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そして、女王様は鬼になった

2010-01-31 11:42:30 | 日記・エッセイ・コラム
女王様はいつも馬車に乗っていました。とってもバランスよく感じられて、ご満悦で、よし頑張るぞぅと闘志もムクムクわいてきます。
ところが、いきなり馬車の片輪がなくなってしまったのです。まっすぐ背筋をのばして乗っていた女王様はあっちへふらふら、こっちにふらり、アンバランスで何とも気色のわるいこと。それに、気力も無くなり乗り心地が悪そうです。
心配した時間さんが一生懸命仲間を集めて来てあげても、女王様には何のプラスにもなりませんでした。でも時間が解決してくれると言われているので、女王様のおそばに仕える時間さんたちは、あちこちに散らばる仲間へ集合の号令をかけました。
そのうち、残っている輪が女王様を頼って困らせるようになりました。女王さまの心痛はますます深くなり、早く楽になりたいと願うようになりました。でも、怖くて自分で気持ちが楽になることが出来ません。女王様も苦しみ、おそばのものも暗い顔をしています。
それからも、どんどん仲間の時間さんが集まって来て::::::それでも、すべての状態は少しも変りませんでした。
どのくらい、経ったでしょうか? 女王様は決意しました。それはなくなった輪と同様、女王様にとって大事で可愛い残った輪の方も捨て切ることを。つまり、がたがたしていても、自力で解決させることです。自分に頼ってばかりでは残った片輪のためにならない。色々あって辛そうにしているのを知っているだけに、突き放す方を選択した女王様の心は今でもおカネをやろうか? アレを解約してしまおうか、そして、残った片輪に半分でも現金にしてやろうか?しかし、自分が死ねばどっちみち残った片輪が受け取れるんだもの。どのくらいになるかわからないけど、間違いなく片輪の欲しがってる現金でね。それまで、何とか凌いでほしい。
そのとき、女王様は気づきました。金色のかんむりもフワフワしたドレスにも何の変化は見られなかったけど、女王様の美しい顔だけが鬼婆みたいに刺々しく醜くなっておりました。
              ゆり ハッセー
  008


徒然なるままに

2010-01-23 10:24:19 | アート・文化
   徒然なるままに時は刻んでいく
   徒然なるままに人は消えていく
      ゆっくりゆっくりと誰もいなくなり、気がついたらわたしだけになった。
      命あるもの生まれ居なくなっても、何故かわたしだけ何時までもいるような気がしてならない。それも、さびしいこと。生まれるものも、やがては種の淘汰がはじまる。そして、また世代交代する。
   何千年何億年たって、消えていった残骸が砂みたいになって砂漠を覆いつくす。そして、わたしだけになった。早く、わたしもみんなのところへ行きたい。でも、自分では怖くて行けない。おなかのすくのがとても悲しい。
              ゆり ハッセー003
  







感情よ 麻痺してくれぇ

2010-01-20 11:11:08 | ブログ

心配でたまらないから、保健所の相談員さんに助けを求めたのに。でも、その人は予定の仕事があって、わたしの気持ちを和らげてくれなかった。そして、暫く経って、わたしはたまらなく自己嫌悪に陥った。何故なら、自分さえ良ければという想いが見え隠れしていたから。相談員さん、ほんとにごめんなさい

過去の出来事とつい重ねてしまい、ちょっと心が騒ぐともうパニック状態。あちこちしまくって、夜中だろうと関係なし。そして、薬をのんで就寝  ああ、こんな状態、もうイヤになった。成るように成るしかないさ そんな心理状態になれたら、どんなに楽か 記憶が無くなる一つに痴呆というのがあるらしいけど、そうなったら心の中も穏やかなのだろうか?独りで勝手に騒ぎ立て、付き合う人の身にもなってと言われないようにしたいけど、気がつくと、いい年した自分が駄々っ子に見えてくる。何時もいつも、この繰り返し。どうしようもないのに、藁をも掴む気持ちだ。

書きながら、自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまった。感情が麻痺してくれたら、どんなに楽だろう!

     006 さいたま市にある氷川神社の大鳥居。一番、手前の鳥居です。


忘れないでいてくれて、ありがとう!

2010-01-11 11:22:44 | 日記・エッセイ・コラム

けさも日課のお墓参りに行って来ました。

そしたら、ピンクのはなびらがふるふる左右でそよいでおりました。あ、今年も彼女のお友達が来てくださったのだ。そう思い、お母さんも嬉しく、とっても有難い気持ちになりました   未だに、どなたか分かりませんが、こんなにしていただいてアンタ[故人]もしあわせだなって思いました。

お母さんもまだ立ち直っていないので、あのとき駆けつけてくださった人たちにお礼もすることが出来ません。それが心にかかっています。四十九日のとき、みんなで食べたお寿司、忘れません。あれから三年以上たっているのに、お母さん、未だにお寿司が食べられません。大好きでアンタと食べたこともあるのに、陳列棚のまえに立つと辛くて悲しくて手が伸びないのです。

それでも、ここではアンタたちやぴーにちゃぴー、ポロスケとフクなど、みんなみんなワイワイガヤガヤしているような気がしています。みんな、ここに居るのです、元気で

ただ、お兄ちゃんの病気が治ってここで一緒にたのしめたらなぁと思うのです。

そのために、お母さん、みなさんに支えられてかんばるぞぅ

      

何時かきっと、みんなで集まり、思い出話をするときが来るでしょう!





分かりあえるのと通じない気持ち

2010-01-02 10:16:42 | 日記・エッセイ・コラム

あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今年も相変わらず愚痴り年になりそうで、我ながら進歩しない自分が情けなくなってしまいます。精神に何かモヤモヤしたものを抱え、うまく口に出せず母親にだけ無理難題を主張する我が子は、はや年だけは立派な大人 同じ病気の人でも働いていたり治療の必要を認識しているというのに、我が子だけは駄々っ子みたいな大人。これも母親が甘やかしたせいで、こんな病気になったのだと田舎の親類たちには非難され、こんな親に育てられた子供はかわいそうと言われ、良かれと思ってやって来たわたしもトラウマを抱えてしまった。我が子のひとりを自殺させ、今また残った我が子に責められる。

かって、母親が我が子に悩まされ言っていた。自分は父親の命で、こんなとこへ嫁がされ貧乏くじをひかされたと。もう一人の子供であるわたしは、母親の愚痴りごとを聞かされるのに心の底からうんざりしていた。何しろ父親は自分の母親や妻に頭があがらない。要するに、優柔不断なのだ。けれど、思う。終戦間もない時代、近所から鬼ババと囃し立てられようと生きるのに必死だったのだ。鬼ババとはわたしの父方の祖母である。

今になって、わたしはあの頃を味わっているような気もする。因果応報 人生は繰り返す。わたしも我が子のひとりと分かり合えず、もう一人を死なせてしまった。父方の祖母も息子を戦死させたり娘を事故死させている。

しっかり育てた人たちはいざ知らず、わたしは頭脳のよしあしによっても左右されるような気がする。わたしの場合、子供の許容以上のことを求めてしまったのだと思う。しかも、自分の面子だけで.... ゆえに、子供たち、特に今無事に生きている子にうらまれても仕方ない。これこそ、自業自得としか言いようかない。わたしを憎むことで少しでも気持ちが楽になるなら、わたしが死んでも憎みつづけなさい。わたしはアナタにそれを望んでいます。

けれど、出来ないことは何があってもやってあげられないのです。何故なら、それが母子共倒れになるのを防ぐ方法だからです。アナタは大人。わたしと違う価値判断みたいんものがあるのでしょ。

わたしはわたし、あなたはあなた。そうした方向性しか今のわたしにはかんがえられないのです。

あの子は何年だったでしょうか? でも、年男云々に関係なく精一杯やってくれるよう祈っています。 ダメな母親より





新春 おめでとうございます

今年はわたしの年  ひつじです。    あっと驚くような 善いことめざしてがんばります\(^o^)/