。1.自分の実績や才能を誇張する。 2.無限の成功、権力、才能などの空想にとらわれている。 3.自分は「特別」であると信じている。 4.過剰な賞賛を求める。 5.特権意識をもち、特別な取り計らいを期待する、 6.対人関係で相手を不当に利用する。 7.共感性の欠如。 8.よく他人を妬み、または他人が自分を嫉妬していると思い込む。 9.傲慢で横柄な行動や態度を示す。
トランプの場合、9項目すべてが当てはまります。

この障害のことを以前から知っていれば、多くのトラブルが避けれたかもしれません。ま、ようやく学べたので、これからこのタイプの人に悩まされることは少なくなるだろうとは思います。おかしいと思う人には近寄らないのがベストですが、最初はよくわからなかったり、職場で付き合うことが避けられなかったりする場合も多いわけで、ここで知識がちょっとあれば身を守ることができると思いますので、経験を書いておきます。

最近、気がついた人は、いわゆる過敏型が主となるタイプで、トランプとは一見、逆のタイプです。立場が強いわけではないので表に出さなかっただけで、NPDの定義には、やはりほとんどが当てはまります。時折見せる怪しい行動、嘘、無断欠勤、おどおどした態度、人との交流を避けるなども、「鬱と精神的ストレス」という言い訳を控えめに言うので、私は、ストレスが強くて気の毒だなあ、と同情していたのでした。相手はストレスを受けていて大変なのだ、という思いがあったので、無断欠勤が続いても急に家族や自分の都合で数ヶ月休んでも、無理をしてフォローしてきたのでした。
しかし、最後の年は、最終的に仕事が進まなくなり、程度のひどい遅刻や早退や無断欠勤をしないようにとやんわり注意した後も全く態度が改まらず、二度目に注意した時に、ありえないような理屈で感情的に反論をしてきて、逆にこちらを攻撃してきたので、ようやく、これはおかしい、人格に異常があるのではないかということに気がついたのでした。

その後も、何度かこれまで隠していたものが感情的な爆発を伴って現れるということがあり、異常性が露見したのです。それまでも、ちょっと傲慢なものの言い方をすることがあって、最初は若いので野心的なのだろう、消極的であるよりは良いことだ、と流していたのですが、ある時に、感情的に爆発し、周りの同僚がいかに劣っているかを並べ立てたことがありました。周りの人間の優劣は、全く話の主題と無関係だったので、あっけに取られました。それでもうちょっと注意して調べてみると、彼女はネット上では、架空の成功した自分を演じていて、SNSでは多数の人々と親しく交流していることになっており、架空のポジションで働いていくことになっていました。現実は、職場に友達らしい人は誰一人おらず、自分の能力を過大評価し、身の丈に合っていないものを望むので、資格試験は失敗し、応募したポジョションには選ばれずという状況にあります。

今から思えば、彼女の鬱もストレスも嘘ではないと思います。過大な自己評価に見合わない現実を突きつけられるので、実際、この障害の人は苦しいことの方が多いでしょう。ただ、それは自分の精神的未熟さからきたものであり、悪いことに、それが周囲を巻き込むのです。

この自己愛性人格障害は、端的に言えば、未熟な子供のまま大人になってしまい、現実と自己を客観的に見て判断して適切に行動することができないという障害です。それで、自分の能力を根拠なく過大評価し、他人を過小評価する一方で、人の気持ちになって考えるということができません。なので、普通の対等の人間関係を築くことができず、彼女の場合は、特に人より優れているというわけではないので、批判を過剰に恐れてますます交流を避けるという行動に出ます。そのうち私が何をどのように話しても、無反応になり、話に理解して共感しようとすることができないということが明らかになったので、これはもうダメだと思いました。振り返れば、典型的な症例でしたが、過敏型の要素が強かったので精神的ストレスを理由にうまく隠していたのだと思います。

若い時は誰でも自分は特別で、人よりも優れていると思っており、根拠もなく将来は大成功することを疑いません。私も昔を振り返れば、心あたりがあります。私も二十歳台の頃はこの傾向があり、当時はそのために人間関係がいびつになることもありました。(今、振り返ればよくわかります)この自己の過大評価は現実に直面して挫折を繰り返すことで、だんだん修正されて、等身大の自己を客観的に見ることができるようになり、現実の自分を受け入れてそれなりにやっていくことができるようになるものだと思います。そうした自己への過大な評価が修正されないまま社会人になってしまい、自分を客観的に見て反省する能力を発達させることができなかった人がこの障害を持つことになるようです。

この障害を深く追求しているサイトのほとんどで、この障害を持った人とはできるだけ早く縁を切って、近づかないことを勧めています。自己愛の本人も子供のまま社会人のルールの中で生活していかなければならないので、かなり辛い人生でしょうが、下手に同情しても、相手はこちらの気持ちを思いやる能力がなく、結局、こちらの善意を利用されるだけで疲れ果てるのが関の山ということらしいです。確かにその通りのことが起こりました。かわいそうな人なのですが、本人が自覚しない限りよくなる見込みはないのです。

ある人が「自己愛に情けは無用です。なぜなら、私も情けを出して利用された経験が何回もあります。」と書いているのを見て、目からウロコがおちました。また、別のサイトでは「人格障害者への同情、寛容、そのようなものは無用である。下手に関わると、その矛先が自分に向くことになるということが良くわかる。無用どころか、そういう優しさを与えたが故に被害を受けている。」とありました。

「思いやり」は人間らしさの中でもっとも尊いものだと私は思っていますが、「思いやり」というものの存在を知らない人々もいます。そういう人々をどう思いやれば良いのでしょう。下手に思いやる前に、ルールと論理で対峙する必要があったのだ、と今は反省しています。それが結局は彼らのためなのではないかと思います。自分もかつては彼らと似たような人間だったのです。自戒を込めて。
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