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養老山地の扇状地について

2007-10-14 | 世界地理
養老山地と濃尾平野との境界が養老断層であり、その上に扇状地ができた
長さ30kmの養老山地山麓に14面、数え方によっては16面の扇状地がある。養老山地と濃尾平野の境界斜面が扇状地である。
各河川とも、扇央では流路を変えながら砂礫を厚く堆積、流れそのものは伏流水になった。ふだんは水がないので、川ではなく、谷と言われる。
扇端のわき水が多い湧水帯には扇端集落ができた。養老山地では、扇端集落の水を全部集める形で津屋川・揖斐川が流れる。
揖斐川の洪水は濃尾平野全体の洪水を起こし、非常に大きな被害をもたらす恐れがある。このため、養老山地の治山治水事業は、きわめて重要である。



養老山地の扇状地
①扇頂
扇頂は山地と平野の境界部分である。山地を流れる谷が、平地に出ると、扇頂を中心とする同心円状に砂礫を堆積する。養老山地の谷は、養老山地の隆起速度が速いために、砂礫運搬量が多い。しかし、近年、扇頂上流の谷にせき(砂防ダム)が多数つくられて、扇央への砂礫運搬量・堆積量を減らしている。
②扇央
河川が伏流、水無川となる。洪水のたびに流路を変えて砂礫を堆積する。同心円状の扇央ができる。
大雨のたびに流路が変わると、扇央でも扇端でも、洪水の被害が大きくなる。そこで、洪水でも流路の変更がないように、扇端の流路を堤防で固定する。しかし、堤防で両岸が固定されると、川床に砂礫が堆積して天井川になっる。流路が高い位置に上がり、洪水の危険性がある。
天井川の洪水を減らすため、上流域では植林や砂礫採取が続けられ、天井川の洪水量を減らしている。また、天井川の川幅・深さを小さくつくり、洪水の流量をへらして、天井川による洪水被害を少なくしている。
③扇端
わき水が豊富である。集落と畑作中心の農業が盛んである。養老山地の扇端集落は多い。名古屋・大垣・四日市などの工場への通勤者が多く、扇端集落の昼間人口は少ない。
扇央・扇端のみかん畑の手入れがなされず、荒れている。
鉄道近鉄養老線が集落内を通過しない。大垣と四日市間の軍需物資輸送のために建設された鉄道であった。

多様な扇状地整備
①扇央の河川をまっすぐにする(盤若谷型)
砂防ダム(せき)を階段状に多数並べ、水勢をおさえる。洪水の勢いが弱まるので、堤防を直線にすると、あとの維持費用が安上がりである。
②河川整備を公園整備と関連づける(羽根谷型)
山中の谷に砂防ダム(せき)を多数建設し、洪水の最大流量を減らして、河川の幅を減らす。川幅を変えたり、流路を曲げたりし、景観を向上させることができる。人為的に自然環境を復活させる。
③河川を途中で切断する(小倉谷型)
扇端の先まで砂礫を運搬する河川を、途中で無理に流れをとめる。途中で別の河川に合流させる。
④少しずつ砂防ダム(せき)を増やし、自然状態を残す(志津谷型)
中小河川で洪水被害の少ない河川では、河川改修が遅れる傾向がある。小さな砂防ダム(せき)は建設されるが、流路を変えるような大改修はない。


(数値地図名古屋)

養老山地北部
 
(5万分の1地形図津島)

養老山地の南部
 
(5万分の1地形図桑名)

羽根谷扇状地

2007-10-14 | 世界地理
羽根谷は、揖斐川の治水を目的に改修された

厳密には羽根谷は、津屋川の治水を目的に改修されたのである。が、津屋川が揖斐川と合流して揖斐川の洪水を起こして濃尾平野に大被害をもたらす恐れがあり、揖斐川の治水を目的として改修されたとみなすことができる。


羽根谷扇状地の扇頂には「さぼう遊学館」があり、デレーケが濃尾平野の治水に果たした役割を説明している。1873年にオランダから来日、木曽三川の治水事業に貢献した。1888年には羽根谷への巨石堰堤をつくった。



「さぼう遊学館」上流の砂防ダムでは、地元の人たちのバーベキュー大会が賑やかに開かれている。


羽根谷扇状地の扇央を流れる洪水の水量は、この新しい水路に収まる程度である。従来の川幅を半分にしている。


羽根谷の下流方向。津屋川に流入する。濃尾平野が見える。


もしかしたら、お手盛り公共事業かもしれない。「さぼう遊学館」も「だんだん公園」も、何を目的に建設した施設なのだろうか。
養老山地の扇状地では治水事業がほとんど完成、小規模土木業者の工事がなくなった。そのような土木業者を救済するため、羽根谷のもとの形が分からなくなるような、高密度の改修工事をしたのであろう。
「さぼう遊学館」にを訪れるのは、遠足で無理矢理連れて来られる小学生だけである。コンピューターを中心とした勉学の場なのだが、小学生は10分もしないうちに飽きてしまう。建物にはカネをかけたが、ソフトにはカネをかけなかったようで、飽きやすい展示構成になっている。リピーターが全国各地から訪れるようにはなっていない。
「だんだん公園」における羽根谷の川幅が狭い。上流山地の治山治水事業が進んで、洪水の流量が減ったことなのだろうか。本当にこんな川幅で大丈夫なのか。



盤若谷扇状地

2007-10-12 | 世界地理
養老山地から揖斐川に広がる扇状地。盤若谷は直線に改修された。

岐阜県海津市南濃町石津~安江の盤若谷。オランダ人技師デレーケのアイデアにより、盤若谷扇状地の扇央を流れる盤若谷は直線に改修された。1950年には完成した。
揖斐川沿いに古い扇端集落が並ぶ。
国道258号線と近鉄養老線が盤若谷の下を通るので、盤若谷を天井川とみなすことができる。
扇央では河道が固定されて水害の恐れが減ったので、果樹園が広がり、盤若谷の左岸には住宅や学校ができた。



盤若谷改修直後、扇央に階段状に堰(砂防ダム)のつくられた盤若谷は、養老山地谷口から揖斐川に、まっすぐに流れ込んでいる。
果樹栽培と住宅建設が始まったばかりである。扇端集落は住宅戸数が数軒だけである。近鉄養老線は、盤若谷の下を通る。



現在の盤若谷扇状地は、扇央に階段状の堰がそのまま残り、果樹園と住宅が増えた。揖斐川は写真手前の草むらと集落の間を、右から左に流れている。



盤若谷の扇央はコンクリートの砂防ダムの階段である。洪水の流速を落とし、まっすぐに揖斐川に流す。最大流量を計算しての川幅と砂防ダムだろうが、砂に埋もれた砂防ダムには効果があるのだろうか。
多少の水が流れているが、これは右岸(写真左の堤防)を走るトラックが砂塵をまきあげないように、トラックの車体に水をふきかけている。トラックがいなくても水をふきかけている。その水である。



盤若谷扇央には南濃中学校がある。その裏手から下流方向を見ると、みかん畑、扇端集落、揖斐川、濃尾平野が広がる。



近鉄養老線は、扇端で盤若谷の下を通る。盤若谷は天井川である。近鉄養老線は大垣~桑名間。四日市に、軍需物資や輸出用繊維製品を運ぶ鉄道だったようで、この鉄道の歴史だけでも大部の書物になる。





扇状地の教科書的説明

2007-10-10 | 世界地理
扇状地とは何か



上図は濃尾平野の西方にそびえる養老山地の断層崖とそのふもとの扇状地の地形図である。断層崖に刻み込む小さな谷から流れ出る滝谷や小倉谷などの川が、谷の出口(扇頂)を中心に流路を変えながら砂礫を堆積して扇状地を形成している。現在の流路は堤防によって固定されているが、そのために流路ぞいに土砂が集中的に堆積して天井川になっているところがある(小倉谷の扇端部の鉄道や道路の状況に注目のこと)。扇状地上の川は涸れ川で、強い雨のときにしか流れない。水の得にくい扇央部は桑畑・果樹園・林地などに利用されている。伏流した水が湧き出して水の得やすい扇端部には、鷲巣・北小倉・南小倉などの集落が帯状に分布している。扇状地より東には集落が見られず、一面の水田になっている。これは、濃尾平野が西に向かって全般的に傾きながら沈降する傾向があり、この付近がとくに低湿なためである。
  (二宮書店:「新詳地理B」21pによる)

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山地の谷を流れた河川が平野に出て、流速が落ちると、運んできた砂礫を堆積する。河川の堆積作用は、次には別の場所に移る。また、その次も別の場所に流れて砂礫を堆積する。このくり返しで扇状地ができる。頂上部が扇頂、砂礫堆積部分が扇央、わき水の見られる最下流が扇端である。扇央には砂礫層が厚く堆積するので、河川は伏流して、扇端で湧き出る。

河川が谷から平野に出て、砂礫を運搬・堆積するためには、山中において砂礫が供給され、谷によって運び出されなくてはならない。
山地が隆起し続けると、谷の侵食作用が盛んにって砂礫が生産される。あるいは急崖から谷に砂礫が自然落下して砂礫が生産されることもある。谷の砂礫が扇状地を構成する。その砂礫がつくられる根本原因は、山地の隆起が原因の侵食作用である。

養老山地は第四紀後半の100万年間で、およそ1,000m隆起した。年平均でが1mmである。年1mmの隆起量は小さいようだが、100年で10cmの隆起量である。100年に1回の大洪水があれば、河川の運んだ砂礫が扇央に堆積して、河川は新たな低地へ流れを変えて、次の洪水で扇央をつくる。
100年に一回ならば、10万年では千回である。千回の洪水があれば、扇央に大量の砂礫が堆積する。養老山地の各扇状地は、更新世の分厚い扇状地の上に、沖積世の薄い扇状地が重なっている。千回の洪水はないが、百回の洪水はあったかもしれない。
養老山地の扇央は砂礫層が厚く、河川はことごとく伏流する。地表面を水が流れない。河川は「谷」であり、川ではない。小倉川ではなく、小倉谷である。

濃尾平野は木曽川・長良川・揖斐川の堆積作用でつくられた三角州である。濃尾平野と養老山地の境界が養老断層である。
濃尾平野は沈降傾向にある。特に養老山地側の沈降量が大きい。濃尾平野の沈降量を毎年平均1mmとすると、100万年で1000mの沈降である。沈降分は、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川の洪水が埋めた。また、養老山地の扇端を流れる津屋川なども、少ないながらも濃尾平野に砂礫を供給した。
小倉谷は輪中建設前、洪水になると扇状地をつくったが、さらに濃尾平野に流入して自然堤防をつくった。有尾・田・三ツ屋などの集落は、小倉谷の自然堤防上に立地している。
旧小倉谷は現在は津屋川と合流するようになった。濃尾平野の小倉谷旧流路が十三ケ村山川である。水は0m地帯の濃尾平野から集まる水であり、小倉谷の水ではない。なお、十三ケ村川は、津屋川と合流している。
養老山地は、濃尾平野の自然堤防と集落形成に関与したのは、輪中堤防建設以前だから、江戸時代よりは古い。

小倉谷は濃尾平野に流れる、という考えは誤り

2007-10-09 | 世界地理
地形図では、小倉谷は堤防の中を通り、濃尾平野に流れるが 
次の地形図では、小倉谷(青色点線)は津屋川と立体交差をして、堤防を通り抜けて濃尾平野に流れるように書いている。しかし、これは地形図のミスである。小倉川は堤防を抜けない。堤防と津屋川の間の竹やぶで、小倉谷のコンクリート流路は終点になり、水が竹やぶに流れ落ち、一番の低地を流れる津屋川に流れ込む。

(この地形図では、小倉谷の点線が堤防下を点線で通り抜けるのが間違い)


小倉谷は右から流れる。自動車のある堤防下をトンネルで抜け、左側の濃尾平野に流れ出る。小倉谷は狭く浅いので、水量は少ない。

(この説明は間違い。小倉谷は堤防下をトンネルで抜けない)


濃尾平野(多芸輪中)において、小倉谷は運搬してきた砂礫を堆積、自然堤防をつくった。養老団地に至る大小の集落は、その自然堤防上にできた農業集落である。
養老団地は0m地帯に堤防が縦横につくられ、洪水の危険がなくなってできた。養老団地西を流れるのが小倉谷(十三ケ村川)、東を流れるのが五三川である。

(この説明は間違い。小倉谷が多芸輪中に自然堤防をつくったのは輪中堤防のできる前だから、江戸時代よりは古い。小倉谷の旧流路が現在の十三ケ村川)


小倉谷(十三ケ村川)が駒野新田で津屋川に合流する。手前が小倉谷、向こう側が津屋川である。津屋川の洪水が小倉谷に逆流しないように、背割り堤防と水門で、水位が調節される。
なお、橋は国道258号線が津屋川を越える部分である。

(この説明は一部間違い。小倉谷の旧流路が十三ケ村川。十三ケ村川の水は小倉谷から供給されるのではなく、0m地帯の湧水である)


数値地図名古屋から、小倉谷流域を3Dで見ると、小倉谷は津屋川を越えて、輪中堤防のできる前には、濃尾平野に流れ込んだことが分かる。


小倉谷は津屋川と合流

2007-10-09 | 世界地理
津屋川は養老山地の扇端のわき水を集め、揖斐川に流れる

左の堤防は津屋川と濃尾平野との境界。
右は小倉谷扇状地の扇端であり、堤防より低いから、津屋川左岸は洪水時には冠水し、遊水池の役割を果たす。
向こうは八幡神社裏手の小倉谷をおおう森林である。



津屋川が手前から向こう側に流れる。津屋川の上のコンクリート構造物は、小倉谷である。小倉谷は津屋川と合流せず、津屋川を越えて流れる。



小倉谷の終点が竹やぶの中にある。コンクリート壁の一部が切り込まれ、小倉谷の洪水が竹やぶに流れ出る。最終的には、竹やぶを流れる津屋川に流れ落ちる。
小倉谷の洪水が津屋川に流れ落ちる水量が多い場合には、津屋川流域は遊水池になる。多芸輪中堤防の西側全体に洪水が滞留する。
小倉谷は多芸輪中(濃尾平野)には流れて行かない。



地形図には小倉谷の水が堤防下を通り、輪中に流れるように描かれているが、この点線部分が誤り。小倉谷は竹やぶに落ちて津屋川へ流れる。輪中には流れない。

小倉谷扇端は天井川

2007-10-09 | 世界地理
小倉谷は扇端では2階天井の高さの天井川

養老町立上多度小学校よりも、小倉谷の方が高い。すべり台が堤防を利用している。小倉谷の川底には草が密生し、しばらく水が流れていないことが推測される。


小倉谷は天井川であり、住宅の屋根と同じ高さを流れる。コンクリート部分の下がトンネル(小倉谷隧道)である。天井川は小さく、流量は少ない。


小倉谷は、トンネル(小倉谷隧道)の上を左から右に向かって流れる。トンネルの建設は大正12年と記してある。80年前にトンネルがなかった時分、橋を使って小倉谷を渡っていた。


小倉谷と5万分の1地形図(津島)

2007-10-08 | 世界地理
地形図からは、小倉谷は津屋川と合流せず、濃尾平野に流れ込むようだが

小倉谷の洪水は、津屋川と合流せずに濃尾平野に流れるのか、扇端で津屋川と合流するのか、明確ではない。
地形図からは、津屋川を越えて濃尾平野に流入し、自然堤防をつくったように見える。小倉谷の地形図が正しければ、このようになる。
しかし、現地のガイドは、小倉谷の水路は竹やぶで切れ、小倉谷の洪水は竹やぶを流れて津屋川と合流する、という説明であった。地形図が間違えていて、小倉谷は濃尾平野には流入しないような表現とすべきであった。
小倉谷の洪水は、津屋川を遊水池とし、揖斐川に排水されるが、津屋川流域では、小倉谷あるいは津屋川を原因とする大きな洪水被害はなかった。



養老山地と濃尾平野の断層を埋める形で、いくつもの扇状地ができた。小倉谷は養老山地では最大の広さの扇状地である。
各扇状地の扇端は津屋川・揖斐川に達している。扇状地とは、養老山地から津屋川・揖斐川への大規模な土石流の堆積物である。濃尾平野(木曽3川)の治水のためには、養老山地から発する河川の流量コントロールが重要な課題であった。それは、扇状地の拡大をおさえるということでもある。
なお、看板の赤線6000万年は養老山地ができはじめた時であり、扇状地をつくるような急激な隆起は100万年前からのことである。100万年前には濃尾平野の沈降も始まった。






小倉谷の扇央

2007-10-08 | 世界地理
新旧扇状地が重なり、扇央では洪水がどこに消えたのか、分からない

小倉谷は100万年のうちに、扇央の流路をしばしば変更しながら砂礫を堆積、ほぼ同心円状の扇央ができた。砂礫質で地下水位が低いので、農地としての利用は困難であった。
現在は、小倉谷の枯れ木やゴミの状況から、洪水が激しい勢いで流れたことが分かる。上流の砂防ダム(堰、せき)が有効に働き、下流への水の勢いを多少は弱めたではあろうが。



小倉谷扇状地の扇央を水平方向に横切る形で、東海遊歩道が設定されている。厚生省が国民の健康増進のために設定したハイキングコースではある。しかし、樹木が生い茂り、コースが隠れた部分もある。谷の砂防ダム(せき)を横切る部分もある。里山散歩と安易に考えてはならない。


雨上がりの養老山(859m)は非常に高く見える。
養老山中腹の小倉谷扇状地扇央のうち、林道の左は小倉谷。
林道の右側の方が流域面積が広い。
小倉谷はかつてここを流れて、扇端への砂礫堆積をしていた時期があった。
現在は流路が固定され、狭い流域の降雨を、狭いコンクリート水路で扇端まで運ぶ。





扇央も扇端に近づくと、小倉谷の洪水はどこに消えたのか、水の流れた痕跡がない。何年も水が流れず、草木が生い茂った。コンクリート製の砂防ダム(堰、せき)がほとんど隠れた状態になっている。
小倉谷の洪水は伏流水となり、小倉谷とは別方向に流れたのであろう。


小倉谷扇状地の扇頂

2007-10-08 | 世界地理
養老山地と濃尾平野との境界にできた扇状地

養老断層を境に、養老山地は第四紀後半から隆起を続けている。隆起にともない、山地の侵食作用が盛んになり、山麓に向かって砂礫が大量に運搬された。これが扇状地である。
岐阜県養老山地の河川にはふだんは水が流れないので、川を谷と呼ぶ。小倉川は小倉谷といわれる。まれに大雨が降った時に大量の砂礫が運ばれ、扇状地ができる。

一方、断層の東側は濃尾平野(岐阜県)である。100万年間、沈降傾向を続けたため、洪水による平野がつくられた。これが沖積平野である。濃尾平野は、沖積平野のうちの三角州である。木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川の堆積作用によってできた平野である。

扇頂は扇状地の最高点であり、山地と扇状地の境界点である。
小倉谷は、養老山(890m)を源流とする。養老山地では、急崖の崩壊を防ぐため、崖はコンクリートで固定されている。山地の谷にはせき(砂防ダム)が建設されて、扇頂への砂礫運搬をおさえている。扇状地も沖積平野だが、養老山地の隆起は100万年間も続いたので、古い扇状地である。



小倉谷扇状地の扇頂にはわずかの平坦地があり、赤岩神社奥の院がある。桜の花見の名所だが、標高200mの高さだが、ここまで花見に来るのは簡単ではない。