
米座倶楽部前の道を北東に川に沿って進む。ほどなくしてして重厚感のある石鳥居が現れる。

石段を上った左手奥に深津八幡神社(東深津町7丁目9-8)の社殿がある。福山市民にはあまり存在を知られていないが、歴史上重要な神社と言ってよかろう。

社名 出崎八幡宮
祭名 應神天皇 功皇后 仲哀天皇
位置及び由緒の大要 米座 東八幡西八幡の二社あり。
『土基本調査 深津尋常高等小學校(昭和三年)』
旧深津村の米座(こめざ)という字(あざ)は毛利元康の時代に納米蔵が置かれていたことに由来する。
出崎八幡
東西両社なり、此宮の下を藏之崎と云。元康の時代、納米藏の跡なり。當村の詞に他村を在といひ、他村の人を在者といふ。徃古元康の城下なりしゆへ、其時の言葉殘れり。
『備陽六郡志』


石段を上った左手奥に深津八幡神社(東深津町7丁目9-8)の社殿がある。福山市民にはあまり存在を知られていないが、歴史上重要な神社と言ってよかろう。

社名 出崎八幡宮
祭名 應神天皇 功皇后 仲哀天皇
位置及び由緒の大要 米座 東八幡西八幡の二社あり。
『土基本調査 深津尋常高等小學校(昭和三年)』
旧深津村の米座(こめざ)という字(あざ)は毛利元康の時代に納米蔵が置かれていたことに由来する。
出崎八幡
東西両社なり、此宮の下を藏之崎と云。元康の時代、納米藏の跡なり。當村の詞に他村を在といひ、他村の人を在者といふ。徃古元康の城下なりしゆへ、其時の言葉殘れり。
『備陽六郡志』

