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負の遺伝子

2010-08-31 11:14:35 | ショ-ト ストーリー
むあ
むかし、ある村に負の遺伝子をもつ一族がおりました。一族はながい年数をかけ、本家から分家へと次々枝分かれしていきました。
 本家のばぁさまはこ先祖大事とし、血筋を絶やさぬためには我が子を養子に出すことさえ厭いませんでした。いとこ同士の結びつきも行われたりしていました。
 
 
 そして、何十年も経ち、村は過疎化し、分家らはつぎつぎと暮しやすいところへ移っていきました。今では本家だけになってしまったのです。
 
 子供のときから、わたしは何時もみんなの中で違和感をもっていました。何か、自分だけ、みんなと違う? うまく説明できないだけに、異人種のような気持ちでした。わたしの家族も特別で、偏見じゃなくて村の有力者みたいな目で見られていると思っていました。
  大人になって離れて自分の家族を眺められるようになってから、わたしは気づきました。周りから、眉を顰められていたのだと。
 それから、長い年月が経ち年寄りだけになった村内で年の順に死んでいきました。 
 
 肉体を脱ぎ捨て、たましいだけになった本家のばぁさん達が、新しく住むところとなったあの世で、しみじみ話していました。
 いくら努力しても、成績があがらない。世間の常識がない云々
いろいろ言われ、みんなとうまく付き合えなかったけど自分は自分。みんなではなかつたんだと。

 

子供に返った年寄り

2010-08-19 11:13:34 | 日記・エッセイ・コラム
これは、わたしの父の話です
 何年になるでしょうか? まだらボケの父がお世話になっている某施設を訪ねたときの思い出です。
ちょうど、昼食時でした。何しろ数年ぶりだったので、ハテ父はどれかとわたしは記憶を手繰り寄せつつ、見当をつけ声をかけました。そしたら、相手はどちらさまでしょうかと聞き返すではありませんか。とうとう、娘を忘れてしまった。でも、心の通い合いの薄い父と娘だったからと、あまりショックを感じませんでした。
 そう、わたしは両親に心をひらいたことのない親不孝の娘だったのです。ここへ来たのも、父をこちらの特養へ移したい相談もあって、重い腰をあげたのが真相でした。
 食事もおわり、わたしは父と一緒に彼の部屋に入りました。そして、椅子に腰かけたり立って窓の外を見たりしながら、ふたりでお喋りしていました。
 なんか、父の様子が変です。そわそわし、入り口の壁の方が気になるようです。それでも、わたしは気がつきませんでした。そちらを指さして、父が何か言った? わたしは、やっと気がつきました。
  入所者たちで競技があったらしく、父の表彰状が張ってあったのです。それを説明する父の表情が、とっても誇らしげでした。幼児みたいに、得意そうでした。まるで、母親に褒めてもらいたくて堪らない園児みたいに見えました。
 運動会か何だったのか忘れましたが、わたしは年取ると子供に返るという言葉を思い出していました。お父ちゃん、良かったねと言いながら、ニコニコしている父が微笑ましく見えたのを覚えています。
 そして、わたしも年齢を重ねながら何時の日か父みたいに子供がえりするのかもなんて思ったりしています。
生命は海から生まれたとか~~~   命がおわるとき、人の魂は海に帰って行くのでしょうか?
 

巣穴から、ヒクヒク

2010-08-11 10:58:27 | ショートストーリー




 
 
 
   ウイリーだよぅ。何か、変な形の雲が重なってするねぇ、それも、真っ白い雲が~~~~~
 ヒクヒク、自慢の黒光りしたお鼻も、ちゃんと働いている。
 
     こんなにお日様がかがやいているのに、何だか水っぽいにおいがちかずいてるみたい。そう言えば、台風が来るって言ってたね。やばいっ▲■  さっさと穴の中にひっこもうっと  またねっ  

気になっていたこと

2010-08-02 10:27:01 | ブログ

ずっと気になっていた三回忌、一年送れできのう済ませました。
 
 ほっとしたのか、がっくりしたのか、今でも分かりません。 でも、何か一区切りしたような気持ちです。
 色々段取りをしてくださった方を含め、本当にありがとうございました。
 
 また、いつものように、月日が流れていくことでしょう。目的を模索し足掻きながら
 



  心のささえ、どこにあるのかしら

 

     001


新春 おめでとうございます

今年はわたしの年  ひつじです。    あっと驚くような 善いことめざしてがんばります\(^o^)/