文久三年の文書の解読ができました これまた ヤフー知恵袋です 感謝
1863年 利平は25歳未婚でした ここに記載されている 利吉(と読める)が彼の父だとすると
当主の名前はずっと利兵衛ではないということになります
ちなみに 文久3年 は馬関戦争 新選組結成 と騒然とした世の中でした
拾ヶ年の間 預かり申す 御高證(証)文の事
一 高 合 五斗□也
此の代銀 九百文也
右の御高 其の方 持ち高に御座候へ共 當亥(一八六三年) 御物成 御米に
差し支え 被成(なされ)□□□□□□□□□□□□←折皺にて判読不能
酉(明治六年一八七三年)の暮れ迄 拾ヶ年の間 本物に預かり申す
御代官様へ御上納に被差上申す處 実正也
則 年季の内五ヶ年過ぎ 右の代銀 無恙(つつがなく) 御
返済被成(なされ)候はば 右の御高 速やかに相返し
可申(もうすべく)候 猶又 約年酉霜月(十二月)に至り
少(わずか)にても及遅滞(ちたいにおよび)候時は右の御高は流し申し間
永々我等(われら)持高等支配可仕候 仍之 村内検 帳
面の通り反歩地附別紙にて受取可申(もうすべく)候
為後日役印證(証)文壱札相渡し申す処仍って如件(くだんのごとし)
小尉村
文久三年(一八六三年) 本人 利吉<ー利兵衛 らしい修正しました
亥十二月 日 長百姓 次郎左衛門
庄屋 勘太夫
同村
市右衛門殿