日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

スロバキア共和国   Slovak Republic

2007-08-31 | 世界地理
1993年にチェコ・スロバキアから分離独立
ドナウ川がスロバキアの首都ブラチスラバを通り、そこから下流ではスロバキア・ハンガリーの国境を流れ、ハンガリーの首都ブダペストへ流れる。
スロバキアは、ドナウ川でつながるハンガリーに支配されてきた。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊、チェコスロバキア共和国がつくられた。
第2次大戦後はソ連の強い軍事的圧力を受け、1960年にチェコスロバキア社会主義共和国になった。反ソ連の気運が強く、1968年にはチェコで自由化要求運動が起こった(プラハの春)が、ワルシャワ条約機構軍の軍事圧力のため、元の社会主義に戻った。ソ連崩壊から3年後、1993年にチェコとスロバキアは分離独立することができた。

スロバキアはスラブ(東ヨーロッパの白人)を語源とする。そのスラブは西ヨーロッパではslave(奴隷)に由来する。古代ローマにおいて、スラブ人が捕らえられて奴隷として使われたことがある。
しかし、東ヨーロッパのスラブ語では、スラブとは「栄光」の意味であり、奴隷の意味ではない。




2004年にNATOとEUに加盟
スロバキアは独立後、NATOに加盟した。軍事的に親ロシア(旧ソ連)路線を捨て、アメリカの同盟国になったことであり、ロシアの国際軍事戦略は大きな変更をせまられた。
スロバキアがEUに加盟すると、先進資本主義国の企業が進出しやすいように、優遇税制を適用した。さらに工場の立地条件を整えた工業団地を用意した。スロバキアは政治が安定し、労働賃金も安い。国際河川ドナウ川がハンガリーとの国境を流れ、ウィーン、ブダペストなどに船舶輸送ができる。また、ドイツでマイン・ドナウ運河を利用すれば、ライン川を利用して大西洋への船舶輸送も可能である。
日本からスロバキアには松下電器、ソニー、矢崎総業などが進出した。ドイツ、オランダなどの企業もスロバキアに進出した。


ブラチスラバのドナウ川








スペイン Spain

2007-08-30 | 世界地理
スペインのオリーブ生産は世界第一位
スペイン全域でオリーブが栽培されている。栽培面積は242万ha、栽培本数は3億万本である。スペインのオリーブ生産量は世界の30%以上を占める。オリーブ栽培の中心は南部のアンダルシア州であり、スペイン国内の80%を生産する。
輸出先はイタリアである。イタリアは自国産オリーブ油として、世界中に輸出する。
スペインのオリーブは近年はピクアル種の栽培が増加している。含油率は20%以上である。

スペインは強盗・泥棒の発生率は世界第一位
日本の外務省が、スペイン旅行者に注意をよびかけている手口。
(1)物乞い盗
数人の子供が物乞いのふりをしながら日本人に近づいて注意をそらし、テーブルの上の携帯電話や椅子の背もたれにかけたカバンなどを盗む。物乞いを相手にしないこと、所持品から手を離さないこと。
(2)車の窓ふき盗
信号で止まった車の窓を拭いてチップを要求し、運転者の気をそらしているスキに、ドアを開けて車内に置いてある物を盗む。あるいは運転者が窓を開けた瞬間に車内の物を盗む。「窓拭きの必要はない」ことを告げ、相手にしないようにすること。また、窓やドアを開けないこと。
(3)パンク盗
高速道路などで、タイヤがパンクしていることを指摘し、車両を停止させる。タイヤの確認をしている隙に、車内の物や、車両自体を盗む。「タイヤがパンクしている」と指摘されても、その場で停止して確認や修理をしないこと。確認や修理のために車外に出る時には、必ずドアをロックすること。

ジブラルタルはイギリス領、セウタはスペイン領
ジブラルタル海峡は、ヨーロッパとアフリカを隔てる海峡である。大西洋と地中海の境に位置している。水深286m、海峡の幅14km~44km、長さ60km。
ジブラルタルはかつてスペイン領であったが、1704年にイギリスが占領、1713年のユトレヒト条約によりイギリス領として認められた。第二次世界大戦中はイギリス海軍の重要な拠点であり、ジブラルタル海峡の封鎖を行った。
現在、スペインはジブラルタルを自国領と主張しているが、イギリス政府にとっては、地中海と大西洋を結ぶ軍事的要衝であり、スペインに返還する考えはない。





セウタは、アフリカ大陸側モロッコの領土であった。ポルトガルのエンリケ王子が1415年にセウタを占領、ポルトガル王国領となった。セウタからイスラム教徒を追放、キリスト教を伝えた。
1580年にスペインのフェリペ2世がポルトガル王位を継承して以来、セウタはスペイン領となった。1668年のリスボン条約で、セウタは正式にスペイン領土として認められた。

スペイン語は一つではない
独裁国家は各地方の固有言語をつぶし、国家言語を一つにする傾向がある。たとえば、現在の日本語・フランス語・インドネシア、そしてフランコ独裁時代(1939~75年)のスペインである。
現在のスペインでは、首都マドリッドを中心とするカスティーリア語が国家言語ではあるが、各地方では、地方言語が公用語として使用されている。
カスティーリア語
スペインの首都マドリッドを中心とする地域はカスティーリア地方といわれる。乾燥の強い高原メセタが大部分を占め、ブドウの生産と羊の遊牧が今でも盛んである。15世紀にはアフリカからのイスラム教徒侵略を撃退し、イベリア半島にカトリックを植え付けた自負がある。カスティーリア語そのものをスペイン語と確信している。
カタルーニャ語
地中海岸のバルセロナを中心とする地域では、フランス語に近いカタルーニャ語が公用語として使われている。バルセロナは19世紀には鉄鋼・造船・繊維産業などの近代化が進んで、スペイン最大の工業都市になった。しかし、フランコ独裁時代(1539~75)にはカタルーニャ語の使用が禁じられて、カスティーリャ語の使用が強制された。
1992年のバルセロナオリンピックにより、カタルーニャ語の重要な地位を国際的に認知させた。またカタルーニャ州は州憲法を制定、幅広い自治権を得た。
ガリシア語
スペイン北西部、カンタブリカ山脈が大西洋に沈み込み、リアス式海岸になっている地域である。スペインの他の地域よりは、船によるポルトガルとの交流が盛んであり、ポルトガル語の混じったスペイン語が使われる。これがガルシア語である。
アンダルシア語(カスティーリア語の方言)
スペイン南部。コルドバやセビリアにはイスラム教と北アフリカの影響が強い。アンダルシア語にはアラビア語が混じっているが、カスティーリア語の方言とみなされる。アンダルシア地方からは、中南米の植民地経営に行った者が多く、中南米のスペイン語は、アンダルシア語が主流である
バスク語(バスク人固有の言語)
ピレネー山脈西麓に50万人のバスク人が住む。バスク語を話すが、スペイン語との共通性はない。バスク語は世界のどの言語とも共通性のない、系統不明の言語である。
バスク語はフランコの独裁時代には使用禁止になり、スペイン語を日常生活で使う者が増加した。フランコの独裁政治の終わったあと、自治権を得たが、バスク語を使う者は30万人以下に減少した。スペインでは役に立たないバスク語の復活は難しく、バスク民族は滅亡の危機にある。
1959年に「バスク祖国と自由(ETA)」が結成され、バスク民族を守ることを目的に、スペイン政府に対してテロ活動を展開している。

スウェーデン Kingdom of Sweden

2007-08-26 | 世界地理
高福祉高負担の典型
スウェーデンの人口900万人のうち、公務員が300万人である。公務員のうち、福祉分野への女性の進出が著しい。社会福祉関連の公務員を雇用するため、スウェーデン国民の租税負担率は55%、社会保障負担率が20%である。家計収入の75%が、税金と福祉関連費用でなくなってしまう。スウェーデンの消費税は25%である。
スウェーデンの女性の職場進出率は80%である。女性が働くための職場として社会福祉分野が多い。つまり、スウェーデンの高福祉・高負担は、女性公務員への賃金を、支払うためというのが現実である。
高福祉高負担の政策が限界に達し、財政の赤字が問題になっている。財政再建を優先するために福祉水準の切り下げる立場と、高い福祉水準を維持するために25%の消費税を引き上げて税収を増やする立場とがある。政策的には一貫してはいない。



大企業も中小企業の税金の安い国に移転
スウェーデンの国際的大企業エリクソン(電話システム)、ボルボ(自動車)、SAAB(自動車)、イケア(家具)などは、法人税の低い国に別会社を設立して工場を移転して、法人税を節約した。さらに、残る国内工場を海外企業に乗っ取られたことにして、スウェーデン国内の税金支払いを軽減させた。
スウェーデンの中小企業は、経済成長の著しい中国・インドには中小企業も進出した。特に繊維・衣料においては、現地の低賃金労働力を利用して、アメリカ・日本市場に進出した。
スウェーデン企業は海外において大企業に成長している。一方、国内の産業空洞化、政府の財政難が大問題になっている。



福祉国家だが、原子力発電は49%を占める
2000年5月、与党の社会民主党が、2020年までに国内11基の原子力発電所を段階的に閉鎖することを、第1の政策目標とした。
そのための具体的政策として、リトアニアの原子力発電所の余剰電力を輸入する、石炭火力発電所をスウェーデン国内に増設する案が検討されている。
しかし、リトアニアの原発はチェルノブイリ原発と同じ設計であり、スウェーデンの原発よりは危険性が大きい。また、石炭火力発電は低コストだが、温室効果ガスと酸性雨の原因になってしまう。
風力発電は、デンマーク・ドイツの発電状況実績から、原子力発電に代わるほどの発電量を期待できないことが、明らかになったのである。
一方、現在稼働中の11原子力発電所を改修すれば、原子力発電所の寿命が30年から50年以上にのばすことができる。2020年までに原発を閉鎖する決定は、見直しが迫られている。


パーセベック原子力発電所の運転休止


スウェーデンのバーセベック原子力発電所は、コペンハーゲン(デンマーク)までの距離が25kmである。1975年に2基の原子力発電炉の運転を開始した。特に事故・故障はなかったが、建設位置についてデンマークから強く批判され、2001 年に1号機が運転が休止された。その代わりに、リトアニアのチェルノブイリ型原発でつくられた電力を輸入することになった。バーセベック2号機は運転中である。
スウェーデンが国内の原発1基を閉鎖し、リトアニアの原発から電力を輸入するエネルギー政策の矛盾が、国内外から指摘されている。
バーサベック発電所の1号機を再開するのか、2号機を閉鎖するのか、他地域に原発を増設するのかしないのかなど、スウェーデンの原子力政策が大きく揺らいでいる。

スイス連邦  Swiss Confederation

2007-08-21 | 世界地理
スイスは中立国だが、徴兵制国家
スイスでは、18才になると徴兵のための身体検査を受ける義務があ。女性には兵役義務がない。男女間に差があるので、厳密な意味の国民皆兵制ではなく、徴兵制である。
18歳の誕生日をむかえた男性は、全員即座に兵役につくのではない。15週の軍事教練のあと、36才まで随時2週間の補充教練を受ける。36歳までに通算260日間の兵役を果たす義務が課されるのである。心身に障害のある者の兵役免除や良心的兵役拒否は認められている。
アインシュタインがスイス在留時(1894~1932)に徴兵検査を受けたが、「扁平足」であることを理由に兵役を免除された。本当の理由は、すでに天才的物理学者であることが世界的に知られていたことと、ユダヤ人だからであった。
ついでながら、わが夏目漱石も徴兵忌避のため、明治25年25歳の時に東京から北海道岩内に本籍を移した。当時の北海道は屯田兵制度が施行され、徴兵制度は適用外であった。

2005年のスイスの人口は725万人、常備軍人数は5000人である。厳格な徴兵制がありながら、兵役につく者は少ない。
18歳で軍事教練を受けたあと、戦闘用具一式を各自の家庭に持ち帰り、非常時に戦闘用具一式を持参し、指定場所に24時間以内に集合することが義務づけられている。
スイスの徴兵制の実質は、スイス人の民兵化訓練であり、同時に国防意識の高揚である。36歳になると兵役期間は終了、戦闘用具を国に返還する。

現代の戦争において、徴兵制で集めた素人に短期間の軍事教練を課しても、近代兵器を使うことはできない。職業軍人の後方を旧式カービン銃を背負ってついて行くだけである。したがって敵軍の人質になったり、同胞を背後から誤射したり、自分の銃で自殺したり、ろくなことがない。米軍のベトナム戦争・イラク戦争の泥沼長期戦が好例である。スイスでは、軍人の中から徴兵制を廃止する声が出ている。


鳥インフルエンザ流行予測で、ボロ儲け
日本は、独占販売権のある中外製薬
2006年末、日本の厚生省は鳥インフルエンザウィルスの亜種が人間に感染し、新型インフルエンザとなって爆発的に流行する。日本で500万人が罹患、16万人が死亡すると予測した。
インフルエンザ感染から48時間以内であれば、タミフルで治療できる。日本の厚生労働省は、1200万人分のタミフル備蓄計画を立てた。日本の独占発売元中外製薬は、2007年3月決算では128億円の利益を見込んでいたが、タミフル特需で238億円に上方修正した。

アメリカの、ラムズフェルド国務長官
アメリカのイラク戦争をブッシュに進言したのは、ラムズフェルド国務長官(当時)である。1997年にブッシュ政権の国防長官に就任するまで、タミフルを開発したギリアド社会長をつとめていた。国防長官就任とともにギリアド社会長は辞任したが、ギリアド社の大株主のままである。
ラムズフェルドは国防長官という地位を利用し、日本をはじめアジア諸国の政治家、マスコミ、医療関係者に鳥インフルエンザの脅威を吹き込み、タミフルを大量に販売することに成功した。3年間で世界中に4800万パックのタミフルを販売、そのうち2800万パックを日本に販売した。ラムズフェルド所有のギリアド社の株は1000万ドルから5倍に値上がりした。毎年100万ドル以上の株主配当を得ている。



スイスのロシェ社がタミフルを独占的に製造販売
タミフルの研究開発をし、特許を得たのはアメリカのギリアド社だが、タミフルを独占的に製造販売しているのはスイスの大手製薬会社ロシェである。ロシェはギリアド社に10%の特許料を払い、世界中にタミフルを輸出している。ロシェ社はタミフルだけで年間10億ドルの輸出をしている。
最大の輸出先は、ラムズフェルドのアメリカである。イラク戦争従軍中の兵士に鳥インフルエンザが流行しないように、大量のタミフルを戦地と米国内に備蓄している。
次の輸出先は、ラムズフェルドの警告に従った日本である。小泉政権は日本国内に1200万人分を備蓄するだけではなく、鳥インフルエンザの発生するベトナム・中国に大量のタミフルを、無料配給したのである。

ロシェの本社はライン川沿いのバーゼルにある


スイス人の風邪対処方法
スイスでは風邪やインフルエンザでは病院の診察を受けない。薬も服用しない。数日安静にしていると、インフルエンザも風邪も自然に治る。罹患数日後であるから、たとえ新型インフルエンザであったとしても、タミフルは効果がない。
風邪もインフルエンザも基本的に医者と薬で治療するものとは考えていない。栄養のある食事をとり、ゆっくり休めば、自然によくなる、と考えているのである。
その背景として、スイスには日本のような国民健康保険制度がないため、病院で診察治療を受けると、非常に高額になる、ということがある。スイスは医師数も看護師数も世界トップクラスで、手厚い治療を受けることができる。しかし、医療費は高いし、一度は全額本人払いである。
スイスでは高額の治療費に備え、民間保険会社の疾病保険に加入する者が多い。なお、1000人当たり医師数はスイスは3.8人で世界トップクラス、日本は2.0人で発展途上国クラスである。

スイス銀行
「1934年スイス銀行法」ではスイスの大小の銀行は顧客情報の秘密保持を最優先し、ユダヤ人資産を、ヒトラーのナチスから守り抜いた。戦後は国際麻薬取引資金の秘密保持、フィリピンのマルコス大統領の横領資金、ペルーのフジモリ大統領の政界工作資金など、巨額の裏金を扱った。
先進国が発展途上国に贈った援助資金が、発展途上国の政府高官によってスイス銀行に秘匿される例も多い。国際テロリストの軍資金も貯えられた。
1990年、スイス政府は、脱税と不正の温床とされるスイス銀行への規制を強めた。スイス銀行は、匿名口座や代理人口座であっても、その資金は最終的に誰のものか、全部掌握することになった。また、政府高官の預金も扱わないことになった。
スイス銀行に資金を隠匿するためには、マネーロンダリングをして、一応は正常な形の資金にしなくてはならない。
不正資金を隠匿する国としてはスイスは不適当であり、カリブ海諸国が使われるようになった。



サンマリノ  Republic of San Marino

2007-08-18 | 世界地理
聖地サンマリノ
4世紀、ローマ皇帝がキリスト教徒を厳しく迫害した。この時、ローマの敬虔なキリスト教徒マリーノが、現在のサンマリノにキリスト教徒を集め、共同体を建設した。サンマリノはこのような建国神話のある、キリスト教カトリックの聖地である。この建国神話に登場するマリーノの職業は石工である。
1631年にローマ法王により、サンマリノは独立的地位を認められた。1862年にイタリアとの友好善隣条約を結び、近代国家としての主権と独立を確立した。イタリアに軍事・外交をまかせている。また、イタリアとサンマリノとの間では、国境審査はないことになっているが、入国記念スタンプが有料で押される。



中立国サンマリノ
サンマリノはイタリアにまわりを囲まれているにもかかわらず、第1次、第2次世界大戦でも、中立を維持した。第2次大戦中は、ナチスドイツがイタリア半島で戦った数週間だけ戦場になったが、ナチスも連合軍もすぐに退去した。
積極的にイタリアのためには戦わず、大戦中は中立を維持したのであった。
1992年に国連に加盟した。

観光立国サンマリノ
60k㎡の国土に3万人が住む。年間観光客数は300万人である。通貨はイタリアのユーロが流通している。しかし、サンマリノは2ユーロ硬貨の片面に独自デザインした通貨を製造発行している。その発行数が少ないので通貨としては流通せず、マニアと観光客に高値で売られている。
また、切手は高額切手も少数ずつ販売し、次々とデザインを変更して、観光客の土産としている。
聖地サンマリノを訪れる観光客300万人が、通貨と切手を公式価格の何倍もの高値で購入し、サンマリノの財政を潤している。


サンマリノはEUには加盟していないが、通貨はイタリアのユーロ通貨を使う。サンマリノでつくられる2ユーロ通貨は、19世紀のイタリア統一の英雄ガルバルディが描かれている。日本円で300円程度なのだが、発行数が少ない記念硬貨であり、額面の100倍3万円が取引相場になっている。このような通貨や切手の高値誘導政策は、サンマリノの財政収入に大きな役割を果たしている。


クロアチア  Republic of Croatia

2007-08-17 | 世界地理
1991年にユーゴスラビアから独立、セルビア人国家を建設
1991年に独立した時、クロアチア人(カトリック)400万人、セルビア人(ギリシャ正教)が50万の人口構成であった。セルビア人は、第2次大戦後のユーゴスラビア時代に経済的に裕福なクロアチアに移住した労働者と商人であった。クロアチア人との違いは、宗教と商才であった。1991~96年、クロアチア人はセルビア人に有形無形の差別を続け、多くのセルビア人をクロアチアから追放した。
セルビア人50万人中、故郷セルビアに戻ったのは10万人足らずであった。かろうじてクロアチア国内に残った30万人のセルビア人は、クロアチア人に仕事も財産も奪われて、最貧困層に追いやられてしまった。セルビア人は、クロアチア政府に対して、クロアチア国内における差別の撤廃と、奪われた財産の補償を求めている。

クロアチアからアドリア海に、「ボラ」が吹く
冬、クロアチア内陸に、放射冷却によって冷たい空気が貯えられる。これはアドリア海と並行のディナルアルプスがダムの役割を果たすからである。冷たい空気の蓄積量が、ディナルアルプスの峠よりも高くなると、峠から、冷たい強風となってアドリア海に吹き出す。
ボラは冬の季節風だが、風速30/m以上の強風となることがある。あるいは、冬に限らず、春に吹いてアドリア海岸の農業や観光業に大きな打撃を与えることもある。

 



日本への輸出第1位は畜養マグロ
地中海クロマグロは、資源量が少ないにもかかわらず、日本ではスシ用高級マグロとして根強い需要がある。マグロの畜養はマグロ幼魚の乱獲につながり、さらにエサとしてのイワシ・ニシンなどの冷凍魚が畜養海域を汚染する原因になる。そのため、畜養マグロの正確な貿易数量は業界の秘密とされ、詳細は分からない。しかし、クロアチアの日本向け輸出第1位が畜養マグロであることは間違いない。
クロアチアの畜養マグロは、日本人あるいは台湾人船主が便宜置籍船国に登録した超低温冷凍運搬船で運搬される。清水港にクロアチアの畜養マグロが到着した時には、クロアチアの畜養マグロの大半は日本漁船や台湾漁船の正規漁獲マグロと混載されてしまう。このため、クロアチアからどれほどの畜養マグロが、日本に輸入されたのかは分からない。



ギリシャ  Hellenic Republic

2007-08-16 | 世界地理
ギリシャの語源は、Graecia



日本語のギリシャはラテン語のグレキアGraeciaが訛ったものである。その語源は、ペロポネソス半島に居住したグラエキ族 Graecia(高貴な人)に由来する。

Hellenic Republic はギリシャ民族の祖神ヘレンに由来する。なおヘレニズム文化も、そのヘレンに由来する。アレクサンドロス大王の東征からプトレマイオス朝の滅亡までの約300年間の文化がヘレニズム文化である。東方文化と融合し、普遍的性格の強まったギリシア文化である。

海運業による海外資産
世界の商船船腹量は多い順にパナマ、リベリア、バハマ、ギリシャである。パナマ、リベリア、バハマは租税回避地(便宜置籍船国)であり、アメリカ、日本、イギリス、ギリシャなどの船主が、形式的にその国に船籍登録をする。そうすると、税金が安い、低賃金の第三国人船員を雇用できる、船体整備不良の老朽船を使うことができる、危険海域の高価格輸送が可能である。などの大きなメリットがある。利益を海外に隠匿する手段として使われる。
一方、パナマ、リベリア、バハマなどの便宜置籍船国には、何もせずに登録料と税金が入るメリットがある。それが格安であっても、数が多いため、便宜置籍船国には重要な収入となる。
ギリシャは便宜置籍船保有量が世界一である。つまり世界一の船舶を保有する海運業国家である。海運業の収入は、税率の非常に低い便宜置籍船国に貯えられている。
また、アメリカ船は比較的税率の低いギリシャに船舶を登録することが多い。つまり、ギリシャは便宜置籍船国を利用する立場と、アメリカにとっての便宜置籍船国の役割を果たす立場とがある。
2004年アテネオリンピックの会場と関連施設の建設費用が膨れ上がり、ギリシャの国家財政が大赤字になった。しかし、海外の法人個人資産の一部からギリシャに送金された。オリンピック後の失業者は一時は10%を越えたが、海外からの送金で国内景気が回復し、失業者は救済された。
ギリシャの経済成長率は4%前後を維持し、好調である。ギリシャ国民の、財政赤字の一人当たり負担額はEUでは第1位である。それでも、ギリシャには海外資産があるので、財政赤字は気にする問題ではないのかもしれない。
ギリシャの面積は7万k㎡、人口は1100万人である。1981年にはEUに加盟。




sea diamond(2007年4月20日、エーゲ海で沈没)

オランダ   Kingdom of the Netherlands

2007-08-12 | 世界地理
ベアトリクス女王
オランダは面積4.2万k㎡、人口1629万人の王国である。現在のオランダ王国女王ベアトリクスは1938年にバールンで生まれた。
1940年、ナチスの侵略により、祖母・母とともにイギリスへ亡命した。その後はカナダへ行き、初等教育をカナダで受けた。
1945年、戦争が終わると、母ユリアナがオランダ女王に即位し、ベアトリクスは王位継承者となった。
1966年、ドイツ人外交官クラウス・フォン・アムスベルクと結婚した。第2次大戦の敵国であったドイツの外交官と結婚することが政治問題になった。
1967年には、王家では百年ぶりの男子を出産した。その後も男子を出産。3王子の母親となった。
1880年にベアトリクスはオランダ女王に即位した。

オランダ領アンティル諸島は租税回避地
オランダ領アンティル諸島は、ABC諸島ともいわれる。Aアルバ島(人口7万人)、Bボネール島、Cキュラソー島(ボナール島と合わせて人口22万人)が大きな島である。産油国ベネズエラが近く、石油精製業が発展している。他に観光、海運もあるが、最も重要な産業は国際金融業である。
世界各国の大手銀行、金融専門の国際弁護士、公認会計士、投資顧問会社、多国籍企業などが集まって、いくつもの投資ファンドが設立されたり、解消されたりしている。
アンティル諸島ではファンドや法人組織の設立認可手続きが簡単迅速で、しかも税率が低い。世界各地の投資家や金融機関からの資金が集まりやすい。他の租税回避地と異なり、配当収入には課税しないし、貯蓄課税制度もない。アンティル諸島は、アジア・EU・北アメリカから、ラテンアメリカなどへの投資や輸出などに、理想的な立地条件が整っている。
オランダなどの富裕層は、持て余した資金を、租税回避地のファンド経由で投資し、さらに大きな利益を得ることができる。
先進国では富裕な法人・個人からの税収が減り、その分を一般消費税で補っている。オランダの一般消費税率は19%、食料は6%である。


オランダの国名表記
オランダは、The Netherlands (低い土地)が正式国名であり、オランダ本国だけを示す。
Kingdom of the Netherlands と表記する場合には、現在のオランダ植民地を含むオランダである。つまり、ヨーロッパのオランダ本国に加え、カリブ海のオランダ領アンティ ル諸島、オランダ領アルバ島を含めた総称である。
オランダHollandは北海沿岸の地方名に由来する、俗称あるいは愛称である。
オランダの低地は、15世紀から干拓事業が行われ、20世紀までに1万k㎡を干拓し、浅海を農地に変えた。干拓事業は政府・国民の信頼関係があって完成したものである。
オランダの労働組合は、労使協調が最優先され、ストライキのような労働争議はない。企業の生産性は高い。オランダの企業・労働組合の信頼関係は、ポルダーモデルといわれる。
日本では御用組合といわれ、労働組合が弱体化し、労働条件悪化の最大原因といわれる。しかし、オランダのポルダーモデルでは労使の信頼関係が強く、企業が収益を上げるために労働条件を悪くするとは、考えられない。

 


オランダ政府公認「飾り窓の・・・」

オランダのエネルギー一人当たり消費量は、日本よりも多い。
オランダ北部(陸上)にはフローニンゲンガス田、北海(海上)オランダ領にはプラシドガス田がある。オランダでは天然ガスの占める割合が高い。
また、一人当たり年間エネルギー消費量は、石油換算でオランダ4.83トンである。日本4.06トン、アメリカ7.97トンである。
天然ガスはパイプラインを通して、ベルギー、ドイツに輸出される。
原油は中東諸国とイギリスから輸入される。最大の輸入港は、ライン川河口のロッテルダム(ユーロポート)である。原油のままパイプラインでドイツ・ベルギーに輸出される。また、一部はロッテルダムの石油化学工場において石油製品化されて、国内外に供給される。

オランダの一次エネルギー供給の内訳(2002年)
石炭:838万トン(10.8%)
石油:2,980万トン(38.2%)
天然ガス:3,583万トン(46.0%)
原子力:102万トン(1.3%)



ポルダー(干拓地)の排水用風車。

オーストリア  Republic of Austria

2007-08-11 | 世界地理
永世中立国オーストリアは徴兵制度
オーストラリアでは18歳男子が6か月間、国防と災害救助のために兵役につくように、政府から徴兵される。徴兵を拒否すると、法的に処罰されて、将来の進学・就職に悪影響がある。
もし、徴兵制に反対する反戦主義・平和主義者ならば、例外的に兵役を免除される。替わりに、12か月間(1年間)、オーストリア政府指定機関で徴兵代替奉仕活動が義務づけられる。その多くは福祉施設における介護である。


輸出主導のハイテク産業
オーストリアは高度に発達した工業国で、特にサービス産業部門の全経済に占める割合が高い。主な工業部門は、機械、鉄鋼、食品加工および嗜好品、化学そして自動車産業である。自動車産業の基幹となるのはエンジンと変速装置の生産で、製品の90%以上が輸出されている。1年間に製造される約90万台のエンジンのほとんどが、多くの有名自動車会社に供給されている。電子工学との関連では、特にチップや集積回路(エアバッグやABSブレーキシステム用のチップの開発、エアバスや高速列車の部品等)など、特殊な電子機器の製造で、国際的に高い評価を受けている。


ウィーンの公共交通機関
公共交通機関は、第1は地下鉄である。総延長距離が414kmである。第2は路面電車であり、ウィーン市内を自動車とともに走る。そして、第3はバスである。
ウェーン市民のほとんどは、地下鉄・路面電車・バスの割引共通チケット(ネットカード)を利用する。ネットカードは購入所有していることが当然であり、ただ乗りは許されない。この料金収受の良心払いシステムは1980年代にできたものである。公共交通の存続は、ウィーン市民の良心にまかせられている。
路面電車に乗務しているのは運転手だけであり、車掌はいない。停留所では降りたい乗客がドアを開けて降りるのである。ただ乗りも可能である。
地下鉄でもバスでも、乗り降りの方法は異なるが、ネットカードを所有していると、改札なしで乗り降りできる。ただ乗りも可能である。
ネットカードを忘れた者や、観光客のために、車内には1回券の自動販売機がある。つまり、全員が乗車券を所有することになっている。
路面電車のただ乗りを防ぐため、ネットカードを所有しているかどうか、月に2、3回、抜き打ちの「検札」がある。ネットカードを持ち合わせていないと、懲罰的に高額の支払いを要求される。
車掌が検札に来た時、ネットカードのない者はあわてず騒がず、今日は無料乗車日と聞いた、とか、病院に急ぐので診察券を持参した、とか、孫の誕生日だから、とか、もともと無料の乗り物と思っていた、とか、言い訳をするようだが、大半の言い訳は車掌に通用しない。





ラトビア  Republic of Latvia

2007-08-11 | 世界地理
1940~1991年には、ロシア人の過酷な支配
エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国は、スターリン(ソ連)とヒトラー(ドイツ)の密約により1940年にソ連に占領された。
第2次大戦中、ソ連はヒトラーに協力したラトビア人4万人をシベリアに送り、炭鉱開発・木材伐採などの強制労働をさせた。
第2次大戦後、スターリンの立案した集団農業に反対したラトビア人地主・知識人など5万人を、シベリアに強制連行し、石油パイプラインの建設や第2シベリア鉄道など、過酷な自然環境の厳しい仕事に従事させた。5~10年間の強制労働で半数が死亡し、残り半数がラトビアに帰ることができた。

1991年の独立後、ロシア人への静かなる報復
1991年のバルト3国の独立は、バルト3国在住のロシア人エリートには予想外のことであった。永遠にソ連が存続し、ソ連の枠内ではロシア人の優越的地位が保障されると信じていたからである。
ソ連離脱を宣言したバルト3国は、エストニア、ラトビア、リトアニアとしてそれぞれ独立した。各国では、ロシア人に報復が始まった。スターリン独裁下のソ連が課したような、残酷な強制労働はなされず、理性的報復であった。
ラトビアの人口230万人のうち、ラトビア人は150万人、ロシア人は80万人である。ラトビアではロシア人に対し、ラトビア語の使用を強制したり、旅券の発行を制限したりしている。

自由貿易港の指定
ソ連に属していた当時は、ラトビアは鉄道車両の生産に特化し、ソ連全体に製品を供給していた。しかし、1991年にソ連が崩壊、ラトビアが独立してからは鉄道車両の販路を失い、基幹産業が崩壊した。
ラトビアではリガ、ヴェンツピルス、リエパーヤの3港を自由貿易港に指定した。EUとCISの中継貿易による収益が期待される。3港のいずれもかつてのハンザ同盟都市である。
1991年には国連加盟、1992年にはIMF、世銀加盟、1999年にはWTO加盟、2004年にはNATOとEU加盟している。旧ソ連CIS依存の経済体質から脱出する基礎はできた。


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