ブラタモリのオープニングの穴場に行ってみた!
若槻さんがモンスターペアレント発言で炎上しているという。
そして、謝罪。
それは、何が問題になるかを考えてみた。
さて、若槻さんは、代表的な保護者だと思う。
保護者は知らないことからくるイメージで話をしてるだけ。
若槻さんの発言は一般的だと思う。
熱血教師ドラマで18時以降に電話でない教師だったら、それはだいたいいじわるな教師。
それより対話の機会がなくなることを恐れる。
けっこうモンスターペアレントの言葉を恐れる方は多い。
しかし、正当なクレームはモンスターペアレントではない。
「学校教育は、時として家庭教育の補完をしなければならない。」(引用)
これはある有名な学級経営案の一節である。
家庭には様々なくらしがある。
だから、状況によっては教育が不十分なこともある。
それを切り捨てたりはできない。
人間の教育が社会的・組織的に行こなわれている学校という組織では、
被教育者を丸ごと見ているからである。
一人の子どもが、やがて生きていくに必要なすべての面にわたる教育をする。
だから、教科指導の他にトイレの使い方や食べ物の好き嫌いの指導もするのである。
今の問題は行き過ぎたことによる弊害なのだと思う。
学校が引き受けすぎてしまったばかりにサービス化してしまっているという問題である。
学校は学校。と切り捨てるのではなく、
対話を通して子どもを中心に
あらゆるリソース(学校や家庭、地域)が補完し合うことが重要だと思う。
卒業生からのコメントが届いている。
ニックネームで誰だか分かる。
伝言板みたいになっているが、とても楽しい。
ある女の子からは、メッセージが届いた。
がんばっている姿が浮かんできた。
今算数でうけもっている5年生には、妹や弟がたくさんいる。
兄弟だからにているとも言えるが、
一人一人は、個性的だ。
今が輝いているのは、過去を大切にしてきたからだと思う。
メッセージは、「先生も頑張って下さい。」と結んである。この関係を大切にしていきたい。
夏休みに入って、スケジュールが埋まっています。
教師は、夏休みも研修やら何やらで学校に行きます。
そんな中に、子どもたちから「暑中お見舞い」が届くとほっとします。
私は、すぐに忘れてしまうので、その場で書くことにしています。
丁度いい、色鉛筆を購入してからその場ですぐに絵も描けます。
この前の研修会で、
「今までは、算数嫌いだったけど、算数の授業を楽しみにしているようです。」
と言葉を書けてもらいました。
今年は、担任ではないので、
どなたか分からなかったのですが、子どもの名前は、すべて覚えています。
すぐに誰か分かりました。
好きになってくれる。
と言うのがとてもうれしいです。
成績が上がるのは、もう少しあとでしょう。
でも、好きになってくれれば、あとは、大丈夫です。
夏休み前に算数の授業のアンケートをとりました。
84%の子どもが、算数で好きなときがあると答えてくれました。
残りの16%の子どもに目を向けて、
前期後半も頑張ります。
P.S.
みやはる!!
コメントありがとう。
弟教えているのは、やっと分かったよ。
にてなかったから。
元気みたいだね。
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「ほめる技術、しかる作法」(伊東明)PHP新書より
この本は、ビジネスの現場を想定して書かれている。
それを学校現場に当てはめて考えていく。
しかるのが難しくなっている。これは、1でも書いたように状況が難しくなっているからだ。
しかし、しかり方を学んでいないのもたしかである。
しかるには、次の態度が必要。
1)「どんなときに」「なんのために」しかるかを明確にする。
4月の学級開きの時に、担任として、基本方針を明確に話す。
私がしかるのは、次の時だと。
1)命に関わるとき
2)何度言われても直そうとしないとき
3)友達を馬鹿にしたり、いじめたり、下に見たりしたとき
1は、言わずもがな。学校は安全な場所でなければいけない。
2は、態度を問うている。直しなさいではなく、直そうと努力しないときにしかる。
3は、差別である。人としての尊厳を守る。
宿題忘れなどは、2に入る。
しかし、なぜ忘れるのかを家庭環境とともに考えていくことが必要。
ある子が、ノートがぐちゃぐちゃになって宿題をしてきていないときがあった。
その子は、よく宿題を忘れる子どもだった。
しかし、小さい赤ちゃんが生まれたばかりの家庭だったのだ。
9人兄弟の家庭もあった。
ずっと一日中テレビがついているような家庭もあった。
「いつ」「どこで」「どんな風に」宿題をしているのかを知ることから始める。
必要ならば、親とともに宿題の意義を考える必要もあるかもしれない。
子どもは、親が「言った」ようには育たないで、親が「している」ように育つ。
2)「どんな風に」しかるかをイメージする。
しかるときは、感情的になりがちである。
それで、失敗をたくさんしてきた。イメージトレーニングをしておくとよい。
『しかる際に大切なのは、相手の非をあげつらうことではなく、問題があることを相手に認識してもらって改善を促すこと』
だからである。
基本の手順は次である。
1)まず相手の言い分を聞く。
※間違えてしかってしまうこともある。それを防ぐ。
2)相手の性格ではなく、行動をしかる。
※行動の修正をせまるのである。
3)次に失敗を犯さないための方法もセットでしかる。
※どうすれば良かったかを一緒に考える場合もある。
4)しかるのは、原則1対1。
※しかるのは、個別に。ほめるのは、全体の前でが原則。
5)目をそらさない。
※ノンバーバルなやりとりで伝わるものがある。
6)反抗的な子には、冷静に論理的にしかる。
※同じ土俵にたたない。理詰めで話をする。
7)考えさせ、成長させるしかり方。
※何が悪かったか失敗した原因とその影響を考えさせる。
※レポートさせることで文書に残す。
8)しかるときもアイメッセージで。
このように書いてきて、考えてみると
子どもとの信頼関係がないとできないことが分かる。
信頼関係を築くために何をするべきか。
それが、ほめる技術に隠されている。
しかって、相手に成長させるとは、とても難しいことだと認識して、学び続ける必要がある。
「ほめる技術、しかる作法 (PHP新書) 」という本を読んでいる。
しかるには、ある一定の作法が必要だと思っていたからだ。
しかるが成り立たなくなっているのは、
今までの成功体験が現在の成功体験とならないからである。
常識が通用しない。
しかる側には、しかる作法
しかられる側には、しかられる作法が必要だと思う。
作法とは、
ある技をやるときの決まった美しい形
お茶の作法→一連の手続き(パターン)
快適な行動を一般化して、簡単に快適になるための方法
だと定義する。
前述の本には、次のようにある。
2004年に「プレジデント」がとったアンケート。
「しかることの効果の変化」を尋ねている。
以前よりしかることの「効果が減っている」と答えた人の割合が、
「増えている」という人を大きく上回っている。
理由は、
「上司・先輩の『叱る』経験や能力が低下したから」
が最も多い。
これを元に筆者は、
かっては通用したはずのしかるセオリーが今の時代では通用しなくなった。
と結論づけている。
また、アメリカでは、リーダーが、部下をしかる論文は見あたらなかったそうだ。
それは、上司と部下が意見が食い違った場合、アメリカのビジネス環境で求められているのは、「主張するスキル」だからだという。
「しかる」ことができるのは、親子のような上下関係や家族という一体感がある場合だけらしい。
これは、日本でも容易に想像できる。
立場が同じ対等な関係では、忠告などはできても「しかる」はできない。
今、しかることが難しいのも、一体感が喪失しているからだと思う。
振り返ってみれば、初任の頃、
学校と地域との一体感があった。
地域の学校として、運動会は、地域の運動会も兼ねていた。
保護者と教師との信頼関係も深かった。
祖父母からは、新採の若い教師も尊敬の対象だった。
子どももその中で育てられていた。
今でも覚えている原風景がある。
担任していた4年生。
6年生と一緒にしかったとき、その子は、
反省のあまり、掃除時間いっぱいにその場にたちつくしていた。
目に涙をいっぱいためて。
今では、この一体感がない(うすい)。
更に言えば、
子どもたちの経験が少なすぎる。
近所のガキ大将が低学年の子どもを率いて遊んでいた環境がない。
だから、本気になってお互いの感情をぶつけ合う瞬間がない。
その結果、しかられる土壌がない。
もちろん、しかる側も自信をもって、しかることができなくなっている。
ここに作法の喪失がある。
以前は、
しかる側にも
しかられる側にも
不文律のきまり(作法)があった。
今は、本で提案されているように
学ばなければいけない。
例えば、しかられ方が次のように書かれている。
□
しかられているときに大前提となるのが、「あなたの言葉をきちんと受けとめています」という態度である。(中略)
しかられたときには、まずゆっくりと深くうなずくのが基本である。
(中略)
なるべく深く肩を落としてうなだれてみせるほど、「反省しています」という印象が強く伝わる。
□
このように作法を学ばなければいけないのだ。
元教え子からのメッセージ。
うれしいです。
ブログをしていて、うれしいことです。
いろいろなことがあるけれど、
一歩一歩歩いて行きます。
今日は、市内に進学した子が訪ねてきてくれました。
私も通った学校の中学部。
懐かしい制服でした。
とてもよく似合ってました。
入学式の後も4人がきてくれました。
ほとんど話ができなくて残念でしたが、とてもうれしかったです。
今教えている子たちは、卒業生の妹や弟がたくさんいます。
やっぱりにてますね。