そこはかとな紀

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寺田屋

2009-12-28 00:11:59 | 歴史

 竜馬で有名な寺田屋を訪れました。
 当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、我々が参観できるのは後に再建されたものらしいです。まあしかし当時の雰囲気を味わうのには充分でこんな感じの部屋に竜馬が泊まっていたのだなあということは味わえるようになっている。
 伏見は当時大阪と京都を結んでいた三十石船の始発点になっており多くの船宿が在った。三十石船は上方落語の大ネタにもなっており、当時の賑わいが活写されています。といっても、現在の交通量からは想像もできないくらい少なかったことでしょうね。有名な寺田屋ですら、この規模だったわけですからね。この三十石船は寝ているうちに大阪に着くと言うところが好評で、夜に出発したみたいですね。ただ、伏見から大阪までは川下りなので、船頭さんは舵を取ってるだけなんだけど、大阪から京都までは上りなので、人夫が延々引いていくのですよ。曳舟道これは結構重労働で、寿命も短かったらしいです。
 さて肝心の寺田屋ですが、やはり当時の建物は鴨居が低く日本人の身長が低かったことが実感されますね。お竜さんの駆け上った階段も一応あるのですがこの階段は再建の後さらに増築されたものらしいです、ちょっと残念かな。
 ですから内部にある弾痕や刀疵はおそらく龍馬が襲われた時のものではないわけです。
まあ龍馬を偲んでという意味では、TVドラマ見るよりよっぽど正しい方法なのかもしれません。古地図を見ると寺田屋の正面に寺田屋の浜があり、専用の港なわけで、寺田屋が薩摩藩御用達の船宿だった理由もわかるというものですね。
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伏見の酒蔵

2009-12-28 00:06:43 | 歴史

 龍馬ゆかりの寺田屋を訪れ、ついでに、伏見の酒蔵を訪問した。ここには有名なもので黄桜酒造、月桂冠酒造がある。そのほかにもい中小の酒蔵があり、江戸時代からの伝統を今に伝えている。酒蔵が成立するには条件が二つある、第一の条件はおいしい水である。当然おいしい米も必要だがこれは運んできたら終いであるから、別にかまわない。おいしい水が潤沢にないと銘酒が生まれない。京都は古くから名水で有名であり今でも、市内には古井戸が今でも数多く残っている。
 第二の条件は水運である。生産された清酒は、重量もかなりのものであり当時の運搬手段では水運に頼らないと、消費地に運ぶことができない。
 兵庫の灘もその点条件に合致しており、伏見もまたそうである。ちなみに大阪は名水に恵まれず、酒蔵はほとんどない。
 黄桜酒造の記念館と、月桂冠の大倉記念館を訪問して、改めて当時殷賑を極めた伏見の様子を想像することができた。また酒造の過程も想像していた以上に大がかりで、大量の清酒がここから江戸に運ばれていったというのもうなずける。大吟醸のための精米は本当に米を1/4ぐらいにしてしまうのも目の当たりにできて興味深かった。



また 大倉記念館では酒造りに使われる水を飲むことができる。実にまろやかな味でした。


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