現場力(げんばりょく)

理科は感動だ!を実践する感動サイエンスteacher。
つながりを活かして社会貢献活動する地域に飛び出す小学校教師。

通潤橋と白糸大地

2007-01-05 | TOSSフォトペディア
C)インターネットランド 小学校>4年生>社会>地域発展に尽くした人々

佐藤琢朗




白糸大地の写真を見せて、次の発問をする。
発問:写真を見て、分かったこと、考えたこと、思ったことをノートにか条書きしなさい。
一枚で100個の意見に耐えられる写真である。
さらに、
発問:何のために通潤橋を作ったのですか。
新田を開発するため。
発問:通潤橋ができて、人々のくらしは楽になりましたか。
で討論をさせる。

通潤橋は1854年(嘉永7年)、水源に乏しい白糸台地へ
水を送るために架けられた通水橋であり、
建造にあたっては地元の総庄屋であった布田保之助が
計画を立てて資金を調達し、
熊本八代の種山石工技術者集団の協力を得、
近隣農民がこぞって建設作業に参加した。

この水路付き石橋は、アーチ型の木枠を作った上に石を置き、
水路を設置して橋が完成したところで木枠を外す工法
により建造された。石橋の木枠を外す最終段階には、
橋の真下に白装束を纏った布田翁が鎮座し、
石工頭も切腹用の短刀を懐にして臨んだという。

TOSSフォトペディア
『ウィキペディア(Wikipedia)』

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