TamonTokyo - 多聞 ブログ

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風水的東京論 - 江戸の生命線としての代田橋

2005-01-06 | 東京・建築・都市デザイン
東京の発展は江戸から始まり江戸のインフラを利用して都市として続いています。江戸の発展は徳川家康が江戸に入った時からで、神田山を崩して駿河台にするなどして作った土で日比谷入り江を埋め立てるといったことから始まりました。街としては日比谷、河岸があった日本橋、八丁堀とかあたりから発展して隅田川沿いの浅草など街が広がってきました。交通は河川交通や徒歩が中心です。

埋立地は井戸水が得にくく、人が増えたことから江戸は水道に頼ることになり、平川と呼ばれtが川の流路を変えて神田川として上水に利用します。それでも足りなくなり、多摩川の水を江戸に運ぶ玉川上水を開きます。代田橋の名は甲州街道にかかる玉川上水の橋に由来します。

以下代田橋に縁の深い水道の話なのですが、江戸から東京に変わる混乱で水道の管理が悪くなり近代水道整備の必要に迫られました。それでも過去のインフラを補強して利用するのが効率がよいことから旧玉川上水から和泉水圧調整所あたりで分岐させ玉川上水新水路(今は水道は甲州街道地下に移され水道道路と名を変えています。)
http://homepage2.nifty.com/riverside/setagaya/t-sinsuiro.html
が築かれて、淀橋浄水場へと結ばれました。また、井の頭通り(これも別名水道道路)にも地下に水道管が埋設されており、和田掘の給水所は都市東京の水を支える生命線の一つと言えます。
代田橋は街が開けないとお嘆きの方も多いのですが、和田堀の給水所は関東大震災の翌年に防災拠点を意識してできた由緒ある施設です。是非代田橋に誇りを持って自慢していただければと願います。

詳しくはWikipedia 江戸とか
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8



江戸が発展していくにつれ、埋立地が多くいい水が手に入らないことから上水を引く必要に迫られて、
神田上水とか玉川上水とかが引かれていった。
神田川は元は平川と呼ばれる自然の川だったのが途中で流路を変えられ今の名前になった。


代田橋近辺に関係するところでは、