新元号が決まった。令和(れいわ)とのこと。
令和か。どうなるんだろうね。楽しみだね。平成ありがとう!令和もよろしく。
夢や希望や癒しの多い時代になるといいな。
令和に決まったというニュースを耳にしてから、定義やカテゴリーについて考えている。
言葉が定義されるとそこにエネルギーが宿る。今回、令和にエネルギーが宿りつつもあると同時に、平成が完結に向かってひとつの作品になりつつある。
どんな平成という作品ができるんだろうね。あたしにとっても平成がよい時代だったとおもえるように、残りの平成を丁寧に生きてまいるのだ。
抽象的な表現だけれど、平成が終わると、平成が宇宙のデータベースのようなものに刻まれる気がしている。それは別に平成に限った話ではなく、2018年、2017年、2018年6月など、すべてのときにいえる。
はい。現在が変われば過去も変わる。だから過去を癒すことは可能。とよくみなさまに話させていただいている。
ではあるんだけど、それとは別のレイヤーでしっかりと刻まれていくものもあるとおもう。
両方あるとおもっている。
どうやって有終の美を飾ろうかな。
終わりよければすべてよしじゃないけれど、やっぱりいい感じで刻みたい。別にそうじゃなくてもいいけれど、できることがあるならやっておいたほうがいいもん。
定義といえば、令和ニュース以来、言葉だけじゃなくて本日、突然数式に興味を持っている。
YとXの式。一応少しは習ったけれど、現在でも理解できているのは、2次関数まで。ちょっと背伸びして3次関数まで。
けれども数式に当てはめることによって、エネルギーを探したり、不足を補ったりすることもできそうだなと。
今日、令和のエネルギーに出逢っておもったのだった。
数学コンプレックスがあるから数式になじむ展開になったらうれしいな。
先日、夢の話をしていて、「社会人になって年数がかなりになるけれど、いまだ数学の単位が足りなくて大学を卒業できないって夢をみるんだよね」とおっしゃっていた方がいた。実際には数学の単位は必要なかったし、選択もしていなかったそう。
同志よー!!! わかる、わかるよー。
あたしは、今でこそみないけれど、かつては美術の単位が足りなくて大学が卒業できないという夢を見続けていた。美術の単位なんてないのに・・・。
この封印が解けたらいいよねーとおもって、東京学芸大学と芸大を実際に受験したことある。確か絵を描き始める前のこと。我ながらいくら何でも後だよねとおもうけど、前な気がするんだよね。。。
あたしならありうるな。たぶん封印を解くべきということだけはプロなのでわかっていたから。(当時はプロじゃなかったかもだけどよく覚えていない)
東京学芸大は試験時間を間違えて受けられなかった。芸大は受けた。。。けど、みなが重し付きの定規を出してデッサンしているところ、定規の存在すら知らなったあたしはひとりイヤホンを出してそれっぽいことをして試験時間を過ごした。
でも受けてよかったとおもっている。(紛れさせていただき本当にありがとうございました。目障りで申し訳ございませんでした。)
その時はその行動が必要だった。若いときっていろいろあるね。
ではまたー
◆臼村さおり twitter @saori_u
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◆エネルギーサロン・タンタン
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