第十二番 長松寺 千手観音 盛岡市仙北町
長松寺は明治橋を渡りすすんで行くとJR仙北町駅の手前にあり、明治橋と仙北町駅の中ほどにあたる。長松寺は昔「長昌寺と」もいわれていた時もあったようです。なお、千手観音は本堂内にあ安置されています。
千手観音
第十三番 千日堂不退院・虚空蔵堂 聖観世音菩薩(虚空蔵菩薩) 盛岡市仙北町
千日堂不退院は十二番の長松寺から歩いて5分ほどの所にあります。地域の人には、「虚空蔵さん」と呼ばれていますが、本尊を阿弥陀如とした浄土宗のお寺です. 元禄7年(1694)、円光寺の良観和尚が凶作による餓死者供養のための草庵を建立したのが始まりで、正徳6年(1716)阿弥陀如来を本尊として安置し「千日堂不退院」と称した。その後、大洪水で流され、現在の地に再建された。一方、 文化年間に農夫が草刈り中に「虚空蔵菩薩」を見つけ、不退院にお願いし、小さなお堂を建てて安置した。それが「虚空蔵堂」のはじまりで、何度か建て替えられた後、現在の虚空蔵堂になっている。なお、不退院は、明治29年に本堂は取り壊され、虚空蔵堂内に本尊等が安置され今日にいたった。
長松寺は明治橋を渡りすすんで行くとJR仙北町駅の手前にあり、明治橋と仙北町駅の中ほどにあたる。長松寺は昔「長昌寺と」もいわれていた時もあったようです。なお、千手観音は本堂内にあ安置されています。
千手観音
第十三番 千日堂不退院・虚空蔵堂 聖観世音菩薩(虚空蔵菩薩) 盛岡市仙北町
千日堂不退院は十二番の長松寺から歩いて5分ほどの所にあります。地域の人には、「虚空蔵さん」と呼ばれていますが、本尊を阿弥陀如とした浄土宗のお寺です. 元禄7年(1694)、円光寺の良観和尚が凶作による餓死者供養のための草庵を建立したのが始まりで、正徳6年(1716)阿弥陀如来を本尊として安置し「千日堂不退院」と称した。その後、大洪水で流され、現在の地に再建された。一方、 文化年間に農夫が草刈り中に「虚空蔵菩薩」を見つけ、不退院にお願いし、小さなお堂を建てて安置した。それが「虚空蔵堂」のはじまりで、何度か建て替えられた後、現在の虚空蔵堂になっている。なお、不退院は、明治29年に本堂は取り壊され、虚空蔵堂内に本尊等が安置され今日にいたった。
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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡の中から)
歌筆にまづそめて見るみ名や誰おぞやこの春花心する
金田一京助宛 明治35年1月1日 渋民村 石川麦洋子 名で 4首(その4)
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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡の中から)
歌筆にまづそめて見るみ名や誰おぞやこの春花心する
金田一京助宛 明治35年1月1日 渋民村 石川麦洋子 名で 4首(その4)
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