セネカの『人生の短さについて』を読みました。
古代ギリシャ時代の政治家・哲学者セネカ、知りませんでした。と申しますか、かつて主催していた癒し催事「癒されモール」の出展セラピストさんで、「セネカ」というセラピストさんがいらっしゃったので、天使や聖人のお名前なのかなとおもっておりました。
ギリシャの哲学者兼政治家の方だったのですね。
人生の短さについて | |
浦谷 計子 | |
PHP研究所 |
「セネカ」という名前で調べてみたら、この本の著者であるルキウス・アンナエウス・セネカ(通称:小セネカ)のほかに、彼の父親であるマルクス(ルキウス?)・アンナエウス・セネカ(大セネカ)、米国の俳優であるジョー・セネカ。
さらには、イロコイ連邦に属するアメリカ州の先住民族の部族「セネカ族」、彼らが話すセネカ語、ニューヨーク州の湖「セネカ湖」、ウェストバージニア州にある山「セネカロックス」といろいろ出てまいりました。
⇒ウィキペディアでセネカを検索する
古代ギリシャでは、政治家が哲学者だったのですね。現代の印象ですと、哲学は大学など学究界のなかに存在している印象がある一方、政治は実務という感じがしております。
世界のスピード感が増し、どんどんとオペレーションをしていく必要があるからでしょう。逆にそろそろ哲学が必要になるのかもなとふとおもいました。
政治はさておき、私もいろいろな業務に手を出させていただているので、オペーレーション偏重になりがちです。
レインボー写真でアッタカラーについて、初心を思い出させていただきました。これをきっかけにビジョンを見つめなおしたり、エネルギー調整の説明を整備したり(ライターの経験をしたのに、この部分にまったく活用が進んでおりません、いや、あのなんというか大切にしたいことなので、思い入れが強くてなかなかかけないのでよねん~)、そんな時間がやってくるのかもしれません。
さて、このセネカの『人生の短さについて』(De Brevitate Vitae)。
いやあ、読んでびっくりいたしましたわん~。
昨年から何度か、ネット依存症ぎみな気がする……、とブログに書いていた私。
うん、その回答というわけではないのですが、時間の大切さ、使い方が多く綴られていて、とても共感したし、勇気付けられた感じです。
目の前の情報や反応が気になって、ネットをチェックしてしまう部分もございます。
環境の影響もあります。けれどもそれだけとは言い切れず、周りが気になってしまう。
だけど他の人の口で、語ってもらうと自身を見つめられます。
この、誰かに話を聞いてもらうとか、自分のおもっていることを後押ししてもらう感覚というのは占いとも似ておりますね。お客さまとお話させていただいていると、確認作業にお付き合いさせていただいているのだと感じることもございます。占いの使い方のひとつです。
実際、人間というのは聞きたいことを聞くようにできている、。私自身も、他の方も。
セネカの本に、私の回答となるような本が出てきたとき、驚きました。なぜならインターネットは現代の病理であり、つまりは今、新しく出てきた悩みのような気がしていたから。
セネカは、「哲学する=考える時間」がある者こそ生きているということだ、と書いています。私自身も、そうおもいます。うーんこれは好みの問題だけれど、そうおもう。
セネカが紀元前27年 - 紀元後68年に生きて、キリストの生きた時代とかぶっているのは興味深いです。その後にやってくる1000年間、中世時代では、キリスト教は真理でした。だからあまり哲学しなかった。修道士が活躍する時代です。
もっとも学校制度が整備されたのも中世とのことなので、暗黒と言われるとそうでもない感じがしますよね。
うーん、哲学しないけれど学ぶ。クリエイティブではない学びということなのでしょうか。結論は控えます。今後も学びたいテーマです。ブレスト日記になっております。。。読んでくださっている方、どうもありがとうございます!
よくわからないのですよね。だって中世が暗黒の時代だったとしても、キリスト教文化圏ではないアラブ社会では自然や科学の研究が進んだ。そして私たちはアラビア数字を使っているし、そもそも私、日本人だし。いくらグローバル時代とはいえ、どこまで西欧の歴史を意識すべきなのか、キリスト教を意識すべきなのか。
ただひとついえることは、セネカが時間の大切さを説いていたのは興味深かったです。そして、私たちは、お金を奪われそうになると戦うのに、時間については簡単に相手に明け渡すし、無駄遣いをしていると。
現代も似ています。そして、現代の、クオリティ・オブ・ライフ、生活の質の話よりもどっしりとして、説得力があった。と申しますか、ちょっとゾッとした。
クオリティ・オブ・ライフにもあるように、じっくり生きるのに時間を使うのはよいとおもう。
セネカは「なくなったらどうしようとおもうものを獲得する人生は幸せではないかもしれない」と説いています。なぜならずっと心配しなくてはならないから。
共感です。ちなみに、この「なくなったら困るもの」とは、家族や愛する人という意味ではない。彼らは、ともに喜びを与えてくれるから。大切な時間です。
そうではなくて、「お金がなかったらどうしよう」とおもうくらいなら、最初からないほうが幸せだよね、だから、施しを受けている人はしあわせというニュアンスです。
もっとも、バランスですよね。
一瞬一瞬の密度が濃い時間がよいですよね。セネカに言わせると、考えている、思考しているときだけが人生で、あとはただの時間とのこと。うーーん、そう言われちゃうと、またまたゾッとしますが、ちょっと考えさせてもらった、きづかせてもらった出来事でした。
今週も大切な週末をお過ごしください
◆臼村さおり twitter @saori_u
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