緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

最後の最後まで自分の意志を持つ

2024-06-27 | 人生観
  昨日は、ドライブ、運転、免許、楽しみ、関連の話で、最後まで自分の意志を持って、手離したり、止めたりして覚悟して人生を生きたいし終わらせたいなという事でした。

父親の話をしていましたが、
その父親もそうしていて、自分の思い通りに生きて、もしかしたらパートナーにとったら我がままだったかも知れないけど、私から見れば自由気ままに見えて、それがまた父親らしくて尊敬するなって感じです。
そして、70歳で亡くなりましたが、家もお金も残し、自由を母親に残し早々逝ったなと (^.^)

その後母親がどう生きるかは母親の人生、それまでも母親の人生だったと思ってるし、父親の人生そのものを尊重してます (^.^)

その最期の一瞬はブログ記事に書いたこともありますが、
苦しむことも無く、家で周りの手を煩わすことも無く、
息を引き取る一瞬も横向きに寝てたのを真上に態勢を整え、
本人自ら胸の上へ印を組み、
自然に息を整え、魂だけが抜けて行きました。

ホント、誰にでも見てもらいたかった、こんな最期があるのだと。
最後の最後まで自分の意志で覚悟があったんだと思います。
そういう死に方もあるんだと私に見せてくれたんだと信じています。

私の友達で、脳内出血後を凄い快復で過ごしている話をブログ内でしますが、
視神経も痛め、手足共に動けなくて、喋れなくて、記憶障害で失語症で認知症
これら全てあったというのに快進撃だと。

今では多少の認知はあるものの、それは性格の問題だと思ってます (^^;)
性格は脳の事故に遭う前と何ら変わっていません。
生き方も変わっていません。
性格が良いとか悪いとかという意味ではありません。
40年来付き合っていて、ずっと人生ほぼ知っています。
理解もしています。
霊界幽界の次元の世界から一緒に勉強していた仲間なので、精神世界も共に歩んできた仲間ですが、10歳以上年上で、やぱっり昭和意識が強く、そこからの脱却が難しい感じです (^^;)

それでも高みを目指しているので常に進化を求めては学ぶ意思は強いのですが、自分の脳や価値観に植え付けられた古い価値観を手離すのは難しいと感じてます。
手離すのは普段からの意識で、訓練は自分自身ですから!
常に私との禅問答のやり取りが漫才のようで (^^;)
もう笑うしかないという (^.^)

そんな禅問答を楽しんでいるのはもしかしたら良いのかも知れないけど、ふと気づいた事がありました。

事故でも一旦脳に障害を受けると、医療的にも家族の考えも介護認定を受ける方向に進んでしまいます。
私の記憶ではこの彼女が手術後、医師は回復が奇跡のようで、介護認定を受ける必要はないと言ってました。(そう聞きました)

でも家族、特にご主人はご飯作りも家の家事も出来ない妻、認知も記憶障害もある妻に早く元通りに戻って欲しいと介護認定を進めて欲しいと懇願しました。

本来こんな時(家族に何かあった時)には家族が向き合うという時なんです。
それをしないままケアマネが入り介護認定を受けることになりました。

一旦そうなると、家族ご主人も子供たちもケアマネに全てを託してしまいます。託すというより頼るのです。

その後に快進撃の快復があってもその都度ケアマネ次第です。
ケアマネも仕事です、こんなに楽な利用者は必須なんです、
サービス業だから!!

何度も私は外野ですが、ご主人とも親しかったので、
ケアマネのプログラムにも口添えしました。

ケアマネはそこの利用所から外す事とか、卒業に向けることはしません。
どんどんプログラムを増やします。
それを子供たちも自分たちの人生に精いっぱいだから意識することも無いです。

快復して来たら孫の世話をしてもらって良いかなってぐらいにしか思っていません。

自分ではもう既にケアマネ自体卒業しても良いぐらいになっているのも気づいているけど、都合が悪いとその脳の障害のせいにしたりします。
そうやって快復して行ってる間にご主人の方が認知性やら過呼吸が出てきて、ケアマネはもっと利用を増やそうとします。

今まで世話になっていた妻が今ではご主人の介護出来るぐらいになっているのにそれでもプログラムは変わりません。

もっとこんな風にしたらいいのになって提案しても、そうだねと言いながら一旦認知になった人の意見なんて通らないんです。

まあ私は部外者なので、それ以上の事は言いませんが。
今の介護業界の姿だなと思うだけです。

他にも友達の義父の事でそんな話を聴いたりします。
介護施設の家族経営だったり保険の使い方だったり、中味は酷い事になっていると。
医師に出会うのも介護施設やケアマネに出会うのも自分の人生の縁かなと思ってはいるけど。

でもその施設が悪いわけでもない、サービス業のお商売ですから。
そこへ入る人、利用者の意識も変わらないといけないんじゃないかなとも思ったりする。

きっかけがあってそれらを利用する事になるんですが、
利用するのも何かの気づきを求めての事でしょう。
他人の愛の施しを受けるとか、優しや労わりでやっと感謝を覚えるとか。

でも、その前に自分の人生に目覚めないと駄目じゃないかと。
自分に目覚め、自分の事を知り、自分の愛にも気づくという。

自分軸とその意志は持っていないと縁も狂う。
年だからというなら意識がある時にしっかり自分の人生を観ていないと。

自分の人生を最後まで自分の意志で決めてコントロールしていくか、
自分の人生をケアマネにプロデュースしてもらうかです。

自己承認欲求の話をしていましたが、
自分を観ず、他人に承認してもらおうとしていると、人に評価してもらおうとする。

自分を知ると自分で選択し自分で決める。

人生の最後の時、それが何年間に至るかは知りませんが、
自分のプロデュースで終わるか、
ケアマネのプロデュースで終わるか、

今なら自分で決めれるんだろうなと。
一旦脳障害、または、病気に至ると、いくらそれが気づきのきっかけでもそこからの復活は結構努力も辛く、厳しいのかなと (^.^)

ふとそんな彼女と漫才しながら笑いながら話しててもちょっと引いてみている私がいたのでした !(^^)!
せめて自分は自分でプロデュースして終わりたい。



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