TamonTokyo - 多聞 ブログ

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郷里唐津:早稲田と唐津を繋いだ、大隈重信と高橋是清

2009-04-26 | 佐賀・唐津
2010年4月、私の郷里に開校するという「早稲田佐賀中学」。なぜ今ここにという声が地元ではあるらしいですが、唐津から明治に活躍した人材が輩出したその一端が大隈侯にあり、そこを後の名蔵相、高橋是清が繋いでいることを知りました。
この不思議な関係を知っていただきたくご紹介します。

早稲田佐賀中学のWebサイトには、唐津城と大隈重信公銅像の2ショットが飾られています。

なぜ唐津城の写真なのか?
それは、早稲田佐賀学園が唐津城の麓の敷地にできるからなのですが、そこが初めて学校になったのは、明治初期、唐津県英語学校耐恒寮が移転したのがきっかけでした。その耐恒寮に18歳で招聘されたのが後の名蔵相、高橋是清です。

その是清と大隈侯は同じ英語教師に学んだ兄弟弟子の関係にあります。大隈侯は英語を江戸末期に長崎で宣教師フルベッキから学びました。そして明治に入り、東京大学の前身の学校で英語教師をしたフルベッキ邸に書生として居候して英語を学んだのが高橋是清なのです。

耐恒寮があったのは、一年半ほどという短い間でしたが、そこから、東京駅や日本銀行の設計をした明治の偉大な建築家、辰野金吾、慶応義塾大学図書館などを設計した同じく明治を代表する建築家、曾禰達蔵、そして、早稲田四尊の一人で、早稲田実業の二代目好調にして実質的な育ての親、天野為之という有為な人物を多く輩出しました。

高橋是清は、耐恒寮を辞してしばらく後に共立学校(現・開成高校)の初代校長を務めます。質実剛健という校是は高橋の影響が大きいようです。

そして、天野為之が育てた学校、早稲田実業も、質実剛健と意味がほぼ同じ、去華就実(きょかしゅうじつ)を掲げます。この去華就実、地元唐津の伝統企業宮島醤油の社是でもあります。この言葉自体は、明治42年の戊辰詔書に由来するそうです。

早稲田佐賀の校是がどうなるかは分かりませんが、質実剛健か去華就実のどちらかを掲げてくれることを東京の地から期待しております。

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追記
早稲田実業校友会のサイトによると、去華就実は大隈侯由来で、三敬主義が天野為之氏、由来とか。大隈侯と唐津との結びつきを感じました。

また、早稲田佐賀といえば、以前トラックバックいただいた 早稲田佐賀中・高(仮称)絶対攻略!! サイトがあります。... 校章募集の提案 とか、されていていよいよ開校が近づいた実感が沸いてきました。校章の稲穂は実って垂れているのがいいかと思いましたが、早稲田学院だと刈り取った後の稲穂のようで垂れていませんね。いずれにしろ楽しみです。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
老婆心ながら・・・ (しゅうまい)
2009-07-17 19:17:47
「候」→「侯」
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re:老婆心ながら・・・ (多聞)
2009-07-17 19:52:39
しゅうまいさん、修正いたしました。
ご指摘ありがとうございました。
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玄海フォーラム (からつもん)
2009-09-13 13:04:34
はじめまして。
9/16 18時より唐津のりふれホールで
「玄海フォーラム」が開催されます。
講演 土田健次郎早稲田佐賀学園理事長

「早稲田と唐津の縁について」

いろいろと新設の系属校のお話が無料で誰でも聴衆できるそうです。
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