日本の風景 世界の風景

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出稼ぎの終わり

2009-11-26 | 貧困の起源
20世紀の出稼ぎ労働者は、21世紀には期間工と呼ばれる。
2008年の金融危機が「世界のトヨタ」を襲撃、会社は期間工を真っ先にクビにした。
自動車産業のクビ切りが急であり、次の職場がない。
寮も追い出され、田舎に帰らなくてはならないが、農家の主人・跡取りはまだまし。
2男3男になると親元に帰省しても、完全な邪魔物扱いである。家を飛び出て、次は大都会のホームレスである。

 
     (金ヶ崎。トヨタ組立工場)


失業保険法(1947年制定)が生きていた時代
半年間出稼ぎに行き、残り半年を失業保険金で生活のできた時代である。
半年を都会の自動車工場や土木建築現場の出稼ぎに行き、残り半年は故郷に戻って失業保険金で生活することができた。厳密には、故郷で野良仕事をすることは失業状態ではないので、失業保険を受給する資格はないのだが、誰もそんな違法状態をとがめる者はいない。
農業の赤字を、出稼ぎと失業保険金で補填するのである。出稼ぎ農家は、みかけ上、裕福な生活ができた。
耕耘機、田植機、稲刈り機のような農機具を買い、さらにTV、冷蔵庫、洗濯機も買うことができた。さらにはハワイに優雅な旅行を楽しむ出稼ぎ家族もいた。
出稼ぎで成り立つ農業とは、経済学的には破綻した産業である。そして、家庭の破綻に至る出稼ぎ農家も少なくはなかった。

雇用保険法(1974年制定)の時代
6か月以上出稼ぎを続けないと、失業保険金をもらうことができなかった。
農繁期に農業、農閑期に出稼ぎという生活パターンは成り立たなくなった。
農繁期の、それも非常に忙しい時だけ農村に戻り、1年の大半は出稼ぎ、という通年出稼ぎが多くなり、農村社会には老人子どもだけが残されて、農村社会は崩壊した。
農村社会再建のため、出稼ぎ者には「出稼ぎ手帳」が交付された。通年出稼ぎをせず、半年の出稼ぎをくり返す者に交付された。出稼ぎの終わった時点で、失業保険は支給されないが、一時金として50日分の「短期雇用特例特例被保険者特例一時金」を支給される。半年間、1日1万円の出稼ぎをしていれば、50万円を手にできるのである。つまり、6か月の出稼ぎで、8か月の賃金を得るシステムである。
しかし、失業保険法時代のように、6か月の出稼ぎで12か月の賃金を得る制度と比較すると、法的には合理的になったとしても、明らかに出稼ぎ労働者いじめである。

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日本の農業政策の基本は、文字通り「農業基本法」(1961)にある。法律そのものは変更・廃止されたが、その基本は生きている。
出稼ぎあるいは兼業に依存する小規模農業をやめ、アメリカ型の大規模専業農家による農業への転換である。
出稼ぎで農家の生計が成り立つのは、産業としての農業ではない。そんな農業は盆栽や市民農園レベルの、趣味の農業なのである。

政策的に農業を保護するのであれば、かつてのEUのように、農業を環境保護の手段と位置づけ、農家には環境保護費用を支出する以外はないであろう。
農業生産者の組織化は人民公社のような、生産力低下につながるであろう。
法人の農業進出は、利益の最大になる農業のみに特化し、農業の多様性は失われるであろう。
農業を自立させるのであれば、かつての食糧管理制度のような、農産物の高価格維持政策による、農家の所得保障も考えられる。しかし、食糧管理特別会計の再現など、財政難の政府ではできない。

出稼ぎ(期間工)は月収30万円の時代から、20万円の時代になっている。
10万円の経費節減は、1千人の出稼ぎ労働者を使う工場では年間120億円の人件費の節減になる。
さらに、本社・地方の営業正社員を呼び集めて、出稼ぎ労働者の単純労働をさせる具体的計画が、どの大企業でも進行している。
給料分を稼げない営業マンの、一方通行の転勤がすぐ目前にせまっている。
農業労働者の「出稼ぎ」という労働形態は、消滅寸前である。



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