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新庄市の財政破綻と米価

2008-10-02 | 世界地理
1970(昭和45)年に総合農政が始まって、いわゆる減反政策が始まった。
1985年の政府買い入れ米価は60kg当たり18,668円、史上最高価格であった。
新庄市の農村地帯では、米収入の増加をもくろんで水田開発が進められた。しかし、1990年以降に水田の造成が完成しても、すでに米価は下がり、赤字経営になった。
生産者米価は政策的に引き下げられ、2003年には13,820円に低下した。
新庄市の米収穫量は5千トン減少し、2万トンになった。米作農家の所得は低下するはずだが、政府は減反奨励金などで所得を補償した。しかし、減反補償金は年々減らされ、新庄市だけではなく、新庄市周辺、山形県内、東北地方でも、米作農家の所得は低下した。農村地帯の商店街の衰退の一因になった。






米作が赤字になるのは、人件費を生産コストに含むからである。家族労働主体であれば、生産コストは下がる。中古の農業機械を近隣で共同購入すれば、さらに生産コストが下がる。米作を、赤字垂れ流しで続ける農家はない。米作は実質的に黒字である。
逆ザヤとは政府が農家から米を高く買い入れて、米国業者に安く売り、政府の食糧管理会計が赤字になっている状態である。

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こんな話を聞いたことがある。どこで聞いたか忘れたが、新庄とは無関係である。こんなこともあるということである。

① 東北の米作農家は飢饉対策として、2年前の米をモミの形で保存している。農家はふだんは2年前の米を食い、客が来た時には去年の米を食い、盆・正月だけは今年の米を食う。
農協から政府米の供出割り当てがきたら、検査用に今年の新米1俵を出すが、残り100俵200俵の供出は2年前の米である。手違いで米蔵に残っていた4、5年前の古米を供出することもある。
都会の消費者は、制度的に米穀店で政府米を買わざるを得ない時期が戦後40年続いた。その結果として、うまい新米など食べたことがないから、2年前の古米を食べても、まずいとは分からないのである。

② 毎年、米の収穫時期に、古米を買い集めるヤミ米ブローカーが農村をトラックで回る。2年前の米、去年の米、今年の新米を、3ランクに分けて買う。古米は農協よりも1割安いが、新米は1割高い。古米でも量的には無制限に買い取ってくれる。
農家とブローカーの庭先取引であり、農協にも税務署にも知られない。農家には50万100万円の大金が、すぐに手に入る。農家は、冠婚葬祭などで大金が必要になった時にも、古米ブローカーを呼んでカネをつくる。

③ 減反政策では、減反対象の水田を、役場の検査員が人目でわかるようにしておかなくてはならなかった。
水田を減反地として放置するより、転作作物を植えると、転作奨励金が入る。水田に、大豆・小麦・そばなどの作物を栽培するのである。しかし、大豆・小麦・そばを植えると、米作以上の労力がかかり、売値も安い。そこで、大豆・小麦・そばなどを水田に植えたら、その後は秋まで放って置く「捨て作り」という手があった。
また、栗の木を植えることも流行した。3年で実をつける大きさになったら切り倒し、また栗の苗木を植える。少量の栗の実など販路はないし、栗の実つまりイガは邪魔物である。実をつける前に成木を苗木に植え換え、転作奨励金をもらう栗栽培が、最も得な時期があった。

④ 郊外の米作農家が、市街地の商店街や団地に、2年前の古米を売り歩く。田舎の人間は新米・古米の味が分かるので、古米を一度売ると、二度とは売れない。そこで、わざわざ遠方の都市に古米を新米と偽って売り歩き、3、4年経って売り主の顔を忘れた頃にまた古米を売りに行くのである。

⑤ 農家には小型混米機がある。精米業者には大型混米機がある。本来の利用目的は、数種類の白米を混合して、米の味をよくするためのもので、「格上混米」といわれた。酒のカクテルみたいなものである。格上混米は、精米業者あるいは米作農家の良心的無料奉仕のようだが、良質高価格米を増量することが目的であり、結果的には無料奉仕ではない。
混米機にはもう一つの役割がある。2年前の古米と去年の古米をブレンドして、去年の古米にすることである。また、去年の米と今年の新米をブレンドしてとして新米をつくることである。安い古米を大量に仕入れ、新米の増量をする。安い古米の混合割合を増やすほど、利幅が大きくなる。2種類3種類の新米カクテルよりも、新米・古米のカクテルの方が儲かる。
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政府が米の生産規制を強行しても、米作農家にはそれなりの対応がある。減反政策では損をした農家は多いが、結構な利益を得た農家も少なくはない。米価の引き下げが地方都市の商業の衰退を招いた原因とは断定できない。米作農家はそれなりの工夫で、それまでの所得水準を維持したのである。
「政策があれば対策がある」との中国のことわざが、日本でも生きている。

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