たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡三十三観音(第二十七番 報恩寺)

2012-12-16 | ぶらり盛岡

第二十七番  報恩寺  松坂観音  名須川町31-5

報恩寺は北山交番前の交差点を過ぎるとすぐです。この寺は、慶長6年(1601)に三戸から現在地に移転されました。本堂は昭和35年の類焼により全焼、昭和39年に再建されています。



報恩寺



山門



本堂




報恩寺は「松坂観音」といわれる盛岡三十三観音の霊場でありましたが、昭和35年本堂全焼のとき、この第二十七番松阪観音は焼失してしまいました。
現在は焼失を免れた十一面観音を二十七番観音として安置しているということです。「新・盛岡三十三観音」?になるのでしょうか。


五百羅漢
報恩寺の盛岡市指定有形文化財である羅漢堂は享保20年(1735)に建造、嘉永4年(1851)に改築されている。ここには、中央に大仏盧舎那(るしゃな)仏坐像、その両側に釈尊の十大弟子像と十六羅漢像、周辺壇上に五百羅漢像が並ぶ。享保年中に駒野丹下ほか9名の仏師により、京都で造られ、搬送されたと言われている。羅漢とは、インド名アラハト(阿羅漢)の略称で、応供、人の供養を受けるにふさわしい聖者という意味のようです。








羅漢堂



五百羅漢





報恩寺の梵鐘
この鐘は戦時中の金属回収の時にも、由緒ある名鐘として、内丸にある時鐘と共に回収を免れて、残された貴重な文化財であり、昭和55年に盛岡市指定文化財になった。








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啄木の盛岡中学時代の歌


  このおきな筆を立てゝは虎のごと髯は少女のとめ針のごと


 明星  明治36年7月号に4首(その3)  石川白蘋 


啄木は明治35年10月に盛岡中学を退学しましたが、明治36年12月まで、ペンネーム「白蘋」で投稿しています


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