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たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

川の街盛岡(北上川に架かる橋)

2011-03-22 | ぶらり盛岡
盛岡は市街中心部を三つの川が流れておるため多くの橋が架けられております。そのうちのひとつ北上川は盛岡駅前を流れております。駅前には三つの橋があり、中央に進むと開運橋、左側の道路を進むと旭橋、右側に進むと不来方橋があります。国道4号盛岡バイパスは市街地の東側を円をえがいて進むため、国道は北上川と南北で二度交差し、南側の橋が南大橋、北側の橋が北大橋です。北大橋と南大橋間の橋を上流から並べると次のようになります。

北大橋→舘坂橋→夕顔瀬橋→旭橋→開運橋→こずかた橋→明治橋→南大橋




開運橋から見た北上川



舘坂橋(たてさかばし)
舘坂橋は国道4号と秋田を結ぶ国道46号に架かる橋で、国道4号NHK盛岡の交差点から岩手大学工学部を過ぎるとすぐです。交差点から500mぐらいです。この橋を過ぎ右折すると安倍舘遺跡があり、まっすぐ進むと厨川柵の擬定地となっている天昌寺があります。さらに進んで小岩井、田沢湖を通り、秋田に通じます。





夕顔瀬橋(ゆうがおせばし)
材木町の北側と夕顔瀬町とを結ぶ橋です。夕顔瀬側の交差点が変則的な形だったために渋滞が激しかったことなどもあり、アルペンスキー世界選手権雫石大会の開催に合わせ平成5年架け替えられたました。





下流の旭橋から見た夕顔瀬橋




旭橋(あさひばし)
この橋は材木町の南側と盛岡駅を結ぶ橋で、東北新幹線盛岡駅が開業する前年の1981年4月、開通した。全長約80m、幅約25mの橋です。






開運橋(かいうんばし)
開運橋は、明治23年の盛岡駅開業に伴い、当時の知事石井省一郎が、私費で完成させたもののようです。現在のアーチ型の鉄橋は昭和28年に架けられております。








上流の旭橋から見た開運橋



不来方橋
この橋は、平成18年3月に開運橋の混雑緩和策として材木町の南側に架けられました。











明治橋

現在の明治橋は昭和7年に架設されたものですが、それ以前の橋は明治6年に、今より100mほど下流の御蔵(おくら)の前に架けられた木造の橋でした。明治橋が完成するまでは、新山(しんざん)と呼ばれたこの地に、数艘の船を両岸の大黒柱につないで橋にした「新山舟橋(しんざんふなばし)」 によって両岸は連絡されていました。この舟橋跡は盛岡市指定史跡となっており、当時の柱が残っておりおります。




明治橋から見た北上川(写真の左側の三つのビルは盛岡駅前のマンションです




明治橋




明治橋と手前の新山船橋の三本の柱(跡)


新山船橋跡の中州。 対岸(三本の柱側)にある白い建物が御蔵です



御蔵

この地は新山河岸(しんざんがし)と言われ、御番所や船宿、御蔵などが立ち並び、舟運の要衝として藩政時代に栄えた町です。ここには蔵があり、明治橋際の御蔵(おくら)と呼ばれています。この明治橋御蔵は、藩政時代の建築とされ、往時を語り継ぐ貴重な建造物で、土蔵造り平屋建て、建物の長さは約30メートルにも及びます。この蔵は盛岡市保存建造物、同有形文化財になっております。







北上川は一関を通り宮城県の石巻まで流れていきます。石巻の歌碑のところで記した、地震の被害を受け、安否がわからなかった佐々木さんから、21日の夜にメールが届き、九死に一生を得、無事との連絡をいただきました。




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啄木の盛岡中学時代の歌 ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫

  ほそきほそき情(なさけ)のきづないや細く小雨さながら闇におくりぬ 
 
啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その4)

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