Welcome to TANN'S_blog(中島富男)

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結局、分けて考えるしかない

2010-02-17 01:27:21 | 愚痴
文書を作成して、誰かに読んでもらうと言うことは、自分の頭の中を覗いてもらうことである。

まして、行ったことが無い場所で、やったことの無いことを、見たこともない物を使ってする実験の計画書を作ろうとするんだから、自分の頭の中を覗いてもらって、勘違いしていないかとか、手順に抜けが無いかとか心配でならない。

そういう時どうするか? 

文書を作成しながら、どう体と手を動かすかイメージを固めていくしかない。 そうなると、大きな計画から小さな計画へのちょっとづづ分解して、それをもう一度大きな計画と齟齬が無いかつなぎ直すことが必要となる。

そうすると、必ずどっかに無理があったりして、これは、一人では決められなので、調整・相談と言う段取りを踏むことになる。

図面を描くときも同じで、一回全体をイメージして、パパっと簡単な図にするのだが、部品毎にばらして、それをからもう一度全体に組みなおす。 そうすると全体図だけでは見えなかったことが分かってフィードバックをまわして、整合性を取る作業に入る。 書き直しを面倒がっては仕事が進まない。

結局、具体的な仕事をしようとすると、細かいことに分けてみないと、全体が分からないことになる。 分けてみたとしても、知識と経験の問題で不十分だったりすることが多々発生する。 だから、文書にして、頭の中を覗いてもらって、何が足りないかを誰かに指摘してもらって、ブラッシュアップすることが必要になる。 

こんなことを日常的にしてると、大雑把な私でも、仕事だけは細かいことを突っつくことを性分となってしまった。 逆に、細かいことを考えないで動いている輩をみると、なんと危なっかしいことをしているのかと不安になってしまう。

そういう文書を日に一つずつ、場合によっては複数作ってたりすると、時間が幾らあっても足りない。 

私と同じ文書が書ける『靴屋の小人』が欲しくなる。

あぁ。今日帰りが遅くなった分、明日は遅く出勤することにしてして来たが、起きれたら、普段どおり出勤だろうな。

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