日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

新庄市 限界都市の例 

2008-09-15 | 世界地理
山形県新庄市に限らず、日本国内の人口10万人以下の都市は、人口の減少と高齢化が進んでいる。農村の過疎地域で集落維持が不可能になったものを、「限界集落」と呼ぶように、都市機能としての商業・金融・病院・教育などを失いつつあるものを「限界都市」と呼ぶ。世界的には、人口の減少と都市機能の減少に注目し、shrinking -cities(縮小する都市)と呼ぶが、「限界都市」の方がが分かりやすい。
限界都市に住むことの不安がある。将来は、公共交通機関として列車・バスの運行削減と料金の引き上げが、不可避である。
病院は入院患者を引き受けない診療所となっって、健康と将来について、漠然とした不安がある。医療行政の失敗は、限界都市のできる一因である。
市街地の商店街はシャッター通りになりつつあり、郊外の大型店舗ジャスコは繁盛しているが、米国ウォルマート同様、赤字店舗を即座に閉鎖する。米国でウォルマート、日本でジャスコの撤退した都市は、すでに商店街は崩壊していて、都市生活がひどく不便になる。大型店舗は地方の限界都市を、次の段階の破滅的都市に追いやる恐れがある。



新庄市南本町商店街
JR新庄駅から5分の商店街は、アーケードも駐車場も整備されたし、多くの店舗も改装をしたし、商品の価格帯も安いものから高級品までそろっている。商店街は郊外の大型店に負けないような、経営努力を続けたのである。
しかし、客が来ない。通行人もまばらである。シャッター通りになりつつある。背景として、新庄市の人口が43125人(1990年)から40227人(2007)に減少傾向のあることがあげられる。直接的原因としては、一人当たりの消費財の購入金額の減少と、郊外の大型店舗の立地とがある。
   
   2008.5


   
   2008.9

山形新幹線の終点であり、新幹線の広軌の線路が終わっている。狭軌の在来線が北に、西に、東に延びている。南の山形市には、広軌の在来線改修電車と新幹線が走る。高速道路もあり、決して交通が不便ではない。しかし、鉄道の乗客は、1日平2347人(2003年)から、1810人(2007年)に減少している。
   


病院も厚生労働省の研修制度の失敗から、地方では大規模病院も医師不足が深刻な問題である。1998年創設の新庄徳州会病院においても、常勤医は内科2、外科1のみであり、眼科・耳鼻咽喉科、泌尿器科、神経科、整形外科は週に1回だけの診察になった。小児科・産婦人科は閉鎖状態にある。看護師募集の大看板よりも、市民にとっては医師大募集の大看板が欲しいのである。
   

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新庄市では、限界都市から抜け出る方法として、企業誘致を進めている。
現在、新庄市工業団地に進出した航空電子工業山形は一流企業であるにもかかわらず、大卒初任給が18万円台である。
新庄市近辺の大卒者には、親とともに住む自宅があり、昔ながらの田畑があるので、生活費がかさまず、18万円で1か月の生活には間に合うだろう。
しかし、初任給18万円程度の人材で間に合う企業体質では、その程度の人材しか集まらないだろう。低賃金で誘致企業を成功させようとする、行政姿勢は正しいのだろうか。
誘致企業が本社指令を飛び越えて、独自の発展と拡大を続けるためには、優秀な人材が必要であろう。優秀な人材は、潜在的には多い。しかし、低賃金と豪雪で、新庄にUターンしたい学生は、二の足を踏んでいる。

環濠集落 稗田と若槻

2008-09-05 | 世界地理
奈良盆地の条里集落は、大化改新後の班田収受法実施のための計画的水田集落である。

稗田の環濠集落
土蔵も濠も立派である。一度は消えた濠をつくりなおし、水を汲み上げている。


稗田の集落内道路
奈良時代の集落を再現したので、集落は塊村、つまり密集状態で自動車のすれ違いはできない。建築基準法ではこのような住宅建設はできないので、歴史的な例外措置があったのであろう。


稗田の全景
歴史的な景観保存に努力した結果として、環濠集落が再現できたのであろう。なお稗田集落の神社には、古事記編纂者稗田阿礼が祀られている。


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若槻の環濠集落
隣の稗田のような大きな濠ではない。生活用水の排水路程度である。集落内の道路は稗田も若槻も同じように狭い。軽自動車1台が走行できる程度の道幅である。


若槻の神社
祀られているのは、遣唐使で唐に行き、客死した阿倍仲麻呂である。唐で出世して帰国の機会を失った。


環濠集落のため池と彼岸花
奈良時代のままのため池では決壊の危険があり、現代風のコンクリートのため池につくりかえられた。古代ローマではコンクリート建造物としてのコロセウム、道路、水道橋などがあるが、遣唐使はコンクリート建造技術を日本には伝えなかった。彼岸花は、堤防に穴をあけるモグラ対策である。モグラは彼岸花の根から発生する化学成分がきらいらしい。








大和郡山の金魚養殖

2008-09-05 | 世界地理
奈良県大和郡山市の古い市街地を抜けると、金魚養殖池が広がっている。養殖は江戸末期、柳沢藩が財政難で藩士に給料が払えず、金魚養殖を奨励したところから始まった。



養殖は条里のため池と水田の転用が多い。値段の安い和金(わきん)が大半である。金魚すくいとか、熱帯魚のえさになる。和金は春には、10日ごとに1000粒の卵を産むので、養殖池はいつも金魚の行列でいっぱいである。


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大和大和は国のまほろば畳なづく青垣山隠れる大和しうるはし

子どもが夏祭りですくい取った金魚3匹のために金魚鉢、水草、餌を買った。最初は子どもが世話をしても、3日で飽きて、親が金魚の世話を始めた。すぐに1匹、2匹と死んで、最後の1匹が死んでも、家族の誰も泣いたりしない。ペットショップで1匹20円で買えば、金魚鉢は元に戻るのであり、生命の尊厳などと大げさに騒ぐことはない。家族の一員の犬・ネコが死んで悲しんでも、似たような犬・ネコを買うと、前のペットのことを忘れてじゃれ合う。
生命の尊さを、生き物を飼育することで覚えよう、とペットショップの宣伝みたいなことを言う教育者や動物学者がいるが、間違いだと思う。
ペットと人間の生命は違う。ペットは生命を含めた全体が商品であり、失われてもカネを出せば買える。しかし、人間の生命はカネで買うことはできないのである。

奈良県大和郡山市駅前では、江戸時代末に金魚養殖が始まった。柳生藩の財政難で給与支払いが滞り、生活に困窮した下級藩士が、農民から稲刈りあとの水田を田植の時期まで借り、金魚を育てた。安物のワキンが主であったが、何度も産卵するので数が増え、生計の足しにはなった。
現在は一年中金魚養殖が行われている。養殖の仕事は手数がかからず、サラリーマン家庭の副業としても成り立つ。稲作をやめて養殖池に転用したり、古いため池をつぶしたりし、金魚養殖池が広げられた。高級品種の養殖も手がける養殖専門業者も増えた。輸出も盛んになった。
商工会主催の全国金魚すくい大会では、三年連続優勝の金魚すくい名人の不正がばれ、その優勝取り消し処分が有効か無効か、長期裁判で争われた。ニセ名人が敗訴した。
金魚養殖池のまわりは小学生の通学路である。歩き始めたころからの遊び場であり、細道を平気で走って行く。