たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡三十三観音(第二十六番 大泉寺)

2012-12-08 | ぶらり盛岡
盛岡の今朝(2012.12.8)は雪です。昨日は夕方5時過ぎ大きな地震がありました。海岸の方は津波の心配があり避難された地区もあったようです。盛岡は地盤が強く地震の影響はいつも少ないです。




今朝の盛岡



岩手山(12月2日)





第二十六番 大泉寺  十一面観音   盛岡市本町通

大泉寺は旧油町にあります。盛岡中央郵便局から歩いて5分ほどです。十一面観音は山門を入った右側の観音堂に安置されています。この観音様はもと八幡町にあった帰命寺に安置されていましたが、廃寺になった際に大泉寺に移されたようです。
観音堂のすぐ傍には盛岡城築城工事にまつわる悲話で有名な貞婦おかんの墓があります。




山門



本堂



観音堂








十一面観音





おかんの墓
福岡城主九戸政実が南部信直に亡ぼされ、家臣畠山重勝の息女であった“おかん”は家来の三平と夫婦になって盛岡へ来た。三平は盛岡城築城の人夫となって働いていたが、工事中重症を負い働けなくなった。組頭である高瀬軍太はかねてから気品の高い“おかん”に思いをよせていたが、三平の災難をきっかけにますます露骨になり、夫の運命にも危機が及ぶと感じたおかんは、夫を殺すならば身を任せると言って欺き、自ら夫になりすまして高瀬の手に掛かって貞死した。己の非を悟った高瀬は自ら仏門に入り、おかんの菩提を大泉寺で弔ったという。




おかんの墓




この貞女おかんの墓は、石でたたくと不思議な音の鳴る墓石です。カンカンと鳴る甲高い音は、おかんの泣き声であるとか、夫の三平の唱える念仏であるとか、あるいはこの不幸な夫婦二人の声が合わさっているとも言われている。
 墓石には墓石を叩くための石が置かれており、この石が置かれている部分は、叩かれたために、自然にくぼみができています。300年以上、数知れぬほど多くの人々がこの墓石を叩いてきた証なのだが、この行為がおかんに対する賞賛や供養を意味するのでしょう。




墓石を叩くための石






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啄木の盛岡中学時代の歌


  この無興(ぶきやう)いはば雪ふる破(や)れびさし暮るゝ光の淡きに似たり


 明星  明治36年7月号に4首(その2)  石川白蘋 


啄木は明治35年10月に盛岡中学を退学しましたが、明治36年12月まで、ペンネーム「白蘋」で投稿しています


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