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扇状地の教科書的説明

2007-10-10 | 世界地理
扇状地とは何か



上図は濃尾平野の西方にそびえる養老山地の断層崖とそのふもとの扇状地の地形図である。断層崖に刻み込む小さな谷から流れ出る滝谷や小倉谷などの川が、谷の出口(扇頂)を中心に流路を変えながら砂礫を堆積して扇状地を形成している。現在の流路は堤防によって固定されているが、そのために流路ぞいに土砂が集中的に堆積して天井川になっているところがある(小倉谷の扇端部の鉄道や道路の状況に注目のこと)。扇状地上の川は涸れ川で、強い雨のときにしか流れない。水の得にくい扇央部は桑畑・果樹園・林地などに利用されている。伏流した水が湧き出して水の得やすい扇端部には、鷲巣・北小倉・南小倉などの集落が帯状に分布している。扇状地より東には集落が見られず、一面の水田になっている。これは、濃尾平野が西に向かって全般的に傾きながら沈降する傾向があり、この付近がとくに低湿なためである。
  (二宮書店:「新詳地理B」21pによる)

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山地の谷を流れた河川が平野に出て、流速が落ちると、運んできた砂礫を堆積する。河川の堆積作用は、次には別の場所に移る。また、その次も別の場所に流れて砂礫を堆積する。このくり返しで扇状地ができる。頂上部が扇頂、砂礫堆積部分が扇央、わき水の見られる最下流が扇端である。扇央には砂礫層が厚く堆積するので、河川は伏流して、扇端で湧き出る。

河川が谷から平野に出て、砂礫を運搬・堆積するためには、山中において砂礫が供給され、谷によって運び出されなくてはならない。
山地が隆起し続けると、谷の侵食作用が盛んにって砂礫が生産される。あるいは急崖から谷に砂礫が自然落下して砂礫が生産されることもある。谷の砂礫が扇状地を構成する。その砂礫がつくられる根本原因は、山地の隆起が原因の侵食作用である。

養老山地は第四紀後半の100万年間で、およそ1,000m隆起した。年平均でが1mmである。年1mmの隆起量は小さいようだが、100年で10cmの隆起量である。100年に1回の大洪水があれば、河川の運んだ砂礫が扇央に堆積して、河川は新たな低地へ流れを変えて、次の洪水で扇央をつくる。
100年に一回ならば、10万年では千回である。千回の洪水があれば、扇央に大量の砂礫が堆積する。養老山地の各扇状地は、更新世の分厚い扇状地の上に、沖積世の薄い扇状地が重なっている。千回の洪水はないが、百回の洪水はあったかもしれない。
養老山地の扇央は砂礫層が厚く、河川はことごとく伏流する。地表面を水が流れない。河川は「谷」であり、川ではない。小倉川ではなく、小倉谷である。

濃尾平野は木曽川・長良川・揖斐川の堆積作用でつくられた三角州である。濃尾平野と養老山地の境界が養老断層である。
濃尾平野は沈降傾向にある。特に養老山地側の沈降量が大きい。濃尾平野の沈降量を毎年平均1mmとすると、100万年で1000mの沈降である。沈降分は、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川の洪水が埋めた。また、養老山地の扇端を流れる津屋川なども、少ないながらも濃尾平野に砂礫を供給した。
小倉谷は輪中建設前、洪水になると扇状地をつくったが、さらに濃尾平野に流入して自然堤防をつくった。有尾・田・三ツ屋などの集落は、小倉谷の自然堤防上に立地している。
旧小倉谷は現在は津屋川と合流するようになった。濃尾平野の小倉谷旧流路が十三ケ村山川である。水は0m地帯の濃尾平野から集まる水であり、小倉谷の水ではない。なお、十三ケ村川は、津屋川と合流している。
養老山地は、濃尾平野の自然堤防と集落形成に関与したのは、輪中堤防建設以前だから、江戸時代よりは古い。


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