ところが~。 「repostero mayor」で検索したら、こんなのが引っかかってしまいまして(笑)。 repostero mayor. 1.m. Antiguamente, en la casa real de Castilla, jefe a cuyo cargo estaba el mando y gobierno de todo lo perteneciente al ramo de repostería y de los empleados de ella, y era persona de las principales familias de la monarquía.
まずは、悪いこと。 バケツを引っくり返したような雨が降ったせいで、また雨漏れがして、とうとう天井が落ちてきました。音といの朝方に「ドサ!」という音がするので、息子がベッドから落ちたのかと思い「大丈夫~?」と声をかけると「大丈夫~」というので、そのまま又寝ちゃいました。朝起きてリビングルームに行くと何だか妙に散らかっているんですね。で、ふと上を見ると天井が落ちているではありませんか!散らかっているのは落ちてきた天井が木っ端微塵になって床に散乱していたからでした。昨日は天井の修復交渉で大変でした。 天井災難でヘロヘロになってテレビを何気につけてみると、PBSという日本でいえばNHKのような公共テレビ局でなにやら歴史物をやっているんですね。よーく観るとどうやらスペイン物なんですよ。それは、「Cities of Light: The Rise and Fall of Islamic Spain」という歴史番組!もう見入っちゃいましたよ。もちろんペドロ1世の頃の話もチョロっと出てきました。 歴史を通して、イスラム教とユダヤ教とキリスト教がいかにスペインの中で良くも悪くも作用してきたかという番組なんですけど、うまく融合政策が行われると社会が安定し素晴らしい文化を生み、キリスト教だけとかイスラム教だけとかいう支配者が出てくるとユダヤ人が必ず迫害を受けて社会が荒れたりする様がドキュメンタリータッチで描かれていました。 ペドロ1世の建てたアルカサルの持つ文化的意味合いがきっちり説明されていて、とても嬉しかったです。また、アルカサルと同時期に建てられたと言うエル・レビのシナゴークも紹介されました。きれいな画面でうっとり。天井災難を忘れて浸ってしまいました。 ちなみに30ドルでDVDが出ているとの事で、買うべきかどうか悩んでます。 それからhttp://www.brightcove.com/title.jsp?title=987743883&channel=13763974でいくつか番組紹介のクリップが観られます。アルフォンソ10世による異教徒の迫害や、アルゴン王子フェルディナンドとカスティリア王女イザベラが結婚して異教徒を迫害する場面などがチラッと観れます。
サンチャ・デ・カスタニェダは、ペロ・カリリョの妻だと思われます。 Cas? con: = marry with にサンチャの名前が続き、 Padres de: = parents of に続く、次の赤文字の名前の人物、 IX - G?MEZ CARRILLO. が、後を継いだ子ということになるんじゃないかな~。 ここの説明だと、ペロには子供が一人しかいなかったか、名前が一人しかわかってないということみたいですね。
キャストを見ると、王様の次にコロネル姉妹の名があるのに、マリア・デ・パディーリャの名は見当たらない~! 40年以上前のイタリア・スペイン合作の映画のようですが、どーいう内容なのか、気になるわ~(苦笑)。 イタリア語の原題「SFIDA AL RE DI CASTIGLIA」を機械翻訳すると、「CHALLENGE TO THE KING OF CASTILE」・・・ということは、王様ってば悪者~?
One of the first women to wear white at her wedding was Mary Queen of Scots, when she married François II of France. However, the choice was seen as very inauspicious, as the colour white was the official colour of mourning in France during the time. メアリの時代のフランスでは、白といったら「喪の色」だったので、縁起が悪かったらしいですね~。
スペイン語版Wikipediaの王様のページ、「色白金髪の美丈夫」の文と同じパラグラフに、サンチョとディエゴの母であるイサベルについて次のように書いてあります。 Otros dos hijos de Pedro, llamados Sancho y Diego, tuvieron por madre a Isabel, aya del niño Alfonso, hijo del rey y de María de Padilla. これによると、アルフォンソの乳母だったのは、イサベル(・デ・サンドバル)だったんですね~。 とすると、ウラカは、マリア・デ・イネストロサとイサベルをミックスしたキャラクターだったんでしょうか。
上のほうは各国語版Wikipediaの「サンチアゴ騎士団」のページが並んでいますが、アルバレスについてわかるのは任期のみです。 現時点で上から9つ目に、私もちょくちょく利用する家系サイトさんがヒットしているのですが、抜粋されたテキストには、 「Master of the Order of Santiago 1359, resigned 1366. 」 という文言が! 1366年に「辞任」ですかい?! さらに他のサイトさんも見てみると、またまた機械翻訳の解読となりますが、書いてあることは、だいたい同じ。 つまりは、エンリケが腹心のメヒアをサンチアゴ騎士団長に据えたくて、領地やお金と引き換えにアルバレスにやめてもらった・・・ということのようですね。 うーん、「エンリケの恩寵」につられたか~。 ディエゴ兄だけじゃなかったのか~(苦笑)。 アルバレスは1370年に亡くなったようですが(家系サイト参照)、それまでどうしていたのでしょうね?
そっか~父王アルフォンソ11世が最初に結婚したのが、このコンスタンシアなんですね~
こうみるとポルトガルとカスティリアって凄い婚姻血縁関係が入り組んでますね~
これがやはり後の変わった人が出ている原因なのかなぁ??
以前河惣さんの漫画でポルトガルのブラガンサ家の話が出ていて、登場人物にブラガンサは近親婚の影響でまれにそういう人が出てしまうという漫画が載っていたんですよ~
狂女ファナといい、なんか通じるものがあるのかなぁ~って・・・
それにしてもテリェスのお顔・・・
なんか見ていて、昔のローマの悪妻たちを思い出しました
やはり共通するものがあるのかしら~
対してフィリパの姿絵は可愛いですね~
アルカサルではイマイチ地味でしたが
こんな可愛らしい人でなんか嬉しい~
和訳ありがとうございます~
ほぅほぅあの後にモハメット5世も王様に追われることになるんですか~
「アルカサル」ではいかにも王様に従順な気の弱そうな王様だったのに、彼に一体何があったのだろう??
でもこういうトコが「王の死刑執行人」と漫画で紹介されていた部分と繋がりますよね~
やはり重要なことはロペス抜きでは語られないと!
ほほうようやくロペスの妻子に関することが・・・
これによるとロペ・ロペスとレオノールは同母(サンチャ)の姉弟なのですね~
あれ?以前に家系図を見たときにもう1人いたような?
あれは異母兄弟なのかしら?
だとしたらやるわね!ロペス
さとコメント数も100近くになったので
新しいのを作りました
続きはこちらで・・・
http://blog.goo.ne.jp/tarezoh_s/e/79659480d4a12a8109656d0e12a454d4
しかし、「斬首」ってのは、やはり、残酷ですね~。以前BBCが作ったエリザベス1世の物語をテレビで観たときにも、もう斬首だらけでいやになってしまいました。
気分なおしに、B型さんお勧めの悪妻レオノールの画面でも見に行ってきます。(気分直しになるのか??)
++++++++
ウルバノ5世は、メレン・スアレスに騎士団長の地位が与えられるよう画策したが、最終的にこの分裂状態はナヘラの戦い (1367年) でエンリケが敗れたことで、ペドロ1世側が有利となり、ロペスのアルカンタラ騎士団長の地位が確定となった。アルカンタラ騎士団長としての地位が固められると、ムルシア王国の領主としての地位も固まった。ロペスはムルシア領の管理の責任者としてフェルナン・ペレス・カルビーヨを任命した。同年、ある司法関係の件を対応するために責任者を任命しコルドバに派遣し、最終的に失敗に終わったあたりからロペスの地位が危うくなり始めた。ゴルドバのムハマンド5世を捕らえるように王から命令されたロペスは、その命令を遂行しなかったために王の怒りを買ったが、すぐに信頼を取り戻すことができた。ロペスは、王が戦争に明け暮れていた間ずっとペドロ1世に仕え、王の死後も引き続きエンリケ2世に反抗し続け忠誠を維持した。ロペスは軍を率いてモンティエルにやってきたが、そこではペドロ1世が庶兄や傭兵軍団に追い詰められ、もはや何の手出しもできない状態となっていた。なぜなら、王はすでに殺されてしまっていたからである。(1369年3月23日)
王死亡の情報を知り、ロペスはカルモナに戻り、城砦と財産の確保に努めた。カルモナ住民に対し、王の亡き後は王の子供が王であること、また、町を上げて王の遺児たちを守ることなどを語った。一方でエンリケ2世はスペイン中でその勢力を拡大していった。ロペスが反抗に殆ど意味がないことを悟ると、生存者の命を助けるという条件で、カルモナの門を開け全財産を譲ることをエンリケ2世と合意した。しかし、ロペスはセビリアに移動させられた後、ペドロ1世の大臣を務めていたマテオ・フェルナンデスと共に斬首されてしまった。
ロペスはサンチャ・カリリョとの結婚でレオノール・ロペス・コルドバが生まれた。レオノールはペドロ1世の孫であるカタリナ・デ・ランカスターの侍女の1人となり、15世紀のカスティリア王国における政治に大きな影響を残した。レオノールは、回想録をいくつか書いており、それらはトラスタマラ朝初期のカスティリア王国におけるロペス家の苦難の記録となっている。
サンチャとの結婚でロペ・ロペス・デ・ハロも生まれており、1367年にペドロ1世から多様な特権と物品が贈られている。特に、長男であるためその特典として、たとえばルーブル、オルティゴサ、カメロ・ビエホなどの町が贈られた。
++++++++
あ!「アンヘラ」読みました。確かに可愛らしいアンヘラですが、青池先生は「性悪女」を描かせたほうが上手いような気がするのは私だけ?
ところで、このページ、そろそろ別ページが必要ではないかと…。お、重い…。
名前やあだ名が王様とおそろいの、ポルトガルのペードロ1世も、イネス・デ・カストロの死後に、正式な王妃にしてしまったようです。
Wikipediaのポルトガル王妃のリストには、ペードロ1世の王妃としては、イネスだけが載ってます。
http://pt.wikipedia.org/wiki/Lista_de_rainhas_de_Portugal
もっとも、こちらの場合は、ペードロが王位に就いた時、イネスだけじゃなく、彼女が侍女として輿入れに付いてきたコンスタンサも、亡くなってたわけだけど(苦笑)。
でも、ペードロ1世の後を継いだのは、コンスタンサの息子のフェルナンドなのですね~。
イネスを王妃にしたので、それでとりあえず満足したということかしら?
このコンスタンサ、エンリケの奥方のホアナ・マヌエルとは腹違いの姉妹なんですね。
で、ペードロに嫁ぐ前にアルフォンソ11世と結婚していて、そちらのほうは無効になっていたらしいです。
彼女が4歳かそこらの時というから、年が若すぎたのか?(苦笑)
ところで、ポルトガル王妃のリスト、ポルトガル語版やスペイン語版は画像付きです。
フィリパや悪妻レオノール・テリェスの画像も見られますよ(笑)。
なるほど~植物油使用なんですね、お肌に優しそう
オリーブもカスティリア南部なら栽培出来そうだし、王様の農園で作られたオリーブで石鹸が作られていたりして??
ロペスの製粉所といい、石鹸と言い、何気に王様ってサイドビジネス上手?(爆)
この資金を元手に戦争をしていたのね~
>アンヘラ
おぉ~とうとうお手元に届きましたか!!
ね~近年まれに見る可愛いさでしょ?アンヘラ
ホアナ・デ・カストロも可愛かったけど、こちらのアンヘラの方が自分の意思がしっかりしてて更に愛くるしいです
王様が躊躇った気持ちがなんか判る・・・(笑)
ウィキ(英語版)に出てました。私がアメリカで廉価で買っているのはココナッツオイルベースのカスティリア石鹸です。オリーブベースは高いのです。
ところで、とうとう出張者がアメリカにやって来て「アンヘラ」をゲット!今は仕事中で読めないのが辛い!つい手が伸びそうになります。
おお~これにはブランシュ姫の他にちゃんとホアナとマリアも載ってますね~
しかもホアナと離婚したすぐにマリアとなんて・・・(苦笑)
ブランシュ姫のとこは王妃になった日は書いてあるけど、それが解消された日が書いていないところを見ると、やはり王様重婚説支持?(苦笑)
まぁ王様の結婚遍歴を考えるとこえいう形でしか表記できなかったのだと思いますが・・・
>他の二人との結婚は無効
なんか、ヘンリー8世のお世継ぎ問題を思い出しました(苦笑)
愛するものを妻にしたい、愛する子を跡継ぎにしたいという気持ちはいずこの国も同じなんでしょうかね(笑)
>エンリケ陰謀説
これは多いにありえそうな・・・
庶子であり王位簒奪者であるエンリケが正当性を主張するには、いかに前王ドン・ペドロが王として相応しくないかを主張していたと思いますから、王様に不利益になる資料は取っていても、王様を擁護する資料は抹消していたと思いますもの・・・
エンリケならやりかねなくない?(爆)
http://pt.wikipedia.org/wiki/Lista_de_rainhas_de_Castela
また、スペイン語版Wikipediaのマリアの記事中では、亡くなった翌年にセビリアで召集されたコルテスで、「マリアが最初で唯一の妻であり、他の二人との結婚は無効」というのが宣言されたとなってます。
(↑「Descendencia」の上あたりを参照)
トレドから大司教をわざわざ呼んで証言させたのなら、もう少しちゃんと資料が残っててもよさそうなものだけど、王朝交代のどさくさで、有耶無耶にされちゃったのかしら?
例えば、エンリケにとって都合のいいように・・・とか?
「アルカサル」関係のブックマーク、いまだに増殖中です。
少し整理しないと、何が何だかわからなくなってきてます~(苦笑)。
ほえ~そいえば名前だけは聞いたことがあるわ!!「カスティリア石鹸」!!
これが王様印なんですか~!
なんか王様と石鹸と聞くと、アラブ風の浴室でモーロ人に体をこすってもらっている王様が脳裏に浮かびます。
たっぷり石鹸を使ってお風呂を楽しんだんでしょうね~
>ウール
あはは(笑)ありました!ありました!
浮気を問い詰められるのを牽制して、子供達に子羊をプレゼントしてましたっけ
何気に王様つて女性の心を掴むプレゼントのセレクト上手ですよね~
ドレスとか宝石のセンスも良かったみたいだし(マリア談)
こういうのもモテた要因のひとつ?!
>アップルパイ、アップルドーナッツ、アップルサイダー、ブルベリーパイ、ブルーベリージャム
なんか私の好物ばかり(爆)
アップルパイには目が無いのでございます~!!
でもそんなに甘いのですが?
そっか~アメリカ人のあの体型は糖質脂質のとり過ぎにあったのか・・・。
米国製で「カスティリア石鹸」???
カスティリア石鹸の定義っていつたい何なんでしよう??
てっきり作られたところだと思っていましたが、それだと違いますよね~
そういえば「マルセイユ石鹸」というものありますよね?
それぞれ違うんでしょうか??
>サイト
ありがとうございます!!
うわ~あちこちに飛べるので便利ですね!これ。
ほんとだブランシュ姫だけだわ
やはりの妻は1人という考え方なのかな~??
ペドロ1世の妻がブランシュになっているのは、マリアが最後の最後まで正妻として認められなかったという意味でしょうか?それとも、カトリックなので妻はとりあえず1人ということなんでしょうか?
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Castilian_Queen_Consorts
でも、日本のおみやげ茶菓に勝るものなし! 出張者からいろいろなものを頂くのですが、静岡のお茶とか上品な日本菓子は、泣けるほど嬉しいです。チビチビ食べるうちに賞味期間が切れてしまうこと多々あり。(でも食べちゃう。もったいない!)
全然気付かなかったのですが、我が家で使っている石鹸、カスティリアって書いてあります。米国産ですが、カスティリア石鹸だそうです。お得なお値段で泡立ちよく、愛用してます。
この石鹸、オリーブ油を使って作るらしいですね。
オリーブは、昔からアンダルシア地方の主要な産物の一つらしいから、ロペスの領地だったビリャフランカ・デ・コルドバでも栽培していたかも~(笑)。
ファッション関係なら、やっぱりメリノ・ウールでしょうかね~(笑)。
マリアのご機嫌取りに、娘達に子羊をもらってきたことがありましたよね~(苦笑)。
>将門煎餅
茨城に来るまでは、私も知らなかったんですよ~(苦笑)。
実は、うちの近所のスーパーでは、煎餅コーナーでもあまり目立たないところに置いてあったりします(爆)。
私が買ったのは「薄焼きタイプ」だったのですが(それしか置いてなかったので)、あれで薄焼きなら、厚焼きはさぞ堅かろう・・・と思ってしまいました~(苦笑)。
王様って亡くなった日がインパクト強すぎて、誕生日って陰が薄いかも~(苦笑)
そういう私も青池トピも知って思い出したのでした~(爆)
>将門煎餅
私は戴くまで、その存在すら知らなかったのですが、結構有名なお煎餅なんですか?
草加煎餅とはちょっと違いますよね?
程よい硬さで美味しかったですよ~
>王様印
う~ん・・・なんだろう???
食べ物にはこだわりは無さそうだけど、お洒落にはこだわりそうだから、ファッション関係とかありそうですよね?(笑)
ダメじゃん、自分!!
カステラと聞けば、この頃じゃ頭の中で「菓子屋のロペス」がウロウロし出すし~。
重症ですわ~(苦笑)。
「じゃがポックル」の実物は見たことありませんが、「将門煎餅」なら昨日、茨城在住10年目にして初めて買いましたよ~。
地元民って、こんなもん(苦笑)。
王様は、セビリアあたりじゃ善い王様だったといわれているらしいけれど、ペドロ印のものって何かあるのかな~?
おお~!!じゃがポックルいただけたんですね~
良かったですね!!
サクサクしてて芋感たっぷりで美味しいでしょ?
私も大好きなんですが、この「じゃがぽっくる」北海道でも売られているところが限られているのと、なんか口コミで有名になったせいでなかなか手に入らないのですよ~
この間のオフ会の時も本州組の方が揃って撃沈・・・お1人などは目の前で売り切れたらしい(苦笑)
話題性もあり、土産にいいのかもしれません
あぁ・・・少佐にも出させてあげたい(爆)
>ロペス
そっか~長女ベアトリスとポルトガル王子の婚約にはロペスが奔走していたのね~
ほんと「調停役」の名に相応しい活躍
それにしてもこの時代にも「プロパガンダ」
があったとは・・・いつの世にも情報を握るものが世を制するんでしょうか?
エンリケ側の参謀って実際は誰だったんでしょうね~
ガスリンは傭兵でそんなトコには活躍しそうにないし・・・
そっか・・・2つの騎士団長になったロペスだけど、あくまでも騎士団長は国王が任命するものなんですね
ペドロ王が追放されたら、エンリケがそれを黙ってみていたわけがないのか・・・
教会側を味方につけていたことでしょうし、なんかこういうトコにもしたたかさを感じますね
さぁ今日はカステラでも買って王様の誕生日を祝おう(笑)
ところで、明日はボウズと一緒に遊園地に行きますので会社お休み=ここにも来る事ができません。
++++++
ロペスの死後はペドロ・ムニス・デ・ゴドイが継承したが、もともとロペスの騎士団長の地位はペドロ4世から問題視されていたという。
ロペスが携わった外交任務
王国の支配をめぐるペドロ1世とその庶兄エンリケ・トラスタマラ伯爵との間の確執はペドロ治世にとって大きな問題であった。突破口を得るために、エンリケはフランスの援助を得、そのことがペドロの耳に入るや、ペドロはロペスをロンドンに送り込み英国との同盟を得て、ヘンリー3世がアキテーヌでフランス軍と対峙するよう工作を図った。
英国とスペインの同盟を図っていたロペスは、ヘンリー3世に軍をフランスの南東部に送り込ませることに成功した。そうすることで、自分の船を戦争に参加させずに済むところであったが、この計画は失敗に終わった。その原因は恐らく軍の配備が予定通りに進まなかったからだと考えられる。
ロペスが携わったほかの仕事の1つに、庶兄エンリケが吹聴して回ったプロパガンダを正統カスティリア王家として英国王家に対して弁明をすることがあった。特に、ペドロ1世によるサンティアゴ騎士団長であったトラスタマラ家のファドリケの処刑に関して、エンリケがこの処刑を反ペドロ1世のプロパガンダとして大きく利用する一方で、ロペスはその正当性を力説した。
ロペスはついに、英国王の前で、カスティリア王家とイギリス王家の婚姻による同盟の確立の利点を説いた。つまり、ヘンリー3世の子供達をペドロ1世とマリア・デ・パディリアとの間に生まれた娘達(カスティリア王国の正統な相続者達であるコンスタンザ、ベアトリス、イザベル)と結婚させることで、同盟関係が強化できることを主張した。
ロンドンでの外交活動以外にロペスは、1366年にポルトガルにも派遣されている。そこでロペスは、すでにカスティリア王国に侵入しているエンリケ庶兄指揮の傭兵(ガスリン指揮のホワイトカンパニー傭兵軍団)に対抗すべく、ポルトガルから援助が得られるよう要請している。ロペスはこの外交活動にマテオ・フェルナンデスを同行させ、カスティリア王女ベアトリスとポルトガル王子フェルナンドとの結婚話をまとめた。
マルティン・ロペス・デ・コルドバの没落
1366年5月16日、カラオラにおいて、エンリケ2世は自らが王であることを宣言した。一方、ペドロ1世は勢力を失いバイヨンヌにてヘンリー3世の息子黒王子からの援助を工作中であった。王子から5000フローリンと軍隊を借りることに成功した。ロペスは再びマテオ・フェルナンデスを伴ってバイヨンヌに参上した。
エンリケ2世は、まだペドロ1世が存命中にアルカンタラ騎士団長としてペドロ・ムニス・デ・ゴドイを任命した。一方、カラトラバ騎士団長はすでにアラゴンで新たに任命された。
アルカンタラ騎士団に2人の騎士団長がいることが騎士団の規律を混乱させたため、法王庁による介入が行われることになった。
ところで、アメリカの場合、車で10時間以内の場所は普通に車で行っちゃいます。それを超えると飛行機です。ちなみに、私のところからシカゴまで5時間です。クルーズコントロールを使って運転するので、楽チンです。でもお尻は痛くなります。
では、また新ネタを探します。
車で4時間ですか・・・日本にいると「遠い」ところなんでしょうけど、広大なアメリカでは4時間だと近いうちにはいるのかな?
へぇ~そんなにそちらにはドイツの方がいらっしゃるんですね~
黒サングラスにスーツという不思議な方たちはいませんでしたか?(爆)
どうやら、ベルメホ=アブー・サイド(=モハメッド6世)で間違いないようです
ほんといろんなことがわかって来て楽しいですよね~
ということで、知らないうちにどんどんお話が展開してしまっていますね~。頑張って挽回しようと思います。少々お待ちください。
ええええ~!!あの面構えで享年30歳なんですか~!
ってことは王様より若くして死んでるの?
ロペスよりもずっと若いなんて~!!
ヒゲの魔力恐るべし!
いやハーレムの女性といたし過ぎて、精力でも奪われていたのだろう(爆)
手負いの王様に負けたくらいだし~
>アルハンブラ宮殿
ほんとだ~ウィキによると「赤い要塞」の意とありますね~
ムハンマド5世に拡張されたとありますが、丁度王様の時代ですもんね~
赤い壁はかなりにインパクトがあつたのかも~
>マリア・コロネル
私も見ました~
機械翻訳にかけだむちゃくちゃな和文になってちんぷんかんぷんですが、かろうじて最初の行の「王様から逃げた」とこだけは読み取れた
>アルバール・デ・グスマン
へぇ~アルドンサの夫の名前は作中と同じなんですね~
「アルカサル」では処刑されたアルバールですが、実際は生きていたとは・・・妻が王様の愛妾になったと聞いてどんな気持ちだったんだろう???
ヤキモチ焼きのアルバール
アルドンサとマリアのコロネル姉妹の話
作中では見事な2人がMIXになってますね~
http://www.ebiografias.com/85292/Muhammad-VI-Sultan-de-Granada.htm
ふむふむ・・・30才でとは、結構若死にだったのね~。
お髭のある方は、どうしても老けて見えますね(苦笑)。
「ベルメホ」は渾名のようですが、もしかして髪の毛が赤っぽかったのかしら?
「アルカサル」作中でも、なんとなくそんな感じに見えません?
>赤い城
これはグラナダのアルハンブラ宮殿のことじゃないかと思います。
もし「アルカサル」絡みでスペインに行くなら、コースに入れたいところの一つ(苦笑)。
余談。
「el rey Bermejo」でググるとですね、3番目くらいに「マリア・コロネル」の記事が引っかかってて、アブー・サイドのことはちょろっと書いてある程度なんですが・・・。
上のほうの太字の部分に、マリアのことを「王のセクハラから逃れた女性」なんて書いてあるんですよ~。
確かにそうかもしれないけどさ~(泣)。
それから、アルドンサの夫のアルバール・デ・グスマンは、妻を置いて自分だけ逃げちゃったらしいです・・・。
>チョーサー
あらま。弟じゃなくて夫でしたか~。
最近、記憶力に自信がなくなってきてますわ~(苦笑)。
うわ~天井が落ちてきたんですか!!
落ちた部屋に居なかったのが不幸中の幸いでしたね。
怪我がなくて何よりでした
貼ってくれたリンクの映像みさせて戴きました
英語が待全くダメダメなので、ヒヤリングは出来ませんが、なんとなーく「アルカサル」が映像化されたらこういう感じなのかな~という視点でみてました。
あのイタリア映画もこんな感じなのかな~??
>ベルメホ王
私もさっぱり判らないので、「el rey Bermejo」でググって見たところ、王様に関係がありそうなページに当たりました。
http://links.jstor.org/sici?sici=0026-8232(193408)32%3A1%3C67%3ALDLPOP%3E2.0.CO%3B2-0
こちらは機械翻訳が効かないので何とか書いてあるか判らないのだけど、「残酷王」の表記があるので王様のことだと・・・。
もう1つ
http://www.portalmalaga.com/zonas/el_burgo.shtml
(これは中ほどのHistoriaの部分)
機械翻訳なのであやふやですが、これによるとペドロ王がRed王(el rey Bermejo)に対してモハメッド王を助けたと解釈できそうなんですが、そうなるとel rey Bermejo=アブーサイド?のことなのかしら??
でもウィキなどでグラナダの歴代王を見ても
アブーサイドもモハメッド6世(ムハンマド6世)という表記でベルメホとは書いていないんですよ~
謎です・・・
>製粉所の経営で潤って、カスカヤールを買ったのは本当らしいです
真面目な男で経営は下手かなと思っていたら、中々やりますねぇ~ロペス(笑)
やはり長男不在の家で切り盛りしていた才能がそこでも役に立ったか!?
苦労人だからの~(爆)
あっ、「お菓子屋」じゃなくて「調整役」の意味もあるんだ~
機械翻訳では「お菓子屋」しか出てこなかったから判らなかった(苦笑)
でもお菓子屋と調整役が同じ単語だなんて、まるで「飴と鞭」という言葉が脳裏をよぎる・・・(爆)
ご褒美があると人間って頑張れるものです
>ベルメホ王
やはり~ベルメホ=赤い王=アブー・サイドでいいんですね~
最初機械翻訳をかけたら「赤い王」と出で、思わず「BASARA」の朱理を思い出した私。
そんな訳ないっちゅーの!!(爆)
赤い王かベルメホという表記がどこかにないかコミックスを調べていたら、8巻の中のアラゴンとの戦いの中、グラナダの裏切りで勝利目前の戦いを辞めざるを得なかった王様がの心情で「赤い城」(アブー・サイドの居城を指していると思われる)という表記がありました
赤い宝石といい、アブーサイドが「赤い王」と表記される意味もこの辺りと関わっているのかもしれませんね~
あ~海外のサイトも読みこなせるような語学力が欲しい!!
翻訳コンニャクを出して~ドラえも~ん!!
もともとの単語「repostero」は、翻訳サイトによっては「seaman steward」になるんですね。
「菓子屋」とはかけ離れているな~と思って、私も辞書を引きました。
んで、KE007さんと同じように「confection」に「調整、調合」の意味があると知り、「seaman」のほうは水夫ですから上手く操縦しなくちゃ船が沈んでしまいますし(苦笑)。
というわけで、「采配役」とか「舵取り役」みたいな意味になるのかとに思ってました~。
ところが~。
「repostero mayor」で検索したら、こんなのが引っかかってしまいまして(笑)。
repostero mayor.
1.m. Antiguamente, en la casa real de Castilla, jefe a cuyo cargo estaba el mando y gobierno de todo lo perteneciente al ramo de repostería y de los empleados de ella, y era persona de las principales familias de la monarquía.
Wikipediaスペイン語版「repostero」にも、似たような記述があるのですが、要するに、物資や人員の補充担当ってことなんでしょうか?
なんだか、本当に「お菓子」とも関係してるのか?と思えなくもないですな~。
論文によると、ロペスの宮廷での存在は1353年から記録されていて、王様の「camarero(給仕)」となった年・・・とあったので、その頃王様にもらったのが製粉所だったというのも、もしかして役職と無関係ではなかったのかな~なんて考えたり。
なにしろ、1357年頃までに3カ所ももらってますし。
王宮に納入する粉類を自分のところで扱っていたんだとすれば、領地を買えるくらいに儲かったとしても不思議じゃないかも~(苦笑)。
>ベルメホ王
サイトによっては、「Red King」となりました。
これは、王様にでっかい宝石をとられちゃったあの人のことだと思われます。
「アルカサル」作品中では、戦闘中に王様とやりあって・・・なので、最初は「暗殺された王様って誰だっけ?」って思いました(苦笑)。
>チョーサー
コンスタンシアの英国生活を牛耳っていたという、侍女頭の弟・・・でしたっけ?
もしかしたら、外伝に出てくるかもしれませんね。
だそうで、場所は英国とは言え、スペインにも通じるメンタリティーを学ぶことができるような気がします。以上、ちょっとした余談として。
ところで、天井、直りました。アパートの管理事務所に苦情の手紙を長々と書いてFAXで送りつけてやったらさっさと直してくれました。
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1357年にギレルモ・デ・ラ・ユジが提案した政治的仲裁案により、チュデラにおいてペドロ1世とアラゴン王国の儀式王ペドロ4世が1年間の休戦条約を結んだ。この頃に王の腹心としてマルティン・ロペスが始めて年代記に姿を現し始めた。ゲルニカ会議によってホアン王子が主張していたビスケー地方の支配権が拒否されたため、王子が提示した妥協案で双方の合意が得られるようロペスは尽力したが、王子が以前約束したのとは裏腹に、ビスケー地方はカスティリア王国のものにもならなかった。また、マルティン・ロペスはどうやらやら、同年6月のホアン王子の死に直接しているようである。ロペスは、1359年にカスティリア軍を展開させ、ガレー船団にアラゴン沿岸の攻撃を指示し、バルセロナ港を3日に渡り攻撃し尽くした。少しずつ宮廷内のおける地位が高くなってゆき、1360年には王の直参に任命された。これは、前任者ホアン・フェルナンデス・イネストロサの死を受けての人事で、これ以降ロペスはペドロ1世の治世が終わるまでこの役職を維持することになった。
ロペスはペドロ王の命令により、敵から城を奪回しトレドのギティエレ・フェルナンドスを処刑した。奪回した城の中にはモリナの城砦も含まれていた。また、ゴメス・カリリョの妻(愛妾?)とその子供達を捕らえ処刑することも命じられ、ロペスはその命令をソリアにて執行した。大臣ロペス・デ・アヤラの年代記によると、ロペスとマテオ・フェルナンデスは王の公使としてメディナ・ソディニアに行き、自らの夫によって幽閉の身となっていたブランカ王女が王を侮辱するようなことを言っているかどうかを調査し、そのような事は無いとの結果が報告されたと書かれている。1362年、ロペスはペドロ王直属の調整担当家臣となり、対アラゴン戦略におけるナバールとカスティリアの同盟のお膳立てを行い、成功を収めている。同年、ペドロ王とグラナダ王国のムハマンド5世との間の対ベルメホ王戦略のための同盟のお膳だても行われた。その結果ベルメホ王は当時ペドロ王のいるセビリアに訪問するに至った。
当初ペドロ王もベルメホ王のことを気に入っていたが、裏ではロペスにベルメホ王の本意を探るよう命令し、最終的には2日間の投獄の後ペドロ王の命令により、ベルメホ王はロペスによって殺害された。
騎士団長としての地位
1364年、和平は崩れムルビエドロで戦闘が始まり、ペドロ王はバレンシアで戦力を展開した。ロペスは王の命令でアルゴンの儀式王ペドロの軍勢2000騎に対抗した。ロペス軍はバレンシアに大挙して雪崩れ込み、カスティリア王国の国境線まで敵を追い込んだ。この年あたりでアルカンタラ騎士団長ギティエレ・ゴメスが死亡したため、ペドロ王はロペスをその後任に任命した。この任命は1365年に行われた。ロペスは次に、アルゴン王をけん制する為にムルシア領主に任命され、そしてオリウエラの統治も任された。ロペスはペドロ・マルフェイトに代わるアルカンタラ騎士団の副官としてアンドレス・ペレス・フォルメンテラを任命した。
オリウエラを征圧の後、ロペスは新たに征圧した各王国領に秩序が保たれるよう策を講じ、ムルシア市長のアルフォンソ・デ・モンカダには、いつアラゴン軍が攻めてきてもいいようにしっかりと準備を整えておくよう指示した。この命令を受け取ったアルフォンソ市長は、橋に繋がる扉以外は全て締め切るよう町にお触れを出した。2つの橋には3人ずつの見張り番をつけ、さらにサカチョ港とトルレ・デ・マタには歩兵をおいた。
ロペスは王の手紙を持ってムルシアに向かい、グラナダ王国の忠誠の誓いとしてムハマンド5世の親衛隊を連れてカスティリアに戻ってきた。1365年にロペスは、再び、カスティリアへの忠節の褒美としてカラトラバ騎士団長の任命を受けた。しかし、王はこの任命に当たり騎士団長任命の手順を踏まず、ただロペスの働きが素晴らしかったことを根拠に、独断で任命してしまった。
すると3人とも、作中では独身を通したのね~。
そういえば、サンチャをロペスに妻合わせたのって、どうやら王様だったらしいのです。
修道院に入っていたのをわざわざ連れてきて、だそうなので。
なぜサンチャが修道院にいたのか?というのも、ちょっと気になってます。
貴族の娘が修道院で教育を受けるのは珍しいことじゃないと思うのですが、親族が亡くなって修道院に・・・という可能性もあるわけで。
>菓子屋
実は、同じようなこと考えてました~(苦笑)。
ドンちゃんのカステラ屋さんで、粉まみれになって生地をこねるロペス・・・やっぱり大真面目!
カステラの売り上げで、領地を買うのよ!
(製粉所の経営で潤って、カスカヤールを買ったのは本当らしいです)
>KE007さん
大雨で天井が落ちるなんて、災難でしたね。
早く元通りになりますように!
リンク先のクリップ、見てきました。
何を言っているのかは解らなくても、映像を見ているだけでも楽しめますね~。
クリップでちらっと映った、あのシマシマのアーチのある建物は、きっとコルドバのメスキータ(回教寺院)ですね。
カトリックの聖堂に建て替えようとしたところ、工事中に通りかかったカルロス5世が「どこにでもあるようなものを作るために、世界で一つしかないものを破壊した」と、改築の許可を出したことを嘆いたという・・・。
こういう海外の歴史ドキュメンタリー、日本でももっと放送されたらいいのに。
自分は時代物の映画を見ている時など、ストーリーを追うより衣装や背景を見ているほうが好きだったりします(笑)。
「音とい」は「おととい」です。なんというヘンな変換をするのだ、このコンピューターは!
失礼しました。
バケツを引っくり返したような雨が降ったせいで、また雨漏れがして、とうとう天井が落ちてきました。音といの朝方に「ドサ!」という音がするので、息子がベッドから落ちたのかと思い「大丈夫~?」と声をかけると「大丈夫~」というので、そのまま又寝ちゃいました。朝起きてリビングルームに行くと何だか妙に散らかっているんですね。で、ふと上を見ると天井が落ちているではありませんか!散らかっているのは落ちてきた天井が木っ端微塵になって床に散乱していたからでした。昨日は天井の修復交渉で大変でした。
天井災難でヘロヘロになってテレビを何気につけてみると、PBSという日本でいえばNHKのような公共テレビ局でなにやら歴史物をやっているんですね。よーく観るとどうやらスペイン物なんですよ。それは、「Cities of Light: The Rise and Fall of Islamic Spain」という歴史番組!もう見入っちゃいましたよ。もちろんペドロ1世の頃の話もチョロっと出てきました。
歴史を通して、イスラム教とユダヤ教とキリスト教がいかにスペインの中で良くも悪くも作用してきたかという番組なんですけど、うまく融合政策が行われると社会が安定し素晴らしい文化を生み、キリスト教だけとかイスラム教だけとかいう支配者が出てくるとユダヤ人が必ず迫害を受けて社会が荒れたりする様がドキュメンタリータッチで描かれていました。
ペドロ1世の建てたアルカサルの持つ文化的意味合いがきっちり説明されていて、とても嬉しかったです。また、アルカサルと同時期に建てられたと言うエル・レビのシナゴークも紹介されました。きれいな画面でうっとり。天井災難を忘れて浸ってしまいました。
ちなみに30ドルでDVDが出ているとの事で、買うべきかどうか悩んでます。
それからhttp://www.brightcove.com/title.jsp?title=987743883&channel=13763974でいくつか番組紹介のクリップが観られます。アルフォンソ10世による異教徒の迫害や、アルゴン王子フェルディナンドとカスティリア王女イザベラが結婚して異教徒を迫害する場面などがチラッと観れます。
うんとね、「アルカサル」の中でもアルバレスは独身みたいですよ~
確かロドリゲスがアナベラと結婚したとき、アルバレスが凄く羨ましがったのを聞いた王様が「君にもいずれ・・・」みたいなことを言うんですが、アルバレスが「騎士団は生涯独身ですから」みたいなことを言ってたシーンが・・・(たぶん11か12巻)
ファドリケも1巻で同じことを言っていたので、ロペスのの実生年や結婚歴が判って???となった次第で。
ファドリケも愛妾がいて、子供らも不遇どころか、歴史の重要なトコを抑えているし、宗教騎士団って騎士団によってかなり違うのかな?と
同じ宗教騎士団でも「サラディンの日」とはその辺りが全く違いますよね~
>既婚の男性だったという矛盾が解釈を難しくしている
あぁ・・・やはり愛妾というのと正式な妻を持っているちというのではだいぶ考えが変わるんですね~
妻帯が禁じられている僧侶も実際は愛人を持っていたという事も多いですし、親密な女性がいたといた史実より「神の名においての結婚」という部分がウェイトを締めることになるのかしら?
面白いわ~
>「confectioner」
あはは~「お菓子屋」とい意味なんですね~
部下Bが見ていた「カステラ屋ドンちゃん」とも奇妙に一致
この辺りまで熟知して青池さんが漫画を描いてらっしゃるとしたら、凄すぎます(笑)
ってことで、KE007さんに一票(笑)
カステラの語源は「カスティリア」ですから~
王様に頂いた粉で献上品を試行錯誤しながら作っていたのかもしんない・・・(爆)
実際には、系図サイトなどを見る限りでは、3人とも結婚して子どももいたようですが。
Wikipedia日本版の「サンティアゴ騎士団」の記事によれば、中世の終わり頃には結婚も合法だったそうです。
アルカンタラやカラトラバの騎士団の場合は、サンチアゴほど戒律が緩くなかったらしいので、結婚についても違っていたかもしれませんが。
以前話題にしたロペス一家についての論文の中でも、「ロペスの子孫を研究する上では、ロペスが独身を要求する騎士団の団員でありながら既婚の男性だったという矛盾が解釈を難しくしている」・・・というようなことが書いてありました。
ロペスの場合、1364年のアルカンタラ騎士団長就任の時には、奥方のサンチャはすでに亡くなってたらしいですが・・・。
そして実は・・・ロペスにはテレサ・アルバレス・デ・アロという愛人がいたらしいのですね。
その女性がロペスの2番目の妻だという説もあるようなのですが、論文の筆者の方は、ただの愛人のままで結婚はしなかったのではないかという考えみたいです。
>驚愕の事実?
あー、これはですね、機械翻訳の英文の中に出てきた、とある単語が気になってしまって、ついつい妄想が・・・ということなので、新事実というわけではないんです~(苦笑)。
翻訳サイトによっては違う単語かもしれませんが、ロペスの記事の3ページ目あたりの機械翻訳文の中に「confectioner」というのが出てきまして。
たまたま論文のほうでも、ロペスが王様から何かの褒美に製粉所(水車小屋)をもらったというような話を読んでいたので、その単語と結びついてしまって・・・(苦笑)。
何を妄想したかは、ご想像にお任せします~(笑)。
そっか~
私は「プリンセス」は買っていたので、その頃連載していた「アルカサル」は読んでいたけど、「別冊」に移ってからは、連載は読まずにコミックス派になっていたので肝心な未収録部分は読んでいないのです~
エンリケとカタリナの件も青池トピで教えてもらって知ったくらいで・・・
それはそうと私て~~~~っきりロペスってもうコミックス中でカラトラバの団長になっていたと思い込んでいました(汗)
なんか激しい思い込みをしていたようです(汗)
そして今まで気になっていたのが25章にロペスはアルカンタラ騎士団長でもあった訳ですよね?
作中ではアルバレスやファドリケなどのサンチャゴ騎士団は未婚を定義付けられていたのに、ロペスは普通に結婚して子もいたと言うことはアルカンタラとカラトラバ騎士団は普通の宗教騎士団とは違うのかな~とふと思ってしまいました
そして・・・なんですと??
またもや驚愕の事実があるのですか?
機械翻訳ではメチャメチャで意味がさっぱりわからないのですけど・・・
スペイン語から直接日本語に機械翻訳にしている私にはもっとわかりませんがな(涙)
かろうじて生没年と、ドンペドロに忠実だつたということだけは読み取れましたが・・・
KE007さんの和訳によるとロペスってお年の割には昔からの忠臣ではないのですね~
ロペスの実年を考えるとアルフォンソ11世時代からなんらなの知名度があってもよさそうに思えるのに・・・
イネストロサはマリアのの叔父ということでポッと出は判るんだけど、ロペスの実年が判ったことで色々とまた謎が出てきましたね~
それにしても25章にも出てきた「アルカンタラ騎士団」・・・この存在が気になります
これも宗教騎士団って解釈でいいんですよね?
作中では未婚のまま亡くなったアルバレスと違いロペスが結婚していたのに騎士団長になったのは何故なんだろう??
ふとそんな疑問がわいてしまいました
51歳のマルティン・ロペスを想像するのは悶絶…。
++++++
スペイン人。1320年頃貴族として生まれ、1371年セビリアにて没。カスティリア王ペドロ1世に対して揺るぎの無い忠誠心を誓い、その結果、まず王宮における高い地位が確立され、更にアルカンタラとカラトラバ騎士団長の地位を得た。ペドロ王に仕え始めた日は記録として残っていないため不明である。しかしながらロペスの実力はすでに1357年ごろ王宮で広く知られている。1358年には正式年代記の中でその名が語られるようになり、それ以降、短期間とは言えロペスが大いに貢献したカスティア王国の歴史的重要事項にはその名が必ず言及されるまでになっている。ロペスが活躍したのは、アラゴン王国とカスティリア王国、そしてアルフォンソ11世の庶子との間で戦いが繰り返された時代である。1358年頃のロペスは経済的にも十分に力を得ており、カスカヤーの領地を手に入れ、その1年後には、
正式にその地の領主に納まり、近隣50町村の不動産税の免除を行い天領扱いとし、未来のコルドバのビラフランカのもとを作った。アルコセルの司法管轄からは独立した統治となった。
どうやら私、未収録分の記憶がかなり飛んでるみたいです~(苦笑)。
ロペスが、作品中ではスエロ・バルガスの後任としてカラトラバ騎士団長になったっていうのは、ずっと以前から知っていたのだから、読んだハズなんだけどな~??
そうすると、発表済みの外伝でコミックス未収録なのは「アンヘラ」だけ、ということでしょうか?
>ロペスの生年
同じサイトによれば、イネストロサの生年は1320年頃なので、ロペスと同年輩なんですよね~(笑)。
フェルナンド(ロドリゲス)の生年はここでは「?」になってましたけれど、他所では1320年頃でしたし。
「アルカサル」作品中のイメージからは、
イネストロサ>アルバレス>>ディエゴ兄>王様=ロドリゲス=ロペス
かな~と思っていたのだけど、実際にはずいぶん違ってたのね~(笑)。
ところで、ただ今ロペスの記事のスペイン語→英語の機械翻訳と格闘中なのですが、途中に出てきた某単語のおかげで、脳内イメージのロペスが妙なことになってきてます・・・(苦笑)。
そうそう!!
来月発売予定の「アルカサル」13巻なんですが、お値段が税込み600円なんですよ~
たいていプリンセスコミックスは200p超で420円なので、私は未収録3話+完結編(前後編で計200P)が入って300pくらいの厚いコミックスになるのではないかな~と推測しているのです
あっ今ゴールドの予告を見ましたら、やはり300P(しかも「完」の文字あり)と書いてありましたわ~
ちなみに2008年には「アルカサル」外伝も執筆予定みたいです。これと「天使の飛翔」合わさって14巻になるといいですよね~
(1)ドン・ペドロ アラゴン軍に大勝しバレンシアを征服
(2)マルティン・ロペス カラトラバ騎士団に任命される
(3)ドン・ペドロが建設した王城が完成する
となっています。
皆さんが言っておられる通り、別冊姫誌の廃刊でこれらの話は12巻から漏れ、宙ぶらりんになっていたんでしょうね。そうすると、これらの話が13巻に入るという解釈でいいんでしょうか??? 12巻の終わり方と完結編(上)は何だかうまく話がつながってなくて違和感を感じていたのですが、これでやっと真相がわかった気がします。(って、大はずし???)確か、13巻っていつもよりページ数が多いんでしたっけ???
は~い!!キャラブック持ってますよ~!
そうなんです、コミックス未収録部分がその部分なのですよん
外伝というより、「アルカサル-王城」が別冊プリンセスで連載していた最中に、掲載誌が廃刊(休刊?)になり、それまで順調にコミックス化していたのが当時連載されていて12巻に収録できなかった分が中に浮いてしまったのです。
なので来月に出る13巻部分に思いを遂げたエンリケの話などが収録されると思っているのですが・・・
ただ今まで秋田書店の通常コミックスは1冊200pちょい。(420円)
ボニータαなどの厚めのコミックスで280p(540円)ちょいなので、来月発売されるコミックスのお値段から考えると280~300p位のコミックスになるのでは?と思ってます。
完結編だけで200p使うことを考えると残り約80~100p位がこれらの部分じゃないかな~と
うう~楽しみ!!
凄い!!とうとうロペスの生年まで突き止めちゃったんですね~!!
ふむふむ・・・・えっそうなると亡くなった時って51才なの?ロペス。
娘のレオノールの年を考えるとずいぶんと遅い子だったのね。
王様が35才で亡くなっているんだから、王様が死んだ当時、49才。
14も年上なのか~どうりで落ち着いているはず
漫画では同年代くらいかと思っていたから、実際は王様とイルストロサ宰相みたいな関係だったのかもね
>ロドリゲスなど、たったの3行
あんなに忠臣なのに・・・気の毒だわ、ロドリゲス
「アルカサル」本編はずっとリアルで読んでいたので、12巻に続く未収録分(エンリケとカタリナの一件)があるのは知ってましたが、ロペスが騎士団長になった話は記憶にないです~。
今回の姫金に再録されたアンヘラの話以外に外伝があったとすれば、どこか別の出版社から発表されたか、これから出る分ということでしょうか?
いずれにしても、楽しみですね~(笑)。
ロペスといえば、初めて生年の書いてある記事を拾いました。
例によってスペイン語なので、全部理解するのはなかなか難しそうです(苦笑)。
http://www.ebiografias.com/73894/Lopez-de-Cordoba-Martin.htm
しかし~、ここでも父より娘のレオノールの記事のほうが、やっぱりやっぱり多かった(苦笑)。
そしてロペスの生年、他の説が見つかっていない今の段階では、個人的にはちょっと複雑かも・・・。
こちらのサイトでは他に、マリア・デ・パディーリャ、宰相イネストロサ、カストロ兄妹、アルドンサ・コロネルの記事も見つけましたが・・・ロドリゲスなど、たったの3行で終わっちゃってます(涙)。
ご存知でした?
なるほど~!!という事はペロ・カリリョとサンチャ・デ・カスタニェダの間にはゴメスという息子がいたのですね~
KE007さんが教えてくれた既出のウラカ・カリリョという王様の愛妾にもなった女性はもしかしたら、サンチャとの間の子ではないのかも・・・
さすがパリ仕込みの愛の伝道師!カリリョやるなぁ(笑)
>ロペスの叔母
ほんとだ~ペドロ・ルイス・カリリョの娘の中に「マリア・ルイス・カリリョ」という人物がいますね~
>ガルシ・ラソ・カリリョの妻
おお~ホントだ!!「マリア・デ・パディリアの従姉妹のマリア・で・イネストロサ」とかいてある~!!
まさしく王様の愛妾になったマリアと同じ・・・
ってことは王様からガルシ・ラソに降下それたのかしら?
それともマリア・コロネルの様に未亡人になってからとか?・・・まさかイネストロサ宰相の手前もあるし略奪愛ではないよね?
(でも王様ならやりかねない・苦笑)
なんかこの辺りの血縁婚姻関係って編み目のようで見ててグルグルして理解するのが大変です~
あ~このサイトって以前、B型さんが「悪い魔法使い」ぽい王様の肖像を教えてくださったところでですよね。
王様の人生が縮図の様に書かれていて、私にはとても判りやすいです^^
ここでも王様の愛妾はマリア・デ・パディリアの他は
・Juana de Castro
・Isabel de Sandoval
・Maria de Hinestrosa
・Teresa de Ayala
の4名なんですよね~
あっでも今気が付いた、テレサ・デ・アラヤにもマリアという女子が居たという事は庶子を産んだ愛妾がこの4名と言うことか・・・。
でもKE007さの和訳でもアルドンサという愛人が事実だという事もわかったし、王様には一体何人いたんでしょうね~(汗)
精力絶倫だの~王様(苦笑)
化けたところは、
Cas? → Casó
G?MEZ → GÓMEZ
と読み替えて下さいませ。
Cas? con: = marry with にサンチャの名前が続き、
Padres de: = parents of に続く、次の赤文字の名前の人物、
IX - G?MEZ CARRILLO. が、後を継いだ子ということになるんじゃないかな~。
ここの説明だと、ペロには子供が一人しかいなかったか、名前が一人しかわかってないということみたいですね。
ところで、同じページの下のほうにカリリョ・デ・コルドバというグループがありますが、その中のマリア・ガルシア(一番下の赤文字の人物)は、レオノール・ロペスの伝記に登場する、母方のおばさんじゃないかと・・・。
夫と息子の名前が、伝記に登場する人物名と一致してます。
マリア・ガルシアの兄(弟)、ガルシ・ラソ・カリリョのところに妻:マリア・デ・イネストロサの名前もありますね(笑)。
しかし、肝心のサンチャの名前は、何故か見当たらないのです(涙)。
>アンヘラ
ゲットされましたか~(笑)。
うんうん、彼女はカワイイですよね。
宮廷には、いそうにないタイプかも~。
ほんと、「アルカサル」作中の王様はあんなにカッコいいのにな~(苦笑)。
私も無事に今日ゲットしました~
「指輪物語」は読んでいたので未読の「天使(アンヘラ)の飛翔」をば。
KE007さんが未読なので詳しいことは書きませんが、アンヘラが可愛いかった~
青池さんの女性キャラであんな可憐な女性は珍しいのでは?と思っちゃったわ
やっぱりこれはちゃんとコミックスに入れて欲しいなぁ~そのウチ先生の日記で何か説明があるといいですよね
>ペロ・カリリョ
うわ~こちらのサイトにもその旨が書かれているなんて~
やはりあのことは一線を越えちゃったということなんでしょうかね??複数のサイトでカタリナ(ホアナ)の事が書いてあると信憑性は増しますよね~
それはそうと
「SANCHA DE CASTAÑEDA.Padres de : 」という部分ですがペロ・カリリョの娘がサンチャってことなんですか?それともそれとも妻がサンチャ?
Padres deって親になるって意味ですよね?
お~9月まで読めないのですね~
私「アンヘラの飛翔」は別プリに掲載していた時は見逃していたんですが、いいお話どす~
情けない25章の王様と別人みたいにカッコよいので、楽しみに待っててくださいませ~
それはそうと25章の和訳ありがとうこざいました
機械翻訳であやふやだったところが判り、すっきりしました。
王様~!!
そんな責任転嫁するようなこと言っちゃダメだろぉぉ~!!
外の上に立つものが言っちゃいけない言葉だよね~あれは。
しかもその後はロペスに丸投げ出し・・・
ほんと一生懸命忠節している騎士のプライドを粉々にしていますもんね~これが原因ならディエゴ兄の気持も少し変わるぞ!うん!!
まぁ、アヤラが書いた文なら・・・こういう部分も仕方がないのかな?(苦笑)
王様・・・ピンチの時にお城の装飾ですか(汗)
ガラガラ~と王様のイメージが崩れております
もう1回「アンヘラ」を読んでカッコいい王様に浸ろう(苦笑)
このサイトにもちゃんとホアナとの疑惑に関して書かれていますね。その疑惑のために処刑されたとなっていますし。やはり、これは正式な話なんですね。凄い!
ところで海外にいる私は姫金は9月まで待たなければなりません。すでに出張でこっちに来る人にお願いはしてあるのですが…。その出張が実は確定していないんです。読みたい!
++++++
再び首都にて短い休みを取った後、王は、つい最近不名誉かつ不必要にそこから退いたばかりなのにもかかわらずまたオリエウエラ攻囲という異常な戦略にでた。対戦中の家臣たちがムルビエドにいたが、王は彼らを助けにいこうという気持ちさえ見せなかった。オリエウエラはカスティリア軍によって陥落したにもかかわらず、攻囲されているムルビエドからの援軍クエストは完全に無視された。最終的にムルビエドは陥落してしまった。飢餓発生のため、攻囲軍が篭城軍と条件を取り交わして降伏となった。降伏の条件は名誉を重んじる内容で、600人余の守備装甲兵とそれと同じ数の歩兵がエンリケ軍によって前線に連れて行かれた。その途中、このずる賢い王子は、フランスの宮廷で身に付けた優雅さと、勇敢な騎士でありながら腰を低くして、捕虜達にペドロ王への忠誠をあきらめ、エンリケ軍に寝返るよう口説いた。そもそも戦時には約束、気遣い、親切などというものは無いに等しい行為であるが、エンリケは、ムルビエドの戦いで悲しみすっかり打ちひしがれてしまった勇者達の面倒をきちんとみてやった。負傷者は手厚く看護してやり、彼らの勇敢な攻防を賞賛した。そして、捕虜達と話すときには必ず、新たな時代がもうすぐやってくるかもしれず、そのときは自分が統治者になるかもしれないことをさりげなくほのめかしたりもした。カスティリアから半ば見捨てられて捕虜となった戦士たちは、エンリケのたくらみの罠にうまくはまった。捕虜達の目にエンリケは、言葉無く短気かつ残酷なペドロ王とは全く違って映ったに違いない。
エンリケは、獰猛で鳴らしたフリー・カンパニー(用兵軍団)達が援軍のため地響きをたてながらフランスからこちらに向かっていることを捕虜達に語った。
自らの主人からは何も援助が無く何ら有効な抵抗をしようとしなかった王にがっかりしただけでなく、何度も繰り返される残酷さにすっかりうんざりしている捕虜の騎士達に対してエンリケは、ガスリンやカルバリーのヒューなどといった勇者達の武勇伝をその光景がまざまざと想像できるように聞かせてやった。そして、ついには、「誰であれ、今この時点を以って、ペドロに不満を持った者、ペドロより寛大で王の名にふさわしい者に仕えたいと思うものは私のもとに来るがよい。そして、心から歓迎することを保証しようではないか。」とエンリケが言った。
++++++
で、このあとカスティリア軍を撃破するためのエンリケ達の大群が押し寄せてくる様が描写されているんですね。「王、危うし!」みたいな感じなんですが、「その頃王はアルカサルの装飾作業に精を出していた。」でこの章は終わっています。なんともかんとも!!!!もう坂を転げ落ちるしかない!って感じで…。王よ~~。
ロペスの奥方のサンチャもカリリョで、アルフォンソ11世の「姪」と書かれていたけれど、いまだに見つからないし~。
「姪」とか「娘」といっても、もしかすると、姻戚関係かなんかで、実際には血のつながりはないのかも。
ちなみに、私が拾ったペロ・カリリョは↓。
http://www.abcgenealogia.com/Carrillo02.html
赤文字で書いてある名前の中で「VIII - PEDRO CARRILLO」というのがそうです。
名前はペドロになってますが、ホアナ(カタリナ)との一件が書いてあるので、間違いないかと。
ペロ・カリリョがどういう経緯でエンリケの家令になったかわかりませんが、王様が即位した頃には結婚したばかりのエンリケ夫妻の逃避行に同行していて、ホアナ夫人のために一生懸命だったようですし(3章)、後には王様の捕虜になってた彼女をうまいこと連れ出してアラゴンのエンリケのところに送り届けたり(17章)してるようなんですよね~。
もしかして、王家の人々とあまりに近いところにいたので、その気になっちゃったとか・・・?(苦笑)
>25章
なんかもう、これ読んでると、王様、自分から運を手放してますよね~(泣)。
あ~もう、軍議の最中に何ちゅーこと言うんじゃっ! って感じです。
ディエゴ兄が裏切ったのって、考えたくはないけど、もしかして、そういう王様の不甲斐なさにあきれたっていうか、家臣としての誇りを傷つけられたっていうのもあったのかも・・・。
>プリンセスGOLD
昨日、無事にゲットしました~。
アンヘラが50ページほど、外伝としてコミックス1冊分にするには、あと3本くらいかしら?
とりあえず今年は、本誌のほうでエロイカの番外編が先にあって、2008年発行分に外伝が掲載されるようです。
やっぱり、ロペス君はいいヤツ!!!
それはそうと、日本はお盆休みなんですね。(すっかり日本の風習から遠ざかっている私…)
では、以下、25章からの抜粋です。
++++++++
嵐がおさまると、ムルビエドに戻ることができた。そこで王は、デル・プッチの教会に赴いた。シャツ1枚になり、はだしで、縄をクビの周りに巻いて安全に戻ることができた事を神に感謝した。これは数年前に僧を生きたまま焼き殺し、神を畏れず、法王庁から破門になった人物と同一人物であるとは想像しがたい行為であった。
当時進行中のアルカサル城の装飾指揮で気分を一新するためにセビリアに短期間帰還した後、王は再びいかにも当時のスペインらしい戦闘に戻っていった。それは、実りのない攻城戦、残虐な略奪と放火、小さな目的物に対して全く不釣合いなほどの戦力の投下などを意味する。そんな中でも、エンリケ軍やアラゴン軍に対峙すると大抵は勝利することができた。
カスティリア軍はバレンシアの中でも重要地点であるオリエウエラ市の外に布陣した。この場所に来る前に、ペドロ王は、しつこく何度も申し入れのあった決闘に再度拒否を示している。戦略会議の中でペドロ王は貴族達に意見を促した。「攻撃すべきであろうか?」 自分の周りにいる騎士達にそう尋ねた。誰も何も言おうとせず、自分達が思っていることを言ってくれるであろうカラトラバ騎士団長ディエゴ・デ・パディーラの方を皆が一斉に見た。
「神がお定めになった領地がカスティリアとアラゴンという形で分け与えられました。もし、カスティリアが今4つに分割されてしまっても、その4つの内1つだけでもアラゴン全土より大きな王国となるでしょう。王は、カスティリアの王として、キリスト教徒の中でも最も偉大で、あえて事実を申し上げれば、全世界で最も偉大なお方であられます。もし、いま全兵力を結集してアラゴン王を攻撃をされれば、アラゴン王を突破し、カスティリアとアラゴン両国の王に、いや、神の援助によってスペインの皇帝になられると思っております。」とパディーラは述べた。
そこに居合わせたものは皆同じような考えであった。なぜなら、騎士達は、自分達が戦っている戦争があまり威厳なく小競り合いの様相を呈しているため、騎士としての本来の誇りや精神が失われつつあるように感じていたからである。一方で、王自身は自らが問うた質問に対して以下のような有名は発言をしている。「王としての立場から言うのであれば、アラゴン王に仕えているような家臣団を私も持っていれば、何も畏れることなく貴殿や全スペインを相手に戦うであろうにな。」と語った。リーダー自ら出たそのような言葉はただ単に自軍のモラルを下げ、戦略会議はしらけムードでお開きとなってしまった。
騎士達の中には、王が言い放った痛烈な皮肉が自分達の忠誠心や誇りに泥を塗ったように感じたものもいた。王に対して、自らの献身と戦闘意欲を再度言いに行った者もいたほどである。騎士達は、王が敵を打ち負かす絶好のチャンスを逃そうとしているとささやきあい、また、カスティリア軍の名誉に傷をつけようとしているとも言い合った。しかし、王に進言しようとしたものは、ことごとく跳ね除けられてしまった。
何日か後に、ペドロ王にとってアラゴン軍を打ち負かすのに更によいチャンスが巡ってきた。しかし、王は自ら何もしようとはせず、ただマルティン・ロペスにいくらか兵を任せ敵の後衛を攻撃させたぐらいである。ロペスは、恐らく、自らの兵の力不足を恥じつつも、敵を大変な混乱に陥れる事に成功し、もし多くの援軍があればカスティリアは大勝利を収めていたに違いないと考えられたほどである。この戦闘の結果、王はマルティン・ロペスをアルカンタラ騎士団長に任命した。
運送業界も盆休みなのか?!
う~ん、ちと悲しいぞ!!
B型さん
なるほど~史実ではイネストロサ宰相はそんなに早くに亡くなっているんですか・・・
「アルカサル」だとアルフォンソ王子とマリアが1366年に亡くなっていた書き方で、イネストロサ叔父はその直後の戦いて亡くなったとなっていたと思いますが、そっか~マリアとアルフォンソだけでなく、イネストロサの死亡年も違うんですね~
ってことはこの遺言が取り決められた時、イルストロサはいなかった訳だ・・・。
後世、存在すら怪しまれているホアンくんより、マリア・デ・イネストロサが産んだであろう息子くんの方がよっぽと王位に近い気がしますが。。。
きっとなんか思惑があったんでしょうね
それともあの一夜の一発(←まぁお下品・爆)で出来た王子なら年齢からいうと王様したら長男だからそのせいかなぁ・・・
>ペリョ・カリリョとカタリナ
具体的な表現はないけど、少なくともあまま書き方ではカタリナがロドリゲスと結婚する時にはすでにペロ・カリリョはカタリナのことを愛していたようですよね~
一線越えていないと思いたいけど、最期を考えると越えていたとも思えるなぁ・・・
そうでなければ、殺されるというのはあんまりだもの
(エンリケが「アルカサル」の様にカタリナを盲愛していれば別ですが・・・)
私はてっきり物語の展開からするとカリリョはレオノール・デ・グスマンの家に繋がる家令だと思っていたのですが、あの書き方だとペロ・カリリョ自体がかなり高位の貴族のようですよね
それにしても王家に繋がる血筋が自分に相応しいなんて、自分がそうでないとなかなか言えない言葉だと思うので。
そして王様に娘を愛妾としてだせる位なんだし・・・
しかしエンリケと敵対しているのに、敵方の娘を愛妾としてもつなんて、王様ってば(苦笑)
>カタリナの愛
やっぱり愛はあつたのね・・・
あ~安心した(笑)
和訳ありがとうございます~
お陰で機械翻訳であやふやだった部分がはっきりしました~
これが拝見すると、「アルカサル」では真面目で実直なペロ・カリリョというイメージでしたが、おフランス仕込みの恋の手練手管というか、色恋には長けていたようですね(苦笑)
王様に娘を愛妾として差し出していたのなら、カタリナとも親子ほどの年の違いだつたろうに・・・それを口説いたのかしら?ペロ・カリリョ
そう想像すると今までのイメージとは正反対の男性になりますよね~面白いな(苦笑)
それはそうと当時のスペインには手記といか、日記を書く風習がなかったのですね。
みれには驚きです。
ではメリメなどは何をもとにこういう文を書いていたのかな?
やはりアヤラの文章とかの影響が大きかったとか?
一線越えたかどうかまでの記述はないけど。人々の噂になるほど親密な状態なら、やはり主人と家令という関係だけではないような???
妄想全開です・・・・ペロよ、君に「恋の伝道師」の称号を与えよう(爆)
>25章
ちら読みですが、昔、本編でもアラゴンへ向けて船を出した王様が海で難破(船から落ちかかったのだっけ?)しかかったときに願をかけて、助かった後に教会へお礼参りしたシーンがあったような???
なんかそのシーンが脳裏に蘇りました
教会の坊さんは大嫌いだけど、何気に神様は信仰しているのかもね(笑)
+++++++
これはぺロ・カリリョの愛の物語である。ぺロは、窮地に陥ってさまよう王子や王妃の道先案内人であり、高貴な身分の婦人の救済者であり、殆どどこにでもみられた不貞の時代における最も忠実なしもべであった。
ペドロ王治世の当初はまだこの年若き王にとって国自身も新興であり、王の威厳や権力はまだ王国全体に浸透しているとは言えなかった。その頃、カストロ家のフェルディナンド某が伯爵家のホアナ某と結婚することとなり、それに対してペドロは大いに悔しい思いをした。エンリケ自らこの結婚を決め、盛大に祝福の儀が催された。
もしその場に居合わせることができたら、庶子王子(エンリケ)にとってこの尊敬すべき執事(ペロのこと)が通常の興味以上の想いを抱いて結婚式に参列している様子をみることができるであろうに。ペロが愛した人物がまさにそこにいたからである。ペロにしてみれば、身分の低い女性は自らにふさわしくなく、少なくとも王家の血の流れた女性が適切だと考えていた。
当時のカリリョは自らの気持ちを公にすることなく、また、ホアナとフェルディナンドが相思相愛あったかどうかも不明である。この結婚の後すぐにペドロ王が再び自由を手に入れると、このカップルの結婚は無効にされてしまった。そして、ホアナはアラゴンに行き、一部始終を兄ヘンリーに語った。
ホアナとフェルディナンドの結婚が破局に追い込まれたことで、ペロに好機が巡ってきた。重要な出来事を何らかの形で残しておくというフランス風の回想録の風習が文化的に劣っていた当時のスペインには無かったのは非常に残念なことである。もしホアナが当時のことを自らの言葉で書き綴っていれば、カスティリアでどのような興味深い出来事があったか今日垣間見ることができたであろうに。厳粛な年代記編者はくだらない話だと言って無視を決め込んでしまうかもしれないが、今日人々がのぞき見ようとするような当時のロマンスの話は、実は、しっかりとした事実という壁に掛かった壁掛けに散りばめられたまじめな話なのである。今日我々は、当時のことは結果のみで判断することしかできず、たとえば、ペロの話にしても彼が支払った代価によってのみその運を知ることができるのみである。
メリメによると、「ホアナは喜んでペロの世話になり、ペロの存在は人の知るところとなった。」となっている。ペロが魅力的な人物で、経験も十分にあることは簡単に想像できる。ペドロ王の即位時に、伯爵・伯爵令嬢と一緒にスペインをお披露目で回ったり、少し後に同じ伯爵令嬢の有名な救出劇などもあった。そのため、間違いなく、ペロはパリにいた頃に何かしら色恋沙汰に関して学んでおり、その際には必ず主人も一緒であったに違いないと考えられる。彼は、フェルディナンドの代わりとして大いに魅力的な役回りをしたのであった。
秘密の結婚があったとも言われていた。しかし、高貴な人達によくあったように、貴族の女性達のお気に入り(男性)たちは自らの無礼を自らの命でもって償った。クレオパトラ、メッサリーナ、ロシアのキャサリン、ツール・ド・ネスリーの占拠者などはいい例であり、その他にも東洋の御伽噺に出てくる王女達も同じである。
この時代の女性達は、ある日自らの尊厳に泥を塗られても、次の日あるいはもっと早くに復讐をしたものである。しかし、ペロの最後は、ホアナではなく、1人の憤慨した兄によって囲みこまれたのである。
メリメは「秘密の怪我には秘密の復讐が必要です」というスペインのことわざがを引用している。
鷹狩に出かけたある日、エンリケはペロ・カリリョを他のものの目に触れないところに呼び寄せ、投槍で殺害した。このような好意は騎士道精神にしっかり則ったものであり、もしペロとエンリケが同じ身分であったなら、騎乗試合で決着がつけられたと考えられる。
+++++
ホアナとカリリョが秘密裏に結婚していたかもしれないというのはビビル話ですね。
「アルカサル」作中では、ちょうどディエゴ兄と入れ替わった形になるのかな?
遺言が作られたのは、アルフォンソ王子が亡くなった後とすると1362年の秋以降ですね。
その頃生まれたはずのロペスの娘=レオノールは、7才で結婚したらしいですが、相手が「イネストロサの息子」なので、その間に王様自身がイネストロサ一族に力を持たせたくないというようなことがあったとは、ちょっと考えられないかも~(苦笑)。
何かあったとすれば、そんな結婚許されないと思うのよね~。
とすると、書き換えはイネストロサ一族というより、マリア本人に何か問題があってのことかも?
そのマリア・デ・イネストロサがガルシ・ラソと結婚していたというくだり、19章の終わりのほうで見つかりました~。
>ペロ・カリリョとホアナ
あの書き方だと、やっぱり一線越えちゃったのかな~?
当時の騎士道の厳しさみたいなことが説明されているんだけど、身分違いだとちょっとそういう雰囲気になっただけでもアウトってことなのかしら?
検索で拾った別のサイトには、「恋愛関係をもった疑い」のような感じで書いてあるのですが、なにしろ原文がスペイン語なもので・・・(苦笑)。
ペロ・カリリョに対するホアナ(カタリナ)の愛が、フェルナンド(ロドリゲス)への愛より勝っていたかどうかはわかりませんが、まんざらでもなかった・・・ということなのかなぁ(苦笑)。
ここに書いてあるのは、「フェルナンドがホアナを愛したのと同じくらい、彼女が真実彼を愛していたかどうかはわからない」ということじゃないかと。
う~ん、どっちにしても、フェルナンドが不憫かも~?
12章の注釈によれば、アヤラの年代記には「フェルナンドはずっとホアナを好きだった」と書いてあるみたいです。
だから、二人を別れさせたエンリケのことは、やっぱり恨みに思っていたんじゃないかな~と。
奥方を勝手に連れ戻されたら、名誉にかかわりますって(苦笑)。
あまりご無理なさらずに・・・
ほんと無理しないで下さいませ~
私は英語ダメダメなんで、こうやって読めるのはとっても嬉しいのですが、何せあのサイトの文章は膨大なんですもの(苦笑)
実は機械翻訳ですら全部読めていません(汗)
なのでご負担にならない程度で長ーくやってくださると嬉しいです
それはそうと・・・ホアナの息子のホアン君
あちこちのサイトでもちゃんの名前が載っているのに、その存在すら疑わしいとは~!!
ちょっとビックリ!!
考えてみれば一夜限りのホアナに息子が・・・と判っただけでもビックリでしたが、てっきり一夜限りではなく何度かの逢瀬がもたらした結果だと勝手に思っていたのですよ~
その方がロドリゲスが忠節を尽くしたのも判るかな~って
(だって自分の甥が王位継承するかもしれなかったんだし・・・)
でも別な考え方をしてみれば、ホアナの息子に王位を授けるより、宰相イネストロサや最愛の愛妾マリア・デ・パディリアの血をも引くフェルナンドくんの方が納得も出来るんですよね~(苦笑)
改ざんの真相・・・気になりますね
何かの思惑があったのかも???
ほぇ~B型さんもKE007さんと同じところを読まれていたのですね~
ほんと改ざんの謎・・・気になります
イネストロサ家にこれ以上の力を持たせたくない何か意図があったんでしょうか??
つーか、この時点でイネストロサって生きていたのかしら?
王様とエンリケの戦いの27章の前だから生きていたのだとすれば、他の貴族の思惑とかなかかなぁ...
>ペリョ・カリリョとカタリナ
機械翻訳なのでチンプンカンプンですが・・・
もしやペロ・カリリョってはカタリナと通じちゃった訳~~~???
しかもロドリゲス(フェルナンド)に対するカタリナ(ホアナ)の愛はペロ・カリリョに対してあった愛ほどがあったかどうかは判らないみたいな事も書いてある?ひょっとして???
ガビーン!!!
なんか超ショックなんでけすけど(苦笑)
じゃ~ロドリゲスが王様についていた意味が根底から覆るような???
なんかビックリすることばかり書いてますね~この章には。
>外伝
どれだけ描いてくれるのでしょうかね?
せめてコミックス14巻になるだけの量は希望です。
あの某出版社が良く使う手法「完全版」「愛蔵版」はほんと漫画好き泣かせだと思うので(苦笑)
でもアルカサルで未収録がそれで出たら買っちゃうんだろうな・・・(涙)
というわけで、詳細はKE007さんの和訳をどうぞ~!(笑)
ところで、マリア・デ・イネストロサはガルシ・ラソと結婚してたとかって、どこかに出てきたような気がするんですが・・・記憶違いだったかしら?
うちのは最近はトラブルがないけれど、雷が鳴りそうな時は、寝る前に電源落とすようにしてます。
>13巻
本編としての完結編ということで、300ページくらいになるらしいですね。
先月の青池先生の日記では、「今年中に外伝に取りかかるつもり」・・・ってことでしたから、アンヘラの話も、いずれ外伝と一緒にコミックスに入るんじゃないかな~なんて思ってるんですが(笑)。
>(ホアナ・デ・カストロの息子の)ホアン君
実は~、ホアン君の実在性が疑わしいというようなことも、KE007さんが和訳して下さった23章の続きに書いてあったりするのですよ~。
もともとはマリア・デ・イネストロサの息子のフェルナンドの名前を消して、ホアン君の名前に書き換えられたとかいう説もあるみたいで・・・。
確かに、一晩だけの関係で出来たとすれば、すごい命中率だけども~(失礼!)
逆に王様の実子じゃないとすれば、何故「de Castilla」の称号を許されてるのか?
わざわざマリア・デ・イネストロサの息子の名と入れ替えたというのも、謎ですよね~(苦笑)。
青池先生がお読みになったのは、メリメの「ペドロ1世伝」でしたっけ?
私たちが読んでいるのは、エドワード・ストーアーという(多分)イギリス人が書いたもので、1911年にイギリスとアメリカ両方で出版されてます。
ストーアーも、メリメや他の人の書いた王様伝を読んでいたようですし、資料もかぶっているでしょうから、似たところはたくさんあるんじゃなかろーかと(笑)。
>ペロ・カリリョとホアナ
ペロ・カリリョについては、そんなに行数を割いているわけではないんですが、何度も出てきます。
23章でも、重要な役回りと言えなくもなかったりして・・・。
んで、24章の(途中はすっ飛ばして)下のほうに出てくるホアナ(カタリナ)との話がまた、何と言うか、衝撃的だったりするのですよ~(苦笑)。
今仕込み中の別件を検索中にも、偶然ペロ・カリリョのプロフィールが引っかかって、そのあたりの疑惑が処罰の理由と書いてあったので、こりゃ~本当なのかな~と。
あ、ぺロ・カリオって、そうです、カリリョです。カタカナにするのは難しいッス。スペイン語って読まない文字があるし…。友達の「橋本」さんが、フランスやスペインに行くと「あしもと」さんになるって言ってたっけ…(笑)
では、今日の分を以下に。
++++++
メリメは、王が遺産を残したこれら4人の女性達のうち、誰一人として遺書の中で「ドーニャ」の称号が与えられたものがいなかったことを特筆している。これは、彼女達の血統がドーニャの称号に値しないと王が考えた可能性をメリメは指摘しているが、実際には、これらの女性達の1人ウラカはガルシ・ラソの姪でぺロ・カリオの娘であったし、別の女性はデ・ソトメイルという苗字を持ち、これはスペインでも有名な貴族の姓であるため、これらの事実を考慮するとメリメの仮説はそう正しくは無いと考えられる。
いずれにしても、このように遺書という形で記録として残っているということは、これらの女性達との関係はある程度の期間続いていたに違いない。その証拠に、この遺書の内容は非常に詳細で、きちんと書かれているからである。王や彼女達に関する噂話や伝説にもしいくらかの信憑性があっても、王が彼女達にどれほどの愛情を寄せていたかどうか、完全に理解することはできない。
王の遺書には改ざん或いは捏造の痕があり、正統な娘達が王位を継ぐことができな場合誰が世継ぎになるかに関して、非嫡出子の言及がある個所にペンナイフによる改ざんの証拠が羊皮紙に残っているとズリタは語っている。もともと誰の名前がそこに記されてあったかは謎に包まれているが、誰が適当であるか多くの提案がなされたことは明らかである。削除個所に最終的に落ち着いたのは、ドン・ホアンである。ホアンは、王がホアナ・デ・カストロともうけたとされる男子であるが、実のところ、このホアンという人物の存在すら疑わしい。
セニュール・ラグノによると、もともと遺書にはドン・フェルナンドの名前があったとのこと。フェルナンドは、マリア・デ・エネストロサの息子で、古い年代記にはペドロ王のマリアとの関係が記述されている。
王は自分の遺書の中の後継者に関する記述に満足を示さなかった。自国の領地でさえないアラゴン国のブビエルカで議会を召集した。ペドロ王は議会に対し、自分の遺書の中で未来のカスティリア王位に関する個所を正式な形で裁可するよう要請した。王は、この議会に出席している議員達に対し、王の遺志を是認することを宣誓する書類に署名するようにとも主張した。これほどまでに真剣に自らの遺書の対応をしたのは、自らに対する自信と自らの今後の運命に対する自信をある程度失っていたことのあらわれであったのかも知れない。
これより少し後、王は自らの未来に関する憂鬱な予言にふけるようなことをしている。きまり悪そうに預言者の言うことに耳を貸したり、どこにでもいる王のように縁起を担いだり夢の内容に敏感になったりもした。
ブビエルカでのコルテス(議会)で王は、忠実でない騎士達や家臣たちに対する自分の怒りや憎しみをもう一度公の場で明確にした。王は議員達に膨大な追放者達のリストを渡してそのリストを承認するように迫り、議員達はそれに従った。
王は半島全体の状況を左右するカギを握ってはいたものの、奇妙なことに、ある種の気迷いや自信の無さが王の意志に混乱を生じさせるようになってきたようである。カスティリアにおける王の権力は絶対で、王にとって危険だと思われるような貴族達は全て排除され、同盟を誓うものを厚く保護した。忠誠を誓ったものたちは、いつでも王のために戦う用意ができていた。
ナバール王国のルイス王子と、かの有名なキャプタル・デ・ブシェが再びペドロ王の旗下にはせ参じた。ナバールの王も自分の意志とは裏腹に嫌々ながらも参戦せざるを得ないような状況であった。
グラナダ王も、ドン・ファラという有名な大将と600人の勇敢な戦士をペドロ王に提供した。ペドロ王の命令によって作り上げられたこれらの状況は、「残酷な戦闘」を遂行するためであった。それは、復讐のための戦いであり、いかなる命乞いも赦されることなく、捕獲は斬首を意味していた。
王自らがバレンシアに向けて隊を先導していたが、王の怒りや軍の力とは裏腹に、実際の戦略・戦術面で一貫した考えで半島に自軍を展開しているようには見えなかった。軍は極端なほど残忍な行軍を行い、ペドロ王がとある山の頂きにある修道院からあたりの様子を眺めてみると、「農作物は焼け枯れ、植物は裂き切られ、木々は切り倒され、兵士の被っていたヘルメットには火が放たれ、農場は滅茶苦茶に荒らされている」様子が伺うことができたほどである。そのような景色はこの残酷な王を喜ばせ、このように血で彩られた永遠の生贄がこの奇妙な自己愛を持つ王には必要であった。
ムルビエドの近隣で決戦に向けて対抗勢力が結集し始めた頃、イベリア半島の和平に向けて教皇が新たに任命したアビー・デ・フェキャンプは、争っている王たちの間に妥協策を提示しようとしていた。
++++
では、また。次回は、別の章を引っさげて来たいと思っています。このコメント欄も随分と重くなってきましたね。
やはりモデムが原因だったようです
まだ2年半しか使っていないのですが、ここ数日暑かったから熱暴走でもしたんでしょうか?
でも本州の暑さに比べれば屁のカッパだと思うのだけど(苦笑)
うわ~またしてもありがとうございます^^
こうして和訳を読ませていただくと、ホアナ・デ・カストロの騒動はまさしく「アルカサル」で書かれていたものと殆ど同じですね~
こちらの和訳の方がいくぶんホアナの心情や親族の思惑が詳しく書かれている感じですね。作中では殆どホアナは自分の意思や思いは出ていなかった感じがするし(「正式な結婚」を言った位か?)
それはそうと他の系図サイトではホアナには子供がいたことが書かれていますが、そうなるとこの一夜で身篭ったという事なのかなぁ???
それとも史実は置いておいて、青池先生が「アルカサル」を書く時、私たちが見ているサイトの原文(または原本)を参考にしたということなんでしょうかね?
ほんと気になりますよね~
アルドンサをピックアップするのならやはり寵愛を笠に着て、イネストロサ宰相を更迭するトコロまで描かないと、なんかただの「美貌を見初められた愛妾」で終わってしまう気が・・・(苦笑)
アルドンサの魅力・・・良くも悪くも、己の持てる者ものと、王様の寵愛が見誤った逞しくも愚かな女ってトコだと思うのですが・・・
他のサイトだとマリア・デ・パディリアのことに付いては慈悲深く優しい美女として書かれていることが多いので、正反対のアルドンサが引き立っていたように思うんですよね
あっ。。もしかしてその善良な優しい女性を姉であるマリアがするからダブるってことなのかしら?
でもキャストにディエゴがいるところなんてやっぱり不自然だよな・・・謎。
>ピエトロとエンリーコ
あはは(苦笑)
うんうん、私も英訳読んだ時にびっくりしました
だって王様が「ペーター」なんですもの
思わず「アルプスの少女ハイジ」を思い浮かべましたよ(爆)
>アルカサル13巻
おお~予想通り、秋に出るんですね~
いや9月なら早いくらいだわ
それはそうと600円と言うことは、厚みも結構ありそうですよね
なのに「アンヘラの飛翔」が収録されないということは・・・14巻がでるならいいけど、もう少ししたら「完全版」と銘打ったものがでるんじゃ・・・
ファン泣かせはやめて~~~~
「マリア・オーティス」とは初耳ですね~
やっぱり王様、色んな女性を食っているのね(苦笑)
系図サイトや他のサイトでよく載っている愛妾4名は
・Juana de Castro
・Isabel de Sandoval
・Maria de Hinestrosa
・Teresa de Ayala
の4名なんですが、以前B型さんともお話したのが、作中のウラカはイザベル(ディエゴとサンチョの母)とマリア(宰相イネストロサの家系)を足したキャラなんじゃないかという事だったのですが、ウラカという愛妾もいるんですね~
へぇへぇへぇ(トリビア風に・爆)
しかもぺロ・カリオの娘って・・・
もしやあのカタリナ(史実ではホアナ)を守って、エンリケに嫉妬のあまり殺された「ペロ・カリリョ」のこと???
それならすんごい事かも
そういえば以前B型さんもあのサイトには「ペロ・カリリョ」の名前がずいぶん出てきて気になるとおっしゃってましたが、ここでそうくるとは・・・
いや~アルカサルはほんと深いですね!!
>ドーニャ
以前ドン、及びドニャは高貴な女性にしかつけられないという話を聞いた記憶があるのですが、愛妾たちにはそれがつけられ無かったという事は、やっぱりマリア・デ・パディリアは特別ってことなんでしょうね・・・
王は気が多いくせに、嫉妬深くもあったんですね。
+++++++++
時間を無駄にすることなく、王はアラゴンを早急に侵略し、大して重要でもない町を支配下においた。王の軍隊は「決断の町」カラタユーで立ち往生した。しつこい抵抗があったものの、何とか打ち伏せることができた。
この後、王は、しばらくの間大好きなセビリアに戻っている。セビリアではイザベラ某がマリアの死で落ち込む王を慰めた。このイザベラという女は、宮廷に仕える侍女で、マリアとの間にできた王の息子アルフォンソに仕えていた。
王は、この頃から死亡するまでの間に他にも妾を何人か持ち続けた。王の遺書の中には4人の妾のことが言及されている。この遺言書は、戦場からセビリヤに戻った直後に息子アルフォンソがペストで死んでしまったのがきっかけで書かれた。息子の死は王に大変な悲しみをもたらし、王の心は大いに動揺した。アルフォンソは王の腕の中で息を絶えた。王は、将来アルフォンソ王子に確固たる王位と絶大な権力が与えられるようずっと奮励してきたが、王子は何も語ることなく王の腕の中で横たえているだけであった。
ずっと坂を登りつづけていた王の運命は、この頃から下り坂になってきた。
王の敵イノセント6世はもうこの世にいなかった。アラゴンの執念深い敵に屈辱を与え、不忠実な兄弟を殺したり、力ずくで服従させたりした。王に関する中傷は、ピレネー山脈のかなた向こうか、全く知らない者同士でしかできないほど、誰も王に対して何もいえないような環境を作り上げてしまった。王はセビリアという一番の拠点において絶対的な権力をもっていた。誰もが王の言葉に奴隷のように服従し、王のことを心から恐れた。王は王国の権力の拡大の夢を抱いていたのであった。
王の遺書には、娘ベアトリスを後継者とするよう書かれている。また、ベアトリスをポルトガル王子に嫁がせるようにも指示されている。そうするこで、2つの王国が一体となり、また王の在位中にアラゴンも併合し、さらにナバールももう一度うまく丸め込むことができれば、イベリア半島全体をスペインとする日はそう遠くないと考えた。
王の思いから片時も離れることの無かった女性達に関しての言及は、王の遺書の中で十分にされてあった。4人の女性に、王の死後は尼僧院に入るという条件をつけて、遺産を渡した。今日これらの女性に関しては、名前ぐらいしか伝わっておらず、詳しいことは殆どわからないが、王がこれらの女性達を好んでいたことは事実である。彼女達の容姿、年齢、様子、家族のことなど、全く知られていない。一時であれ、王の愛情を欲しいままにし、王の欲望を満たした女性達であるが、王は彼女達の貢献を忘れることなく、王の死後の残りの人生を尼になって王との思い出を追悼するという条件のもと、1000枚の金貨(カスティリア・ダブロン貨)を彼女達のために残した。
ホアン・デ・サン・ホアンの姉(か妹)マリア・オーティスには、金貨2000枚が与えられた。これによって、王が他の3人の女性達(マリア・アルドンサ、ホアナ・ガルシア、ウラカ・カリオ)よりこの女性をいかに気に入っていたかがうかがわれる。ちなみに、ウラカは、ぺロ・カリオの娘で、貴族の出である。
メリメは、王が遺産を残したこれら4人の女性達のうち、誰一人として遺書の中で「ドーニャ」の称号が与えられたものがいなかったことを特筆している。
他のバージョンのタイトル見ても、あまりいい意味とは思えないので、王様が悪者にされてる可能性は大いにありそう・・・(苦笑)。
しかし、なんでマリア・デ・パディーリャの名前がないんだろって、やっぱり思いますね~。
コロネル姉妹のエピソードは、夫の助命嘆願のあたりだけ?
アルドンサが愛妾になって好き勝手するところまで入るなら、マリアがいないのはどう考えても不自然だし~(苦笑)。
それにしても、イタリア語になると名前が
ペドロ→ピエトロ
エンリケ→エンリーコ
・・・なんか微妙だわ(苦笑)。
映画といえば、少佐に似ているという例の「ナポレオン」、ちょっと前にBSで放送されていましたね。
ずっと前に見たことがあったし、今回気付いたのが2日目(後編)だったので録らなかったのだけど。
王様の映画も放送されたりしないかな~。
>「兄弟仁義」
お気遣いありがとうございます~(はぁと)。
一度見ちゃったら絶対欲しくなるに決まってますから、今は遠慮しておきますね~(苦笑)。
でも、ものすごーーーく読みたくなったら、その時はお願いしちゃうかも~(笑)。
そういえば、別荘のNewsに、「アルカサル」13巻の発売日が出てました。
9月14日、600円だそうですよ♪
+++++
第11章
本日の女王
飼い主の嗜好や娯楽や飼い方や餌によって飼われる動物達の運命が早期に決まってしまうように、人間世界においても神のさじ加減ひとつで人生のアドベンチャーやロマンスの運命が定められている一族がいる。そのような一族のメンバーは、その類まれな人格、美貌、あるいは危険な香りの行動にその一族特有の烙印が押され、将来誰にも忘れられたり、誰かと間違われたりしないようにされるのである。
「この人物には…」と運命が語るのを想像できるかもしれないが、「風と笑いの魂が宿っている。大人になったら我々のために見事な踊りを踊りだすぞ。ヨーロッパという舞台でね。そして、この女性はその美しさと魅力で、将来、我々に素晴らしいエンターテイメントを提供してくれるであろうよ。それでは、この女性が誰か男性をたきつけることが出来るような場所に置いておくことにしよう。大きな炎が燃え盛り、面白いことになるでしょうよ。」
このような人たちに相当するのは恐らく、ペドロ・デ・カストロの娘達-ホアナとイネス-であったといえよう。イネスとポルトガル王子の華麗な恋愛話は時代を超えて最も素晴らしい話の1つとして、Camoëns著Lusiadの中でも国境を超えた普遍的な賛辞がされているほどである。その一方で、ホアナの冒険談はあまり広く知られていない。ホアナは若さと美を備え、注意深く折り目正しき寡婦であると、誰かがペドロ王に伝えている。
「ホアナは、未亡人になると、祈りをささげ、自らの立場に適った毎日を送っていた」とマリアナが述べている。ディリオン氏によると、「ホアナは、スペインにおいて最も美しく成功した人物の1人である。ホアナの立ち居振舞いは完璧なほど優雅で、生まれつきの高貴さを備えていた。」とある。彼女の振る舞いには全くぶれがなく、当時横行した数々のスキャンダルでさえ彼女の純粋さを汚すようなことはなかったほどであることが今日までも語り継がれている。
ペドロ王がマリアとちょっとした事で喧嘩をした後、マリアは尼僧院に篭って祈りの人生を送ると宣言してしまった。
あまりにも移り気で不実なペドロに落胆した結果、マリアがこのような決断をしたかどうかは定かではない。いずれにせよ、この上なく本気で延々と続いたこの喧嘩は、ペドロに法王宛てに聖クララの保護のある尼僧院建立の嘆願書を書かせたほどであった。その尼僧院でマリアは修道院長となるようになっていた。マリアの不機嫌さを忘れられることを嬉しく思ったペドロは、ホアナとの恋愛にいそしんだ。それは殆ど一目ぼれであった。ペドロは死に物狂いな情熱さをもってホアナを口説いた。しかし、ホアナは平静心を失わずいつものように誇り高く、道を逸れるような事はなかった。王の寵愛を得ることはまたとないほどの喜ばしいことであるが、王の妾となることはホアナの状況に殆どそぐわないものであった。ホアナに異常なほど冷たくあしらわれてやけくそになったペドロは、結婚という言葉を口にし始めた。一方ホアナは、ペドロの出方次第では悪くは無いと考えるようになってきた。目的を果たすためならば重婚すら恐れないような考えをもつ人物に、考えを改めさせるのは難しいことであった。王が本気で結婚を求めているかどうかは定かではなかった。ホアナの親族達は、いずれにせよ、ホアナにとって最善の取り決めがされるよう全力を尽くした。ホアナは断固として、結婚という形を主張した。そうすることで、王がブランシュ姫とした結婚が間違いであっただけでなく無効で、結婚すらなかったことをみんなに確認させ、ホアナとの間が正真正銘のものであるということが証明できるからである。もちろんこの考え方は即座に王によって認められホアナの思いは満足されたかのように思われたが、実際にはこれよりもっと正式で確固たる約束をホアナは求めた。2人の調停者が任命され、王がホアナとの結婚に適し、法的に正しいかどうかの判定が行われることになった。
ホアナに自信を与えたのは、調停者の1人が自分の親戚のエンリケ・エンリケスであったことである。もう1人の調停者は、ホアン・ロドリゲス・デ・セニャブリアというガリシアの騎士であった。この二人の調整者を説得するための筋立てはメリメも言っているように、結構安易に想像がつく。ヤエンとデュイーニャとカストロヤリスの城の所有権がエンリケ・エンリケスに渡り、それによって判定が有利になるような状況が作られた。
強気な親族達の態度に不安を胸にため疲れ果てたホアナが住むスエラのもとに、自らが選んだ誰とでも結婚をしてもよいという喜ばしい知らせを持ってペドロが駆けつけてきた。
しかし、ホアナは明らかに賢く若い女性であった。彼女の中にはまだなにか煮え切らないものがあった。不安を消すために、ホアナは教会からの正式な許可を得るよう強く主張した。ホアナは、高位聖職者2人が調停者の判断を追認するよう望んだ。そうすることで王国の判断に教会の後ろ盾がつき、王国の権威と教会の認定の両方が得られるからである。
アビラの司教サンチョとサラマンカの司教ホアンが任命された。ペドロ王は、自分には何ら束縛が無く、自ら望む相手誰とでも結婚の契約を交わすことができることが間違いない事実であると宣言するようにと司教達に要請した。司教たちは、調停者達の立場を理解した上で、自らも調停者達が下した判断を黙認しなければならない苦しい立場にあった。
司教たちには褒美の城も金貨も無かった。年代記には、全くの恐怖心から王の要請に応えたとなっている。そして、ラグノの記述によると、この司教たちは後にローマに出頭するようめいれが下り、法王から厳しく叱責されたとの事である。
ペドロ王の燃え盛るような情熱は殆ど一瞬にして冷めてしまった。キスをしただけで退散してしまったのだ。1日、たった1日だけ、ホアナはカスティリアの女王であった。これは、ウソのような話であるが、紛れも無い事実である。一晩、そう、一晩だけ王の寵愛を受けたのみである。不機嫌な王に夜明けが訪れ、燃え尽きた情熱の火はホアナの心に悲しみの灰となって残った。
この結婚のためにもともとエンリケ・エンリケスに所有権が与えられたデュイーニャ城がホアナに与えられたが、欲の深いエンリケスはこれを他の2つの城と一緒に取り返した。本来神聖であるべき結婚に対して行われた神聖の冒涜、偽証、そして守られることの無かった約束など、盛り沢山のこれら一連の出来事はたった数日間のうちに起こったのである。
ペドロ王は去り、二度とホアナの元に戻ってくることは無かった。デュイーニャ城に残された哀れなホアナには、悲しみと傷ついた誇りだけが残った。
おお~さすが検索上手ですね~!!
青池さんのみならず、王様にスポットを当ててくれた人がいるなんて嬉しい~!!
こうなるとこの映画見てみたいですね
でもスペインはともかく、イタリア映画と言うのが、面白い。王様のあの熱い血がラテンの血を騒がせたのだろうか???
>タイトル
う~むむむ、これだとカスティリア王に挑戦したのが王様の方なの?まさかね(爆)
それとも挑戦したエンリケが主人公という感じにも捉えられますよね?(苦笑)
ほんとだ~ディエゴの名前はあるのにね~
アルドンサが出ているんなら事実上王妃待遇だったマリアがいないというのにはちと不自然・・・
ほんとこの映画の内容が気になります~
と言っても私なら字幕スーパーでもついていないかぎり見ても判らないのだけどね。
誰か見たら感想を教えてください~!!
>兄弟仁義
そうです~それです!!
ずーっと欲しかったのですが、オークションとかでも3000円位していたので送料なども含めて考えると躊躇していたのですよ~
こういうのも「縁」なのかね~
札幌のまんだらけは何故か青池さんの作品がお好きなようで、プラウルやキャクターブックという今でも定価で手に入る品すらガラスケースに入れて展示してます
中には30000円以上の初期作品もありましたけど、さすがに手はでんわ~
もしB型さんが「兄弟仁義」を見たいならお貸ししますよん(「おーい!青春」もあるし)
トップからメールくださいませ~
おお~上司が夏休みですか(笑)
それは、副業しやすいですね~
楽しみにしてますぞ(むふふ)
>兄弟仁義
お~!!オリジナル版なんてあったのですね~
私が今回手に入れた版ですら廃版なのでなかなかお目にかかれないのですよ~
そんなお宝をお持ちとは羨ましい・・・
>王様映画
なんとなんと~!!
スペイン&イタリア合作で、主演がアメリカ人ですか・・・ずいぶんとインターナショナルな映画ですね
私もポスターの絵と最近のマーク・デーモン氏のお姿を拝見させて戴きましたが、この方が王様・・・・
うむむむむむ(苦笑)
この気の良さそうなおつちゃんが王様とは、なんか想像つかん(爆)
それにしてもお2人とも検索上手で感心しますわ~
兄弟仁義はオリジナル版で持ってましたよ。恐らく実家を引っくり返せばどこぞから出てくると思うのですが。本当に豪華な執筆陣でしたね。青池先生の描く着流しの親分だかの絵は本当にしびれました(古い表現!)男を描かせたら青池先生に勝てるのは殆どいないんじゃないかと思えるほど。
チャプター11をチビチビと翻訳しだしました。どの章も面白そうなんですが、とりあえずこの章が一番短そうなんで。(易きに流れる私…。)
では、又参ります。
王様の映画ですよ!
キャストを見ると、王様の次にコロネル姉妹の名があるのに、マリア・デ・パディーリャの名は見当たらない~!
40年以上前のイタリア・スペイン合作の映画のようですが、どーいう内容なのか、気になるわ~(苦笑)。
イタリア語の原題「SFIDA AL RE DI CASTIGLIA」を機械翻訳すると、「CHALLENGE TO THE KING OF CASTILE」・・・ということは、王様ってば悪者~?
さらに、ポスター(?)画像も発見。
この映画の王様、何と黒髪ですよー!(笑)
・・・って、描いてあるのはエンリケだったりしないよね?(苦笑)
アドレスは、何故かどちらもはねられちゃったので、原題で検索してみて下さいね~。
>アルドンサ
一応、最初のうちは王様のしつこい求愛に抵抗していたようですね。
そのあたりが、マリアと混同されているのかも(苦笑)。
>「兄弟仁義」
って何だっけ? と、しばし考えちゃいました~(苦笑)。
元は同人誌という本だったんですね。
執筆陣、豪華~!
金沢組中心の同人誌だったのかな?(笑)
これを書いたZúñigaと言う人は17世紀の人なんですね~
王様の時代から300年か・・・当時の埋葬状態がどのようなものかは判らないけど、火傷のあとが残っているって本当なのかなぁ(苦笑)
それはそうと、夫の無実を願い出たのはマリアで、実際愛妾になったのはアルドンサ・・・2人とも修道院に居たようですが、最初王様がご執心だったのはマリアの方ですよね?
なんでアルドンサが愛妾になったのだろう???
ともすれば野心家のアルドンサより、王様の愛を拒み通すマリアの方が王様好みの様に感じられるのだけど・・・(苦笑)
王様の浮気はある意味ハンティングだから、なんかちと意外かも。
青池先生はこの2人の姉妹の話を上手くミックスして「アルドンサ」というキャラを作られたのですね~
そうそう今日、札幌のまんだらけで念願の「兄弟仁義」をゲットしてまいりました~
お値段は1575円でしたが、目にした時に買わないといつ出会えるか判らないので。
でも嬉しいです~!!
化けたところは正確には、 Zuñiga です。
もっと正確には、Diego Ortiz de Zuñigaという人物のことだと思われます。
何故かフランス語版Wikipediaには記事があったりする(ほとんど読んでないけど・笑)。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Diego_Ortiz_de_Z%C3%BA%C3%B1iga
年代記には、マリア・コロネルは「その美徳とたぐいまれな美しさを讃えられた女性」と書かれているとか。
伝説のほうは、語り継がれるうちに名前が混同されてしまって、どちらのバージョンもあるみたいです。
実際にはマリアの話らしいですが、全部本当にあったことかどうかはなんとも言えないような・・・。
読んでいて私もかなり「?」と感じたところがありましたし。
(英文の解釈が間違ってるだけかもしれませんが)
ただ、検索すると、結構出て来るんですよ~。
王様に追い回されて油を被った云々から、マリアの遺体らしいものの写真まで・・・(苦笑)。
CHAPTER XVIの文中にも出てきますが、Zu?igaとかいう人物がまとめたセビリアの史料集の中では「火傷の痕を見ることができるかもしれない」と書いてあるらしいです。
でも、Zu?igaは17世紀の人らしくて、何を根拠にそれを書いたかなんて判らないですし~(苦笑)。
しかし、伝説とはいえこんな話が伝わってしまうとは、王様、よほどしつこかったのか・・・。
アルドンサが愛妾になってから捨てられるまでの話は、アヤラの年代記にも詳しく書かれているらしいですが、まるっきり青池先生が描かれた通りのようですね~(笑)。
私もウィキみてきました~
さほど裕福でない人は持っている中で一番良いドレスを着たとあるので、特に色の定めはなかったのかもしれませんね~
そうですか~「白」を用いるようになったのは18世紀からなんですね~
って事は、「アルカサル」の時代には白で無かった可能性も・・・・
どんな豪華なドレスを着たんでしょうか?(うふふ)
王様のセンスは良いとの事なので(マリア談)、かなーり素敵なドレスだったのでしょうね~
う~んカラーでみたいぞ!!
そしてそして
大作の和訳ありがとうございました~
お陰で色んなことが判りましたわ~
やっぱり機械翻訳とは全然違いますね!
それはそうとちと気になったのかテリョの妻・ホアナの事
確か、このホアナってデ・ララの娘で、エンリケの妻のホアナと従兄弟の関係ですよね?
その彼女がポルトガル王家の血もひいているんですか~!!
デ・ララは元々カスティリア王家の血筋だし、ポルトガル王家は母方なのかな??
ほんと入り組んでて判りませんね~
それにしてもテリョ、財産を失いたくないために何処の馬の骨とも判らない女と一緒に暮らすとは・・・呆れた強欲(爆)
そうか~私がみた白喪服の王様もフランスの人だった記憶があるわ~ってことは欧州全体というより、フランスの風習って可能性もありますね~
他では黒とかを着ていたのかも
>コロネル姉妹
う~ん機械翻訳なのでニュアンスしか判りませんが、もしかして、王様に夫の無実を願い出たのはアルドンサではなく、マリアの方だったということなんでしょうか?
んで愛妾に収まったのはアルドンサ??
でも王様が狩りに出たのを機会に、宰相イネストロサ叔父を牢屋に入れてしまうトコなんて漫画そのままですよね~
伝承版と思しき方では油をかぶって火傷したの??
王様を拒んで???
そりゃ食えんわ~(涙)
http://en.wikipedia.org/wiki/Wedding_dress
One of the first women to wear white at her wedding was Mary Queen of Scots, when she married François II of France. However, the choice was seen as very inauspicious, as the colour white was the official colour of mourning in France during the time.
メアリの時代のフランスでは、白といったら「喪の色」だったので、縁起が悪かったらしいですね~。
>コロネル姉妹
セビリアの伝承バージョンと、史実の両方が紹介されているのですが、名前に混乱があるらしく、アルドンサとマリア両方に迫ったのかどうかは謎です。
もっとも、伝承版のほうでは、王様、食い損ねてますが(苦笑)。
+++++
このようにして、物事はまとまり、あふれるほどあるエンリケの幸運の芽を摘み取るために英国の権力が介入することになった。ペドロ王は更に、エドワード王の寵愛を確実なものにし、今日私たちが知る限りあまり王室的ではないような冒険談のあるエドワード王の騎士道を尊ぶ息子に忠誠心を示すため、自らの娘コンスタンザとイザベルと英国王子達との結婚のアレンジをするようロンドンに大使を送り込んだ。ペドロ王は大使に長い手紙を託し、その中でエドワード3世に対する忠誠を懇々と説明した。
他に着目されるべきこととして、ペドロ王はこのように書いている。
「まだ子供の頃にわが父、わが王であるアルフォンソ王をなくしたことは周知のことであります。本来ならば、父亡き後、私にとっては年上の兄であるエンリケやファドリケらが私を守り、よき相談相手となるべきところ、本家に対抗して財産を狙い、メディナ・ソディナの連盟に参加したのです。ファドリケの死は当然あってしかるべきことでした。私は、刃向かう者に罰を与えので残酷な暴君だと呼ばれていますが、それはあくまでも私の王国で平和に暮らそうとしている民に害を及ぼした者たちに対する罰なんだとエドワード王にはお伝えください。
エドワード王はペドロ王の庇護を許可し、王座の奪回を約束した。リブールヌ条約はペドロ王自らが調印し、王国復活の後、ビスケイの一部を英国に割譲する約束をした。割譲を約束したビスケイには港が含まれていた。また、550,000枚のフローリン金貨の支払いも含まれていた。ペドロ王の娘たちは人質として英国領ボルドーに滞在することになった。このみると、黒太子はまんざら悪い取引をしたようには思えない。
条約が結ばれると、王子は、戦いの仕度に奮励した。というのは、今一度戦場における自らの運のよさを試し、臣下たちに素晴らしい武勇を見せることが出来るのをうれしく思ったからである。実は、戦場での勇姿はかれこれ10年ほど見せる機会が無かった。
兵士に給与が払えるよう、自らの金銀食器を溶かして貨幣にした。また、新たに同盟者となったペドロ王には親しくしながらも王たる者の尊厳についての心得を語った。
「貴殿の臣下たちを(金品で)喜ばせてやりなさい。臣下たちの愛情を得られなければ王冠が貴殿の頭上に戻ってくることはありませんよ。」と王子はペドロ王に言った。
カスティリアの君主は、王子の助言にこめられた分別に理解を示したように思われたが、心の中では、根の深い憎しみや復讐の気持ちがまだくすぶっていた。王子の説諭は、実は騎士道的な不安の現われであったかもしれない。というのは、英国にとって新たな挑戦の原因が必ずしも世界で最も汚れなく賢明なものではなかったからである。英国の大陸での覇権争いに興味を示す流れ者の騎士たちがボルドーの陣地におそおそ入って来ては、新王の周りで繰り広げられているおぞましい話をして回るのであった。砂漠の中のオアシスのように、フランスやナバールやイベリア半島全土の状況は流浪する英国騎士たちには非常に魅力的で、再び自分たちのやり方で戦う準備を整え始めた。
一方エンリケは、英国によるペドロ王への援助作戦をたいした脅威として感じてはいなかったようである。しかし、ガスリンは明らかに注意深く自分の周りで囁かれる噂話を考慮し、この英国のキャプテンの動向を非常に重んじていたことがうかがわれる。
「ベルランド殿、ウェールズ王子のことをお考えなされよ。彼は我々に戦争を仕掛け、ペドロ王をカスティリアの王として復活させるそうですぞ。どうお考えか。」と、いうガスリンの質問に対して、ベルランドは、こう答えた。「ペドロ王は大変勇敢で志を強く持った騎士です。王国を取り戻すと宣言したからには、必ず全力を尽くしなんとしてでもそれをやり遂げるでしょう。」 フランスの次期保安武官長は更にエンリケに助言をした。常に意志を高く持ち、エンリケの許可なしに王国をされることを許してはいけないと。ガスリンはフランスに赴きサポート体制をより強くしようとした。フランスにおけるガスリンの人気はそれを可能にした。
エンリケは征服者として絶頂を極めたものの、人気を支えるために与え続けた報酬によって自分の財産は切り崩され、いまや引き潮の兆候が見え始めたのである。エンリケにとっても最大援助者であるフランスのチャールズ(シャルル)は、あまり多く実際的な援助を与えることが出来るような位置付けに無く、ナバール王国の老いた王はいつもの如く風見鶏的な態度を取った。ペドロ4世に関しては、すでに援助した分の支払いを一刻も早くするようにと請求し始め、エンリケが求めていた更なる援助に応じるつもりなどは無かった。
エンリケはブルゴスでコルテスを召集した。ブルゴスはカスティリアにおけるエンリケの地位を最初に正式なものとして認めた町である。コルテスでは議員たちに対し、英国による侵略の危機を回避できるような方法を考えるよう命令が下った。議会は課税の決議をし、戦争に必要な資金を調達できるようにした。この賦課税は大きな拘束力を持ったため、1億9千万ものマラベディス硬貨が集められたが、確かに莫大な量ではあるが、実はびっくりするほど多くはなかった。
カスティリアの貴族たちの殆どがこの新しい主君の前に馳せ参じ、忠誠を誓った。戦場に集まってきたのは恐らく自己防衛のためであった。と言うのは、セビリアではリコ・オンブレが大群を挙兵したものの、エンリケの対抗勢力の反乱は主に王国の端の方で発生していたからである。それらの反乱は実際には不穏分子(地方の豪族)たちによるもので、ペドロ王統治下の厳しさは-確かに厳しすぎることもあるが-結局は非常に的を得たものだったと考えられる。
この頃、ポルトガルの王が死去し、テリョが並外れたある出来事に関わった。テリョは自分がビスケーの領主たる権利を有することを良く理解し、また、ポルトガル王家の正統相続権を持つホアナと結婚しているという事実を拠り所としていた。しかしながら、ペドロ王の人質として妻(ホアナ)が死去してしまった際、テリョはビスケーの人々から今までどおりのサポートを得ることが出来るかどうか不安に陥った。
寛大なエンリケが弟であるテリョにビスケー地方を与えたとき、自分こそが本当のホアンであると宣言した若い女性が現れた。この女が詐欺師であると知りながら、自分の領地をより安全に確保しておくために、テリョはこの女を受け入れて一緒にすごした。この策略は当然の如くばれてしまい、独立心が強く横柄な臣下達との信頼関係にひびが入ってしまったようである。
カスティリアをペドロとエンリケのどちらが統治するかに関しては、いろいろな意味でナバール王国が鍵を握っていたといえる。伝えによるとネロやカリギュラと同じぐらい大変な怪奇かつ残忍な乱交をぶりで日々をすごしていたカルロス王は、恐らく、それまでの人生でこれほど激しく同盟国のために侵略の危機にさらされたことは無かったようである。
大抵非凡な存在というのは、それが善であれ悪であれ、あるいは誰であれ、いつの時代であれ、同じパターンであるが、カルロス王も中途半端にあの時代の慣習や考えかたを実践しただけであった。騎士道精神もカルロス王にとってあまり意味の無いものであり、それは、ガスリンやペドロ王などいわゆる騎士と呼ばれていた連中も実は同じであった。騎士道精神を重視していたのは、恐らく、本来騎士道的精神からすれば蔑むべき存在のブルジョア階級の人々であった。
カルロス王は四方八方からお金や約束事の申し出を受けた。それは、エドワード、ペドロ王、エンリケからのものであった。誰彼かまわずもらえるものは誰からでも何でも受け付けた。しかし、そのお返しは出来る限り最小限に抑えた。彼はそれが何であれ約束を守ると言い、何に対しても誓い言をたてた。
しかしついに、決して守られることの無かった誓いに支払われた軍事目的援助金などの提供者達は、約束の履行を頑固として要求しだしたのである。エドワード王子はこのスペインのネロとも言える暴君をのさばらせておくつもりは毛頭無かった。王子がロンチェスバレスの峠に差し掛かったときに、もしカルロス王による援助協力の合意が果たされない場合はこのまま進撃する旨を発表した。カルロス王は、同時に王子の軍を打ち負かす命令を下し、この命令は秘密裏に行い敵を驚かせるよう命令した。まさに、これは凝った皮肉的駆け引きであった。
カルロス王が嘘八百で聞き入れた約束事を守らせるようペドロ王とエンリケ王がカルロスに迫ると、どちらか勝った方の味方になるなどという理論を展開して見せた。このように、誰の味方になるとも表明しない間のカルロス王は、結構おかしくも斬新な対処方法を披露した。それは、イベリア半島における他の君主達と比べると独特な思考を持った人物であるといえる。
ナバール王国の前線のボルハのある城は、ブレトンの騎士でもあるガスリンのいとこが占領していた。(オリビエ・デ・マウニーの1人)。この男は、冒険家で、戦争で生計を立てているような人物であった。カルロス王はこの男と会見し、お互いがめぐらした陰謀話をして大いに楽しんだ。英軍がロンチェスバレスの峠を進軍するまさにその時、ナバール王は英国王子の要請を聞くかのような振りをみせて出撃した。マウニーとの打ち合わせ通り、自分の軍隊の中心部隊を途中で離れ、マウニーの騎士達に守られながらボルハ城に入った。そこなら安全にカルロス王にとっての吉報を待つことが出来ると思ったのである。
まだ訳して読んでいないのですが、
もしやもしや、姉妹そろって食っちゃったの?!王様
いやん(爆)
お忙しそうですね~そんな中でも顔出ししてくれて嬉しいです。
あまり無理しないで~
ここは消えたり無くなったりしませんから~
って自分自身もまだまだ未読のトコが多くてB型さんにおんぶにだっこ状態ですけど(苦笑)
大丈夫ですか~
いつも投稿時間が海外か?と思えるくらいの時間なので、ちょっち心配。。。
あまり睡眠時間を削らないで下さいませ~
「アルカサル」を調べていて体壊したらなんなもならんし(苦笑)
>名前
ほんと、つくづく思うのは外国だと名前のレパートリーの少なさですよね~
エンリケもレオノールもフェルナンドもありふれた名前なのに、尚且つ親から貰っていたりするとゴッチャゴチャですわ(苦笑)
そういう点、日本は漢字があるかにいいよね~
でも女子は「女」としか書かれていないトコは外国に負けるわ(爆)向こうは女でもちゃんと名前も残るし、跡も継げるから~
>アルドンサ
またまた未読のトコでした~
実在なんですね、彼女のことも。さっそく機械翻訳にかけなくっちゃ!!
>白喪服
言われてみれば私が読んだもので白喪服を着ていたのは王様や王妃の人だったわ~
確か、メアリー・スチュワートも夫であるフランソワが亡くなった時、白喪服だったような・・・
はやさかあみいさんの「風の王宮」という漫画でもその旨の記述があつたんですよ~
なのでてっきり「白」が主流なのかな?と
日本版のウィキペディアには明治時代に欧米に習って喪服を「黒」としたと書いたあったから、黒喪服でもアリなんですよね~
B型さんの貼ってくれたリンクでも「黒や濃い色の服」とあるし・・・
作中の王様ってホアナの時といい、アルドンサの時といい、黒喪服の美女に惹かれていたから、ちょっと関心が・・・
でもさ~黒喪服にそそられる王様って・・・もしかしてフェチ?(爆)
まぁ日本のAVとか日活ロマンポルノとかでもそういうのありそうだから、世の男性はそういう趣味ってあるのかも~
ちなみに私は制服フェチ
少佐の軍服姿、たまりません(爆)
話はずれましたが、そう考えると白喪服って王族だけなのかな??
レオノール・エンリケスの父親は、ファドリケではないです。
前夫の情報源のサイトによると、
父:エンリケ・エンリケス(ビリャルバ・イ・ノガレス領主)
母:ウラカ・ポンセ・デ・レオン
だそうです。
ファースト・ネームの後に「エンリケス」が付くのは、
・エンリケの子孫の一部
・ファドリケの子孫の一部
・父親の名が「エンリケ」
まぁ、他にも「エンリケス」が付く場合があるかもしれませんが・・・。
>アルドンサ
そういえば、アルドンサ・コロネルの話も、CHAPTER XVIで出てきました~。
アルドンサ一人の話というより、コロネル姉妹の話かな(笑)。
>喪服
日本でも昔は、喪服といえば白だったらしいですね。
私は実際に見たことはありませんが。
中世ヨーロッパでは、深い哀悼を表すには黒喪服よりも白喪服だったようですが・・・。
↓の説明、「女王や王妃に限っては」ということなのかしら?
http://en.wikipedia.org/wiki/Mourning#White_mourning
花嫁衣装のほうは、まだ調査中~(笑)。
ほほう~
イザベルが()なのは養女だからなんですね~
それはそうとファドリケの息子では長男クンの家系が重要なトコロを抑えているのは以前B型さんに教えてもらってましたが、次男クンのペドロもこちらに関わってましたか~
凄いね、「アルカサル」キャラの子孫同士の婚姻関係(爆)
ファドリケは不幸に亡くなり方(殺されたもんだし)をしたので、ロペスの娘みたいに苦労をしたのかと思ったけど、なんかこういうトコを見ると結構庇護されていた感じですね
レオノール・エンリケスという名前が出てきたので、ロドリゲスの再婚相手もファドリケの娘かと思ったけど、それは違うのね?(苦笑)
それはそうと・・・ホアナ(カタリナ)の生年が1330年が多いですが、このサイトのロドリゲスの生年が1320年なら結婚が1354年だとするとカタリナ24才、ロドリゲスが34才
んで王様の生年が1334年で、ホアナが1325から9つ差か・・・
王様が1354で20才なら、29才になるのね・・・
喪服の色っぽさに惹かれたとなってましたが、29なら確かに色気もありそうだ(苦笑)
でもアルドンサも老けて見えても18だったし、昔は結婚が早かったから何ともいえませんね~ますます妄想が膨らむわ(爆)
そういえば昔のヨーロッパでは喪服は黒ではなく白、そして花嫁衣装は白ではなく金糸だと聞いた記憶があるんですが、アルカサル時代もそうだったんでしようか?
ちょっと調べてみたら「黒」というのと、「白」というのの両方がヒットするんですよ
どちらでも良かったのかしら??
鳴ってる間はさすがにネット接続できないので、またこんな時間に(苦笑)。
フェルナンド(ロドリゲス)とホアナ(カタリナ)の間に生まれた子供は2人のようですね。
ペドロとグテレ(グティエレ?)。
3番目のイサベルに( )が付いているのは、もしかしたら養女なんではないかと。
本当の父親は、アルバロ・ピレス・デ・カストロ、フェルナンドの腹違いの兄にあたる人物のようです。
このイサベルと結婚することになるのが、トラスタマラ伯ペドロ・エンリケス・デ・カスティーリャで、こちらはファドリケの息子の一人、つまりホアナの甥ですね。
フェルナンドの2度目の奥方のレオノール・エンリケスは、↑とは別の家系サイトによると、アルフォンソ・ペレス・デ・グスマンの未亡人だそうです。
残念ながら、前夫はビセンテ・ロペスじゃないのよ~(苦笑)。
更に、下のNotas(注釈)によると、あるソースには「2度目の結婚相手はイサベル・エンリケス・デ・カスティーリャという女性かもしれず、子供はいなかった」と書いてあるらしい・・・。
ここらへん、ポルトガル語の解釈に全く自信ありません。
ベースはスペイン語なのに、細字の説明文だけがポルトガル語という、変なつくりのページですな・・・(苦笑)。
因に、フェルナンドの父親のところは何故か全部ポルトガル語みたいです(笑)。
そういえば、フェルナンドの妹のホアナは、このサイトによると1325年頃の生まれなんですよね~。
王様より10才近く年上です。
でも、考えようによっては、このほうが説得力があるような気もします。
「アルカサル」作中では、ロドリゲスがカタリナと結婚したのは王様とホアナの一件の後、1354年以降・・・ということは、兄が1338年生まれだと16くらいで結婚ですから、妹は更に若かったことになりますよね?
王様はその頃20才くらい、絶対ないとは断言できませんが・・・。
未亡人とはいえ、10代半ばの「小娘」と言ってもいいような相手に、そんなに夢中になれるもんだろーか?
と、つい、勘ぐってしまうんですよね~(苦笑)。
私もバタバタしてて、「CHAPTER」の方もまだ読めていないトコが沢山あるの~(涙)
>アルバレス
やはり同じ名前が多すぎて何かなんだか判らないですよね~(苦笑)
でも王国の要ともいえるサンチァゴ騎士団もカラトバ騎士団もそれぞりの団長が裏切った事実はアルカサルファンには結構衝撃ですよね~
>ロドリゲス
スペイン語はおろかポルトガル語になるとさっぱりなのですが・・・
もしかして
カタリナ(ホアナ)との間に
・ペドロ
・ギューター(読みがこれでいいのか判りませんが・汗)
・イザベラ
という3人の子供がいて
2度目の結婚はアナベラではなく「レオノール・エンリケス」という女性で
尚且つ「ミラ」という愛妾がいて「アルバロ」という息子がいたという解釈で宜しいのかしら?
う~ん・・・・ロドリゲス、お前もか(苦笑)
愛するのは妻一人と言う誠実な男性というのはいないものなのね~
良かったね、イザベラ、1人もいなくて(爆)
アルバレス&アルバ公爵家の検索を続けていたところ、こんな家系サイトに行き着いたので、ついでにいろいろ見ていたらば、こんなの発見。
(ポルトガル語のようです)
http://www.geneall.net/H/per_page.php?id=804
まあ、見て頂ければわかりますが、いままでの説とはかなり生年が違ってます。
名前もちょっと違うし。
ここでは、カタリナのモデルのホアナは1330年頃の生まれです。
生年以外にも、個人的には「ロドリゲスのイメージが~~~!」と思うようなことがあったりする・・・(爆)。
アルバレスのところの親子関係は、検索すればするほど謎が増殖してしまって、「もうわけ分かりませ~ん」ってことで、逃げますっ(笑)。
あらら~お仕事がお忙しいのですね!!
大丈夫、ここは無くなったりしませんから~
落ち着いたときにゆっくり参加してください(笑)
なにせ内容が濃いから読むだけでも時間がかかるトコだし~
和訳の続きを楽しみに待ってますね~
アルバレスの家系・・・なんか意識して有名なご先祖の名前を子供につけているようですね
それだものガルシアやフェルナンドが多いはずだよ(涙)
ツリー表示をみてもイマイチどう繋がっているのが理解できません。
それはそうとしきりに出てくる「オロペサ」が気になって検索したところ、こんなサイトを発見
http://www002.upp.so-net.ne.jp/mikuroom/spain.html
以下抜粋
「非常に古くから城があり、それがキリスト教徒とモーロ人との間の度重なる戦いで破壊された後、1366に再建された。そしてガルシア・アルバレスがこの城と周辺の領地とを国王エンリケ2世から与えられ、更に城の修復に務めた」とありました。
最初、機械翻訳のむちゃくちゃな訳を読んでて、てっきりアルバレスのお父さんが「オロペサ」という名前で、アルバレスが第一子(長男)かと思っていたら、「オロペサ」というのはアルバレスがエンリケにトレドを売った代償としてもらった領地のことなんですね~
1stという表示は初めの領主という意味みたい
そうなるとアルバレスは「エンリケの恩寵」でオロペサを貰い、彼の息子だか弟だか、甥っ子だかのフェルナンドがハランディーリャの城(領地)を貰い、後のアルバ公爵家の礎を築いたと・・・
オロペサってトレドの近郊みたいなので、アルバレスがここを貰ったというのもなんか因縁めいてて、うなづけます
それにしてもどのフェルナンデスがアルバ公家に繋がるんでしょうね?
一番わかりやすいところは、ここかな・・・。
「Jamie Allen's Family Tree」
http://fabpedigree.com/s004/f216641.htm
大きい太字が、マリア・エンリケスと結婚した初代アルバ公爵。
サンチアゴ騎士団長だったガルシアは、ファミリー・ツリーの上から2番目、Garci ofで始まる名前がそうだと思われます。
没年が「1370年?」となっているので。
こちらのサイトでは、二人の間柄が直系になっていますが、以前このコメント欄の一番上に貼ったリンク先、検索結果の多分9番目くらいにある家系サイトのほうでは、ガルシアの後を継いだのは甥と弟の二人となってます。
甥も弟もフェルナンドなので、ややこしいですね。
しかも、初代アルバ公との関係が今ひとつ分からなかったりする(苦笑)。
アルバレスの生年は、どちらのサイトにも書いてありませんが、他所だと1326年と書いてあるところもあります。
ところで、前回マリア・エンリケスがアルバ家に嫁いでファドリケの家系とつながったと書きましたが、実は、マリアはそもそも母方の祖母がアルバレスの家系の出だったんですね~。
こちらは全く気付きませんでした(苦笑)。
お~さすが!既にご存知でしたのね~
ファミリーネームですか~ってコトは現代にも
「de Castilla」を持つ人がいるのかな?
もし庶子ディエゴくんの血筋の子孫がご存命なら、王様の子孫にもなるわけですもんね~
あぁ妄想が膨らむ(笑)
>マリア・エンリケス
この人の夫となつたのがエンリケ4世から爵位をうけ、アルバ公の始まりとなった「ガルシア・アルバレス・トレド」なんですね?
なんかこのアルバ家同じ名前が多くて(フェルナンドとかガルシアとかファドリケとか)検索しても有名な3代目4代目ばかりで、肝心要の王様を裏切ったあのアルバレスヒットしないのよ~
アルバ家の家系図サイトも見つからないし、ますます判らん
それはそうとこんな表記があるのを見つけました
http://www.spain-ya.com/Pages/castle07.htm
これによると1369年にエンリケ2世によってハランディーリャの城(領地)がフェルナンド・アルバレス・デ・トレドに与えられたそうです
これって例の「エンリケの恩寵」ですよね?
ってコトはこのフェルナンド、あのアルバレスの息子か兄弟なのでしょうか?
初代アルバ公爵となったガルシアの父が「フェルナンド」という名前のようなので、もしエンリケの恩寵を受けたフェルナンドと同一人物なのかな~とも思ったりして
なんかこの辺りがわかる家系図サイト知りませんか?
私も機械翻訳ですし、ざっとしか見ていないので推測ですが、もともとは「Castilla」というファミリー・ネームを持つ方がご自身のルーツを探求していて作ったものが、家系サイトに発展したもののようです。
「Apellido Castilla」トップページへのリンクが、たれぞ~さんが貼ったリンク先の下のほうにあります。
「de Castilla」というのは、このサイトさんの研究によると、9世紀頃に使われ始めた称号のようですね。
王様より前の時代のカスティリア王達をルーツとする家系も「de Castilla」を名乗っていたのかどうかまでは未確認です~(苦笑)。
女系は結婚によって子の姓が変わっていきそうですが・・・。
それにしても、JuanとかPedroとか、同じような組み合わせの名前ばかりで、くらくらしますわ~(苦笑)。
>アルバ家
以前、コンスタンシアとイサベルの子孫達のところでも登場しましたが・・・。
(コンスタンシアの子孫の)マリー・ド・メディシスは、狂女王フアナの血を引く母方はもちろん、父方からも祖母のエレオノーラを通じてファドリケの血を引いているらしいのですが、このエレオノーラの実家がアルバ家です。
ファドリケの子孫のマリア・エンリケス(エレオノーラの曾祖母)がアルバ家に嫁いできて、二つの家系がつながりました。
二人のサンチアゴ騎士団長の子孫達が親戚になったわけですね(笑)。
うわ~大作の和訳ありがとうございます
ただ今、原文を機械翻訳にかけたものとKE007さんが訳されたものを見比べながら読んでいます
機械翻訳でチンプンカンプンだったトコロが、判りました~それにしてもこのサイトの英文、長いけど、すごく詳細ですね~
完結編で書かれていなかった詳細まで判って、より鮮明に当時のことが判りますね
>カルロス・ザ・バット
この時代でカルロスの名を持つのは隣国ナバーラのカルロス2世のことではないでしょうか?
確か、大国に挟まれたナバーラは日和見的な部分があったので、2分した戦っていたカスティリアの中では「性悪」と捉えられても仕方が無いかも(苦笑)
ほほぉ~イザベルがアルフォンソの乳母だったんですね~
マリア亡き後は、第一の愛妾だったのかも
2人も男子を産んでいるのなら、王様としても格別だったんでしょうし・・・
>サンチョ
私も系図サイトを見てきました~
ほんとつながりますね~
庶子といえど、やはり王家の一員。
重要なトコ抑えてますね~
それにしてもアルバレスがアルバ公の源流とは驚きました
スペイン史や家系は全く判らないのでアルバ公爵家がどれほど凄いかイマイチ判っていないのですが検索すると子孫と思われる同じな前の人がヒットしするんですが、かなり有名な人みたいですね~
そうそう王様関連でこんなサイトがヒットしました。
どうも名前に関するサイトらしいのですが、機械翻訳なので正しい解釈か判りませんが、これによると苗字にカスティーリアを使うようになったのは王様の時代からつてことを言っているんでしょうか?
マリアの庶子で王位継承権があったホアンのことも少し書いてあります
どうやら王様が決めたみたいですね
http://www.genealogia-es.com/castilla/origen.html
この遠征隊は12の艦隊で編成され、各艦は弓隊と武装隊を満載することになっていた。しかし、この艦隊がバイヨンヌで出港準備を整え出向に適した風を待っていたとき、ペドロ王が少数の家臣を連れて王子がいる地に現れた。そのとき、ペドロ王は自分がもてるだけの財宝を持っていた。
イギリス人たちはペドロ王を手厚く向かい入れ、実はエドワード王子の指示でペドロ王をちょうど今迎えに行こうとしていたところだったと説明した。その説明を聞きペドロ王は大変喜び、そこにいた騎士たちに深く感謝した。
バイヨンヌには長く滞在することなく、全員ボルドーに向かった。ボルドーには無事に着くことが出来た。
王子は、騎士や従者たちを連れてペドロ王一行に会いに行った。「謁見の際、十分なほど敬意が払われ、言葉遣いからしぐさに及ぶまで最新の注意が払われた。これは、自分がどのように振舞うべきかを完璧に知りえる者だけの成せる事で、この時代この王子ほど王子という肩書きにふさわしい作法を理解していたものはいなかった、と言われている。
休憩を取った後、一群はペドロ王達とともにボルドーに戻ってきた。そのとき、王子は王の右側に馬面を並べていた。それは王子がそのように望んだことであった。途中、ペドロ王は王子に今までの苦労話を聞かせ、王子はそれを心から思いやった。聖アンドリュー寺院に到着すると、きちんと整った客室を案内された。そこには清潔で上品な寝具と衣類がきちんと用意されていた。「王は身分にふさわしい身なりを整えると、王女や令嬢達に挨拶に上がり、王の洗練された品性は彼女たちみんなに大変良い好感を与えた」とフロサーは言っている。
しかしながら、ウェールズ王女は直感的にペドロ王にの顔の表情に嫌悪を感じ、エドワード王子がペドロ王のためにアレンジした計画に決して賛同することは無かった。王子の騎士の中にも、イベリア半島の政治紛争に関わる事を躊躇する者があり、家臣として国と王子のために言うべきことは言うべきだと考える者が、「恐れ多くも、“大欲は無欲”ということわざがございます。他にも王子と呼ばれる方たちは多くいますが、殿下はもっとも先進的で尊ばれて名誉高きお方です。また、今現在諸国の王との関係はどれも友好的で特に目立った敵などいません。殿下は武勇と幸運を以って英国騎士道に十分にかなった名声をお持ちです。自ら好んで敵など作らず、このように良い状態を維持されのがよろしいかと進言申し上げます。」と語った。家臣たちは更に、ペドロ王に関して、その残酷さ、不信心さ、みだらさが悪い評判の元になっていることや、正妻プランシェの死がペドロ王の手によるものらしいことなども王子に語った。
これらの進言に対して、ペドロ王のことはよく理解しており、王に欠点があるからこそ今苦しい立場にいることを家臣たちに語った。庶子が王国を相続し正当な相続者である者を押し出すというのは全く理に適わないばかりか、このような状況は王族に対する最大の冒涜・侵害であると述べた。
このような発言から、この王子がいかに強い王権神授説の信奉者であるかが理解できる。この考え方を具現するため、王子はカスティリア王と自分の父親が昔からの同盟者であることをカウンシルのメンバーに告げた。
王子がペドロ王に関してこれほどのことを言ったお返しに、この新たな友に対し多くの(おいしい)約束を口にし、これをその「友」たちは聞き入ったとフロサーは述べている。なぜなら、「生来、英国人もガスコーニュ人も強欲であるから。」
+++++
超大きな間違いの発見。ネットからテキストをコピペするときに段落数値も一緒にテキスト内についてきたことを全く気付かず、「なんかヘンだな」と思いながら「277発の応酬放火」とか、「278人の女たち」みたいなことをやってしまいました。ばかばか!やはり未熟者です。(涙)では、良い週末を。
今日は結構仕事があったので、それほど多く時間を費やすことが出来ませんでした。来週は上司が出張なので、結構いけると思います。(仕事しろ!)
++++++
脱出のため馬に飛び乗って逃げ出すや否や、破壊・略奪という使命を帯びた群衆が雄たけびを上げてアルカサルに乱入てきた。この災難の中、ペドロ王はポルトガルに向かった。ポルトガル王の息子フェルナンドとペドロ王の娘ベアトリスの結婚は長い間計画レベルにあったが、この話が具体的にまとまれば自分の娘の義理の父となるポルトガル王から何かしら援助が得られるのではないかと希望を持った。ペドロ王はポルトガル王との謁見を試みたが、驚いたことにポルトガルへの道中で先に送り出したベアトリスに遭った。ベアトリスは不名誉にも、不誠実な同盟者から送り返されたのであった。
「フェルナンドは貴殿の娘ベアトリスとの結婚はもう望んでおらず。」 これがポルトガルからカスティリアに対するメッセージであった。カスティリアの王はいまや自らの国で放浪者・漂流者と化してしまったのである。さらに、ポルトガルはペドロ王に対して、ポルトガルに亡命しようとしたり、援助を頼み出たりしないようにとも言ってよこした。ペドロ王は言葉無くこのメッセージを聞くだけであった。後に、同行していた騎士の一人が見ている中、ペドロは、ポケットから金貨を数枚取り出し、一行が滞在していた家の屋根からばら撒いたという話が残されている。この騎士は、恐らく自らの未払いの俸給のことでも思いながら、王に対して、「このような誠意の無い国の土地に撒かれるのではなく、臣下たちに分け与えたほうがよっぽどよろしいのではないでしょうか」と進言した。王はひどく怒りながら、「確かにそうかもしれないな。そうすることにしよう。」と言い放った。「いまからばら撒いてやる。しかし、撒いたものは必ずいつかそのうちに刈り取りにやってくるぞ!」 ペドロ王の言い放ったこの予言は決して当たらず、ポルトガルは幸運であった。
あと2ヶ月ほど放浪と貧窮に苦しみ、そしてあちらこちらで戦いを重ねながら、やっとの思い出でカスティリア領モントレーにたどり着くと、王を歓迎する声が上がり、信義に厚い騎士達が再び王の周りに集まっていた。彼らはペドロ王の忠実な家来フェルナンド・デ・カストロの家臣たちであった。かなり良い種類の知らせがペドロ王に寄せられてきた。ペドロ王は、カスティリアの中にはまだエンリケに追随しない町があるということを知った。勇壮なフェルナンド・デ・カストロは、兵を募って今一度ペドロ王のために戦うことを宣言した。
自らの王国の窮地に立つペドロ王は、ゾマラ城で人目につかないようにしていた。そこからペドロ王は、当時ボルドーにいたウェールズ公に手紙を送り、自らの苦しい現状を説明し、公の伝統的英国騎士道精神で助けを出してくれるよう懇願した。(つまりヨイショをしたということ) ペドロ王は、英国王子が唯一ペドロ王が王冠を維持できる助けだという認識のもと、全霊をかけて王子が納得してくれるような巧妙な内容の手紙を書いた。ペドロ王は、昔からフランスと犬猿の仲であるカルロス王(性悪王)や、イギリスの盟友達にも援助の手紙を書いた。
ペドロ王は、サンティアゴ・デ・コンポステラで大司教を死刑に処した。
一方で、エンリケ軍は、町から町を長い凱旋行軍して歩き、ついにはセビリヤに到った。ペドロ王にとって常に一番の拠点であったセビリアで、エンリケ軍は他のどこでも得られなかったほどの歓迎を受けた。町の入り口で群集が余りにも歓迎するため、エンリケ新王は王宮に入るまでの道のりを何時間もかけて行ったほどである。誰もがエンリケ新王を人目みたいと切望して押し寄せたため、エンリケ新王が町の門に到着したのは朝だったが、アルカサルに入場したのは夕暮れ時であった。
ガルシアで特に大きないざこざ無かったことで、カスティリア全土は殆ど無血で傭兵達によって征服されたのであった。恐らく、これら抗戦好きの輩は、本物のペドロ王に会ってがっかりしたのかも知れない。つまり、武勇を見せ付けるに値しない無い敵であると思ったのであろう。いずれにせよ、エンリケ新王は、しばらくするとお金のかかる傭兵達のことを疎ましく思い始め、ガスリンに傭兵達の帰国を提案した。この新庶子王はブレトン将軍、ヒュー騎士、そして1500人ばかりの騎士だけを自分の為に残し、あとはさっさと彼らの本国フランスに送り返したいと思っていた。
コンテ・デ・ラ・マルシェやサー・デ・バーユーなど何人かは道中の危険を承知でフランスに戻って行った。
エンリケ新王との行軍中には無かった大暴れが、今まさに大規模にこれら帰還中傭兵によって繰り広げられることとなった。カスティリア王国、ナバール王国、フランス王国は彼らを通行禁止としたが、もともと戦うことが仕事の傭兵達はどこに行っても勝利を手にし、多くの殺人も犯しつつも、ある程度整然とフランスに戻り着いた。
一方、黒太子に宛てた手紙をもったペドロ王の騎士とその従者達(前出のフロサーによると、「最も哀れで嘆かわしいほど疲労していた」)がボードレーに到着し、王子が滞在していた聖アンドリュー寺院へと向かった。エドワード王子が、ペドロ王の使いの者たちから書簡を受け取りそれを読み終えると、このように述べた。「そなた達を歓待いたす。ここに滞在するが良い。回答なしにペドロ王の元に送り返すようなことはしないからな。」
王子は自室にこもり、ペドロ王からの手紙の内容を吟味した。すぐに騎士達と会議を行った。そこには、ジョン・チャンドスやウィリアム・フェルトンも参加した。
スペインから使者達がやってくると、王子は微笑みながら、「“皆さん、スペインから素晴らしい便りが来ましたよ”といった。エドワード王子はペドロ王からの手紙を騎士達の前で読み上げ、騎士達は熱心に耳を傾けて聞いた。王子は、騎士達に意見を求めた。
Otros dos hijos de Pedro, llamados Sancho y Diego, tuvieron por madre a Isabel, aya del niño Alfonso, hijo del rey y de María de Padilla.
これによると、アルフォンソの乳母だったのは、イサベル(・デ・サンドバル)だったんですね~。
とすると、ウラカは、マリア・デ・イネストロサとイサベルをミックスしたキャラクターだったんでしょうか。
>(エンリケの弟の)サンチョ
この人の奥方になったベアトリスって、イネス・デ・カストロとペードロ王子(後のポルトガル王ペードロ1世)の庶子なんですよね~。
娘のレオノールは、エンリケ3世の弟でアラゴンの王位を継いだフェルナンドの妃。
その子のアラゴン王ホアン2世と2番目の奥方(ファドリケの子孫)との子がイサベル女王と結婚したフェルナンド2世。
ってことで、こちらの子孫もスペイン・ハプスブルクに繋がりましたね~(笑)。
>アルバレス
本人は、1370年に怪我が元で亡くなったようです。
驚いたことに、子孫(直系ではないかも)はスペインでも有名なアルバ公爵家に繋がっていたんですよね~。
エンリケにトレドを売ったことで、公爵家の土台を築いた・・・ということになるらしいですね。
http://es.wikipedia.org/wiki/Oropesa_%28Toledo%29
http://es.wikipedia.org/wiki/Casa_de_Alba
>宝塚版「エル・アルコン」
リンク先の写真を見ましたが・・・。
やっぱりどうしても、受け入れられない~!!
王様と違って、あちらのキャラクター達の場合は、マンガと舞台版を別物として割り切ることは難しいです。
というか、私には無理!
まだ見ていないなら是非!!
http://www.sankei.co.jp/enak/
7/18の「宝塚歌劇星組 制作発表」トコを見てください
ギルダ・・・なんとなく雰囲気出ていません?(笑)
さっそく調べて下さったのですね~ありがとうございます
そっか~ホアナの生年1339年説もあるんだ・・・
ロドリゲスが1338年ならこっちにの方がなんかお似合いかも~
1330年だと8つも年上になっちゃうし・・・
でも1338年で結婚が1354年なら、ロドリゲスは御年16才
もし仮に8つ上だったなら、カタリナ24才・・・ありえなくはない。
それどころか、少年の心に「綺麗なお姉さん」的な憧れやこれが初恋だったとしたら、
ずーっと心に残ったのかもしれないなぁ・・・
>アルバレスの辞任
ほぇ~!!死亡じゃなくて、辞任ですか!!
しかもディエゴ兄と同じく裏切りとは・・・
王様のご苦労が察しれますね
いくら裏切りに慣れていた王様とはいえ、腹心の部下2人にこの仕打ちをされたら、辛かっただろうな~
青池さんが描くのを躊躇われた気持ちがちと判る(苦笑)
作中で、ああいうちょっとおマヌケっぽい死因にしたのは
その仕返しだったりして?!(苦笑)
だから余計にロペスやロドリゲスの忠心が後々にまで語り継がれているのかもね
うわ~大作の和訳ありがとこざいます!!
私もB型さんに教えてもらって機械翻訳で読んだけど、チンプンカンプンで(苦笑)
やっぱりこうやって読ませていただくと、細部がわかりますね~
>テリョとサンチョ
別サイトをみていると、このテリョとサンチョが良く出てきていたんです
本編でもテリョは出てきていたけど、サンチョは出ていなかったので、
どんな役割なのかな~と思っていたら、ダンブルケルケの所領を相続した人なんですね~
>王様の愛妾
系図サイトによると
・ホアナ・デ・カストロ(ロドリゲスの妹)
子供-ホアン
・イザベル・デ・サンドバル
子供-ディエゴとサンチョ(作中ではエンリケに幽閉されてます)
・テレサ・デ・アヤラ
子供-マリア
・マリア・デ・イネストロサ(作中ではウラカ)
子供-フェルナンド
となっていました。
他のサイトでもこの4名は表記されていたので、
公の愛妾として記録が残っているんでしょうね~
でも王様のことだから、一夜限りのお遊びもありそうな・・・(うふふ)
>ディエゴとアルバレスの裏切り
うわ~こうやって読むと絆は何処へ・・・と言う感じですね~
ディエゴは後に王様に捕まって幽閉されたとのコトですが、アルバレスの最期も気になりますね~
+++++
敵がブルゴスから1日離れただけの距離にあるとき、ペドロ王はこれからやってくる混沌に催眠術をかけられたかのように、宮殿でじっとしていた。混乱と混沌の空気が人々の間を漂い、いつ何時に何が起こってもおかしくないような雰囲気であった。王は有効な指示を出すでもなく、自らの地位や運に対し誇りを持っているようにもみえない一方で、王の周りにはまだ多くの臣下が忠誠を近い、敵を前に自らを震え起こさせるような王の言葉を待っていた。
市民たちは勇気に満ちていた。金も武器もあり、町の防御もしっかりとしていた。王が命令さえ下せば戦う準備は十分にあった。しかし、パームサンデーの前日の土曜日、馬に乗った一群が町を去る準備をしていた。また、600人のムーア人衛兵たちが門の前で整列を始めた。
「王は我々を見捨てようとされているぞ」と人々は口にし、群集が宮殿の周りに集まった。
町の長老たちがペドロ王に進み寄り、この町が全て王のためにあり王のためなら何でもすることを明言し、王が町を見捨てることなどしないよう懇願した。
王は、口ごもりながら長老たちに礼を言ったが、敵の行軍先であると思われるセビリアに向かって今すぐにでも出発しなければならないと主張した。王が去った後のことを心配する町の住民の懇願や当惑に対し、王は「自分たちで出来る限りのことをやるように」という言葉を残して、親衛隊らと共に自らの運命に向かって町を出た。
ペドロ王は明らかに自らがどうにもならない状況にあると思った。その一方で、王位をすっかりあきらめてしまう考えはまだなかったようでもある。というのは、今日、ペドロ王の考えた兵の動かし方や指示系統の内容を検証すると、その防衛計画の概要がそれを物語っているからである。アラゴンの前線の町全てに駐屯している司令官たちに便りを送り、持ち場を放棄し、トレドに集結して王と一緒に戦うよう命令を下した。激戦を覚悟の上、スペインの内陸部に軍を集結し、天候とゲリラ戦を武器に戦おうとしていたようである。このような戦略は、イベリア半島やフランスの戦いでしばしば用いられたもので、十分に効果が期待できた。しかし、貴族たちからの忠誠を失ったペドロ王にこの戦略は功を奏すことは無かった。
自らの君主に見捨てられたブルゴスの町は、エンリケを受け入れるべく町の門を開き、翌日ラス・エルガス修道院の教会で二度目の戴冠式が執り行われた。
新王は、自らの信奉者や後援者たちに新たな名誉や肩書きを惜しむことなく与えることで自分の即位を有名なものにした(エンリケの恩寵)。ゲスリンには自らの家名であるトラスタマラを授け、ヒュー騎士をカリオンの領主とし、コンデ・デ・デニアはマーキス・デ・ビレナとなった。テリョは、ビスケー領主の地位を再開し、サンチョは、王国に没収されていた亡きホアン・デ・アルバカーキーの領地を相続(息子死亡の為)した。
勲爵士たちに莫大な量の恩典や名誉や爵位がばら撒かれ、そのなんとも容易な寛大さはエンリケの恩寵と呼ばれ、偉業をなしえる前でも手にすることが出来るご褒美として有名になった。もっとも、このエピソードに関しては、どこかの権力者が分に合わない恩恵を気前よく施した場合、「スペインのカスティリア」と言うほうがより一般的な表現ではあるが。
ペドロ王は、トレドに短期間滞在した後、セビリアに向かった。王の行軍は、おかしなことに自分の見方や廷臣の多くを王位簒奪者の旗の下に取られる結果とはならなかった。寝返りの1つは、ペドロ王のことをすっかり忘れたかのように新王のもとに走ったカラトラバ騎士団長のディエゴ・デ・パディーラであった。
ガルシ・アルバレスは2つの広大な領土と莫大な額のお金を引き換えにエンリケ軍にトレドを売却した。エンリケ新王はトレドにてトラスタマラ朝カスティリア王国の最初の謁見式を行い、多くの代表団や貴族たちから忠誠の宣言を受けた。保護者としてのペドロ王に敬意を払っていたユダヤ人たちは、この新王から、古い忠誠心に対する代価を払うよう強要された。結果、ユダヤ人からは巨額の寄付金が搾り取られた。
ペドロ王朝にとって心臓部であり、ペドロ王がこよなく愛し、少年期を過ごしたセビリアでさえ、民衆の持つエンリケに対する敵意は結束しているというより他人事のような雰囲気が漂っているとペドロ王は感じていた。
異教徒とユダヤ人たちによる邪悪な同盟軍の噂や、ムーア人による侵略の話が人々の間に広まり、王の立場が悪くなっていった。激昂した群集がアルカサルの周りに押し寄せたとき、町では騒動が発生し、不吉な様相で広がって行った。
ペドロ王がセビリアに到着して一番最初にやったことのひとつは、自分の娘ベアトリスに忠実な家臣をつけてポルトガルに送り出したことである。ベアトリスはポルトガル王族と婚約をしていたからである。このとき娘には、婚約時に交わした約束の持参金と、母親マリア・デ・パディーラの形見の宝石を大量に持たせてやった。
セビリアの人々が抱いていた不満はすぐに完全な暴動の形となり、王宮の破壊が始まった。暴徒化した民衆が王宮を略奪しながら狂ったように駆け回る中、2人の娘コンスタンザとイザベル、アルカンタラ騎士団長のマルティン・ロペス、エンリケ王の庶娘レオノラ、そして何人かの騎士らと共に脱出を図った。
フロサーは、「妻と子供たちと一緒に」と、言っている。「つまり、ペドロ王は“寝室の女性”であるイザベラあるいは遺書の中で言及されている第2夫人以下の誰かを一緒に連れて行ったようである。」
馬に飛び乗って逃げ出すや否や、破壊という使命を帯びた群衆が雄たけびを上げてアルカサルに乱入てきた。この災難の中、ペドロ王はポルトガルに向かった。ポルトガル王の息子フェルナンドとペドロ王の娘ベアトリスの結婚は長い間計画レベルにあったが、この話が具体的にまとまれば自分の娘の義理の父となるポルトガル王から何かしら援助が得られるのではないかと希望を持った。ペドロ王はポルトガル王との謁見を試みたが、驚いたことにポルトガルへの道中で先に送り出したベアトリスに遭った。ベアトリスは不名誉にも、不誠実な同盟者から送り返されたのであった。
Wikipediaでは、1330年が多数派ですね。
一部の系図サイトさんでは1339年というのもありますが。
ロドリゲスのモデルのフェルナンドの生年は、これまた書かれていないところが多くて、一部で1338年頃となっています。
没年のほうも、1377年説と1375年説がありますね。
二人が結婚したのは1354年で間違いなさそうだけど。
エンリケとファドリケも、サイトによっては双子じゃなかったりしますよね~(笑)。
ちょつと気になったこと発見
エンリケたちの母、レオノール・デ・グズマンは10子に恵まれたそうですが、女子はファナ(作中ではカタリナ)だけ
なのにそのファナの生年が1330年と成っているんです~
ってことはエンリケたちよりお姉さんってことですよね?
他のサイトでも生年は1330年なんでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3
またゆっくり来ます!!
出来たところまで貼り付けておきます。
全く見直ししてないので、超駄文ですが、翻訳機よりはマシでしょう。(でも、無かったりして…。変なところがあったら教えてください。)
+++++
第27章
ヘンリー王
さて、カスティリアでは、残酷王ペドロが弱体化した意思と権力が許す限りの範囲で、侵略に対する攻防の準備を行っていた。栄光の日々を髣髴させるような迅速さと精神力をもって王国の隅から隅まで駆け回った。独立市民の住むブルゴスを軍隊の結集地点と定めた。ブルゴスはカスティリア領地の中でも3番目の主要要塞都市であった。
しかし、近付いてくる凄まじい数の軍勢に関して恐ろしい報告が多く寄せられてきた。兵士たちは皆7フィート( 210センチ) を越える巨漢ばかりで、若樹のような頑丈な腕と馬のような鋭い歯を持ち、悪魔のように戦い、剣や槍などを簡単にかわしてしまう眩いばかりに光り輝くよろいを身につけているとの噂がたっていた。
このような噂話は人々の心の中に恐怖心を植えつけ、、(イタリア)傭兵やガスリンをはじめとする有名司令官や勇敢な騎士ヒューの名声は高まり、恐怖の対象となっていった。つまり、来襲してくるのは実際の軍勢ではなく、到底抵抗できないような精神力を持った楔かたびらを着た悪魔の大群が押し寄せてくるという妄想が戦場を支配したのである。アラゴンに程近い場所で、友好的な手がこの悪魔集団に差し伸べられ、丘の上から277発の応酬砲火が発せられた。ガイドや食料などが山道で侵略者たちに出くわすことになった。
トラスタマラ家エンリケ
ナバラ王国のペドロ4世と道楽息子(エンリケのこと)は、双方とも守るつもりも無い密約を交わし、もうすでにカスティリアは自分たちの手中にあると勝手に解釈し、ペドロ1世亡き後のカスティリアの分割方法を確認しあった。
傭兵たちは、まだ敵国ではなく同盟国にいるということを信じることなく、アラゴンに入るとすぐに、いつものように強奪と略奪を始めた。ペドロ1世が、英国王の臣下が申し出た調停をもし断らずにいれば、エンリケに優勢な情勢を一気にペドロ側に取り戻すことが可能であったかもしれない。
その調停案は、ペドロ1世による相当額の支払いであったが、ペドロ1世はそれに合意することは無かった。
1366年3月、カスティリアに最初の攻撃がなされた。これは、ヒュー・ド・カルバリーがボルハの町を攻撃したときで、この町はカスティリアの手中にあったもともとはアラゴンの町である。英国人が近付いてくると、駐屯兵は遁走してしまった。その後全軍がナバール王国に退去して雪崩れ込み更にはカスティリアに入り、ボルハを征服したのと同じくらい容易にカラオラを占拠してしまった。
カラオラの町が降伏は、町の支配者たちの決定によるものであったが、忠義心の深い住民たちには耐え難い屈辱であった。その証拠に、不名誉を嘆いて怒り狂った278人の女たちが自らの髪をむしりとり、胸をたたいて悲しんだという。カラオラには負けるということを知らない武勇伝が残っているほどである。すでにローマ帝国時代から、この町の人々は堅固で忍耐を心得ていることで広く知られ、アウグスタス・シーザーがここの住人からボディーガードを雇ったことは皆の良く知るところである。
カラオラでは戴冠式が執り行われたが、基本的には先走った行為だと解釈される。フランス国、英国、アラゴン国がそれぞれ国を代表してエンリケ王のカスティリア王としての戴冠を厳粛に見守った。
ガスリンは、「ここで戴冠なされよ。この戦いで貴殿をリーダーとして仰いだ多くの諸侯に感謝の気持ちを示すためにもですぞ。そもそも貴殿の敵ペドロ王は、戦場で貴殿と立ち向かおうともしなかったではありませんか。つまり、ペドロは自らカスティリアの王座が空席になっていることを認めたことになるのですよ。」とエンリケに言った。
このようなお世辞文句や名誉を並べ立てる取り巻きたちに多少は貴族の品性を持って躊躇しつつ、最終的には世界で最高の礼儀を以って王冠を受け入れた。王冠がエンリケの頭上に載せられるや否や、テリョは王旗を掲げ、「カスティリアの新王エンリケに神のご加護を!」と叫びつつ軍隊のキャンプ地を走り回った。
そこにいる者はみな喝采し、行軍が再開された。
前のコメント欄のサイズを見てみたら、3桁になってました~。
読み込みに長くかかるはずですよね(苦笑)。
それではまず、前々回の続きから。
実は、ロペスの疑惑の件が書いてあるなら、ディエゴ兄のことも書いてあるかと思って、後ろから遡って読んでいたら見つけてしまったのですね~。
睡魔に襲われながらの斜め読みなので、真ん中あたりは全く読めてません(苦笑)。
CHAPTER XXVIIによると、ディエゴ兄、以前の王様とのよしみはすっかり忘れて、エンリケ側についた・・・ということでしょうか。
(このサイトの記述では)すでに妹や叔父が亡くなってるからって、それはないんでないの?と言いたくもなります。
王様、ナヘラの戦いで勝った後、裏切り者達をかなり処罰したらしいから、その時にディエゴ兄も捕まったのかしら?
アルバレスの件も、どうにも気になってしまったので、検索かけてみました。
歴代サンチアゴ騎士団長のリスト(スペイン語版Wikipedia参照)より、フルネームがGarcía Álvarez de Toledoなのを確認、任期が終わった1366年などもついでにキーワード指定して検索した結果・・・。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=+%22Garc%C3%ADa+%C3%81lvarez+de+Toledo%22+1366+enrique+santiago&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
上のほうは各国語版Wikipediaの「サンチアゴ騎士団」のページが並んでいますが、アルバレスについてわかるのは任期のみです。
現時点で上から9つ目に、私もちょくちょく利用する家系サイトさんがヒットしているのですが、抜粋されたテキストには、
「Master of the Order of Santiago 1359, resigned 1366. 」
という文言が!
1366年に「辞任」ですかい?!
さらに他のサイトさんも見てみると、またまた機械翻訳の解読となりますが、書いてあることは、だいたい同じ。
つまりは、エンリケが腹心のメヒアをサンチアゴ騎士団長に据えたくて、領地やお金と引き換えにアルバレスにやめてもらった・・・ということのようですね。
うーん、「エンリケの恩寵」につられたか~。
ディエゴ兄だけじゃなかったのか~(苦笑)。
アルバレスは1370年に亡くなったようですが(家系サイト参照)、それまでどうしていたのでしょうね?