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わが家の一不思議?

2011-02-25 12:15:21 | ブログ
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引っ越して一年間は、郵便局へ転居届を出しているので新住所へ転送されてきます。
 
それからは、手紙など相手が知らなければ届きません。ところが、届いているのです。
住所を知らせていないのに、どうして 区役所へ行ったりして調べても分りません。
 なぜ、どうして 相手が身内だけに、いくら聞いても、わたしにはみんな腰がひけてるように思えてならない。これ、わたしの僻みかぁ 一人暮らしの年よりには、このミステリアスはこたえる。誰かがニンマリ笑ってるようで気味がわるいこと夥しい
ああ、そんな思いで今年も突入しました。













業をしょってる女

2011-02-24 10:34:17 | ショ-ト ストーリー
女はいう。
  わたしは業をしょって生まれてきたものみたいなもの
 小さいときから、彼女は影のうすい子だった。でも、お世辞半分でもかわいらしい女の子だった。両親の愛情に包まれ、何不自由なく育ってるように傍目には見えた。その愛情と名のつく気持ちを押しつけられ、本人が傷ついていることに誰も知らなかった。
 
月日がながれ、少女は大人になった。   またまた幾年月 女は歳をかさねていく。
そのあいだに色んなことがあった。さまざまなことを言われてきた。
 
 いま、女はひとり 大海原にただよう、一艘のフネみたいな気分になっている。
 
ひとり、女、いえ老女はつぶやく。 はやく、迎えに来てと。でも、根が丈夫なたちなのか、病気とは無縁である。老女=女は、自分がぼけるのをおそれている。
 
老女はひとり。いつも、ひとりでボショボショはなしかけている 誰に? もちろん、いとしい人にである。
 
晩年、わたしがこんな風な人生をすごすことになったのは業が深かったからかもしれない。そんな風に思えて、老女は残りを罪をつぐなう日々と位置づけている。 
わたしに課せられた義務? それは、ひたすら高いところにのぼって、わたしのために傷つけられた沢山の人たちに許しを乞うこと。
残りの人生、ひとり山に登って登って贖罪をかさねるのがわたしの目標です。
 
因みに、業を辞書でひくと心や言語のはたらきをふくめるとあった。また、善悪の業というのもある。
 
     ある老女のひとりごとでした。
 
   001
 





目から鱗

2011-02-13 11:00:38 | ブログ
私たちは誰かに相談したり、逆に相談うけたりします。その都度、自分なりに真剣な気持ちで接しているとおもいます。
経験したことのない場合は、自分で想像 して答え、いまの言葉で相手が傷つかなかっただろうかと気になります。中には、色んな差し障りを慮ってなるべくなら巻き込まれたくないと思ったりします。
気持ち的にどうしようもなくなると、わたしは必死でなやみを聞いてもらう場を捜しもとめます。自分で抱え込むのは重くて潰れてしまいそう だから、吐きたさずにいられない 
しかし、思うのです。そっくりの体験をした人でも味わう感情は微妙にちがうのだということを。原因は人それぞれの性格や生まれ育った環境が形成してきた何かでしょうか。そうは言っても、同じ経験をした人の言葉は分かってくれたと心いやされるのも事実なのです。
そこで、気がつきました。結局のところ、自分で解決するしかないのだと。どんなに気持ちが癒されたと感じても、それは解決したことにならない。
わたしは思いました。依存症にかかっていたのだと。つまり、頼ることばかり考えて根本的な解決は本人の心構え次第なのだというのを、わたしは忘れていました。そして、甘えていました。
 
  {わかちあい}   はじめて聞いた言葉です。 とても励みになる言葉です。同時に、わたしにも出来そうな < 目的は人それぞれでしょう。> ちょっと頑張ってみるかなぁと考え始めております。 








また、夢を見た!

2011-02-11 11:28:05 | ブログ
二晩つづけて、夢をみた 
 
 きのうは亡くなった人が出てきた。いとしい、いとしい彼女が とっても、しあわせだった。
 どんな夢か、忘れたけどルンルン気分 
 
けさも夢をみた。一年ちかく声も聞いていないし、会ってもいない。でも、直ぐ万一のことを心配してしまう彼だった。わるい夢だった。悲しかった。いま、はっきりと思い出せない。言葉に出してしまうのがこわい。
 
  どうしているのだろう。こちらから電話しない方があの子のためと約束したから、わたしは我慢する





  
 
     今日という日、はやく終わってくれないかなぁ

これも、お互い様?

2011-02-06 11:55:25 | 日記・エッセイ・コラム
生まれ故郷を出て、幾世相 いまは帰るというより行くって感じになりました。
 
そして、五、六年まえ年老いて父親をこちらの施設に入れようと、わたしは出かけていきました。一歩駅舎から出て、わたしは途方にくれました。右も左もわからず、いま浦島の気分でした。
まだらボケみたいな父でした。今お世話になっているところから、こちらへ移すといった相談を施設の責任者としました。同時に、わたしはこちらの福祉課の担当者と受け入れてくれる所をさがしていました。こちらなら、何かあったとき駆けつけられるから 
 
ところが、あの事件でわたしの方が自分のことで精いっぱい 考えてみたら、五年以上あちらへ行っていないのではないでしょうか。
 
一方、精神のダメージを受けている息子と一年ちかく音沙汰なしでして、わたしの心は揺らぐ一方。四十すぎの息子を心配して一人でアワアワしている自分が、ああなさけない  
生活保護をうけているから、ケースワーカーも気を配ってくれているはず。そして、これまでみたいに母親からカネをせびられるのも親子共倒れになりかねない。これまでの経験からして、こちらから電話すれば、あの子に変な期待を抱かせかねず こちらへ連絡しようと思えば出来るのだし、わたしから電話しないと決めている。
 ああ、けさの夢見が悪かった。いや、よく覚えていないけど気になる。わたしって、いっつもこうなんだからぁ。また、クリニックで吐き出して来ようっと 先生、何時もいつもスミマセン
 
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新春 おめでとうございます

今年はわたしの年  ひつじです。    あっと驚くような 善いことめざしてがんばります\(^o^)/