8月12・13日にTOSS熊本の夏合宿が開催された。
今回のテーマは、
TOSS熊本教師の技量向上と、特別支援教育研究のさらなる深化をめざす
だった。
そのためにお呼びした講師は、小野隆行先生。
東田先生が現在のTOSS熊本の課題を浮き彫りにさせるべくお呼びした方だった。2年越しの夢が叶ったらしい。
さて、合宿はというとあっという間。
笑いあり
笑いあり
涙あり
涙あり
の合宿にだった。
自分の思いを考えると一言で「くやしい」
小野先生との実力の差
修羅場をくくった差を感じ取ることができた。
自分がふがいない。
小野先生には、TOSSを背負う覚悟がある。
言動・行動のすべてに芯が通っている。
ぶれがない。
自信がオーラとなって、体が大きく見える。
二日目の小野先生の第3講座。
プライドや見栄を捨てることの重要性を学んだ。
プライドを捨てる。と簡単にかける。
しかし、プライドをすてるには、今までの自分を否定することにつながる。
簡単にできることではない。
TOSSは仲良し集団ではない。
ライバルを持ち、
仲間を大切にしながら、
自分を引き上げていく。
吉永先生からのメッセージを意識して、突き抜ける自分を創る。
現在の学校以外の仕事は、次のようになっている。
1 連携支援セミナーレポート
2 防災風土記テキスト作成
3 原稿2本
4 NPOくまもと温暖化対策センターとの打ち合わせ
5 ホームページづくり
6 12月の連携セミナーの内容決定
7 来年度のTOSSデーにむけての準備
8 東日本大震災の復興テキストづくり(イエローフラワープロジェクト)
などなど。
大小あわせて、様々なタイプの仕事がある。
仕事を自分から取っているような感じ。
ま、このブログもまだ1が終わってないけど書いている。
これに学校の仕事もある。
このような状態が普通。
ポイントは、細切れの時間管理とまとまった時間の管理。
注意は、〆切りを忘れないこと。
私の一番のネックは、〆切りを忘れてしまうことだ。
毎日が充実している。
最先端塾とは、私の師匠の椿原正和氏が主催するサークルです。
人吉まで上田先生と一緒にドライブ。
レポートを一本もって参加。
人吉まで行く価値があります。
久しぶりに椿原先生にお会いしました。
やっぱりあわないとダメだなと再確認しました。
さて、
最先端塾では、連携セミナーのレポートを持って行きました。
研究的
という言葉の意味が少し分かりました。
限定する
という意味も少し分かりました。
私のは、実践記だったのです。
それはそれで価値のあることだと思います。
目の前の子どもにとっての課題を解決する方法だからです。
あがいているからです。
しかし、研究はまた違ったものです。
普段は、実践記しかかけないと思います。
だから、切り口を求めて、最先端塾に通うのです。
椿原先生から示唆を受けて、その通りに取り組んでいきます。
全国に通用する実践をします。(なんちゃって!)
私は、ずうずうしいと思う。
昨日は、TOSSデー鹿本会場に参加して、そのまま、尊敬する東田氏の家に泊まった。
このブログも東田氏の家で書いている。
TOSSは、目指しているのは、教師の地域参画。
TOSS栃木は、市のホームページに「TOSS栃木」と記載されている。
さらに、TOSS熊本は、「連携セミナー」に熊本県の後援をもらっている。
今までは、民間の教育団体には、なかなか行政のお墨付きがでなかった。
しかし、NPO・NGOの働きを見るとおり、行政だけでは手が行き届かない部分がある。
一緒にがんばりましょう。
というスタンスに変わってきつつある。
さて、
昨日は、しっかり飲んだ。
しかしその前に、「連携セミナー」の記録誌づくりを行った。
私は、八代会場のシンポジウムのテープ起こしを編集した。
連携セミナーでは3年間かけて、
医者と教師と行政と保護者の連携の「熊本モデル」を創る。
1年目には、(お互いに)何ができるのか、何をやっているのかを知る。
2年目には、どういう連携ができるのかを探る。
3年目には、(連携を組み合わせて)システムを作る。
わくわくする仕事である。
教師という立ち位置でできることをいろいろな立場の方と連携していきながら形にする。
これこそ今求められている教師なのだと思う。
教師は、学び続けなければならない。
これは、私が心がけていること。
だから、「不断の努力」を座右の銘としている。
その一環として、セミナーに参加した。
植木・鹿本には、尊敬する教師がいる。
TOSS熊本の代表。東田昌樹氏。
今回、初めて、特別支援の子役がいる模擬授業に挑戦した。
特別支援学級を5年間担任している野口氏が子役をする。
隙があるとすぐにつっこまれてしまう。
私が使った教材は、『社会科資料集(正新社)』。
導入では、索引を使って、地名探しの実践のように使った。
「資料集の中に『坂本龍馬』がいます。探してご覧なさい。」
次に、「まとめ」を使う。まとめの文章を読み、言葉を入れさせる。
言葉を入れて、その基となった資料を探させる。
コメントで、この流れが逆になっていると指摘された。なるほど。
授業は、楽しくできた。
しかし、自分の腕の未熟さも感じた授業だった。
よかった。
学校にきているALT(英語を教える手伝いをしてくれる先生)が英会話教室を開いている。
昨年は、いきたいなと思っていても時間とゆとりがなかった。
今年も同じく時間もゆとりもない。
しかし、ブラッシュアップしたいので、通うことにした。
さて、平日火曜日の8:30からの1時間半。
ついた家は、ALTの家。
アメリカンスタイルの立派な家だった。細部までこだわりがある。
1時間半は、あっという間だった。
疲れもしていたのだが、それを感じさせない。
英語をしゃべるわけではない。ALTの21年間の技術を教えてもらう。
一番は、英語と日本語のギャップ。
言語が違えば、バックボーンとなる考え方や表現の仕方が違う。
身銭を切って学び続けることが必要だと実感。
今年度の反省をしながら
来年度への志向を考えている。
私の性格だろうが、途中からの変更がなかなかできない。
一年を見通して、計画を立てる。
今年やっとけば良かったという部分が今だからふり返ることができる。
子ども達の1日、一週間、一ヶ月の行動を考えながら、
システム化を図る。
学年部全体で、ある程度の統一が必要。
型があるからこそ、質が保証される。
子どもも保護者も安心できる学年部にしたい。
と思うことにしている。
思いを持って仕事をする。
あれもしたい、これもしたい。
しかし、物理的にできない。
こんな時に仕事にアラが出る。
アララという奴だ。
指摘を受ける。
いいわけもしたくなる。
しかし、おかげさま。
自分ができることを精一杯。
ずっと更新していなかったこのブログを訪れて下さる方からも元気を頂いています。
通夜に参列した。
学年の子どもの顔を見るのがつらい。
どうしても自分の子どもと重ねて考えてしまう。
惜しい方を亡くした。
人徳のある方だった。
2度しか一緒に飲んでない。
これからだった。
事実を事実として受け止められるようになるには
時間がかかる。
まして、
自分の身内ならなおさら。
今までに参列した通夜や葬式を思い出した。
死
があるからこそ
生
が輝くのだととも思う。
死をイメージして、生を燃え上がらせる。
浄土真宗では、
浄土に行くと言うそうだ。
見守っていて下さい。
合掌。
これは、ある意味、力が分かる。
感想の質が違うのだ。
1行の人から
最後の行までぎっしり書いている人まで
最後に授業者や事務局にねぎらいの言葉を書く人
全く意識が違う。
さらに、見え方も違う。
1行の人の中に「参考になりました。授業に取り入れていきます。」
というものがあった。
取り入れられないだろうな
というのが率直な感想。
研究会で意見も言わず、感想も一行。
授業者に対して失礼と思っていない神経。
学ぶ姿勢がこれでは、「あれどもみれず」なのだ。
自分の姿勢がこれでは、子ども達に後ろ姿で語ることができない。
自分が真剣勝負をしていないから。
感想一つで、授業を見る目、生き方まで分かる気がした。
もちろん、様々事情はあったのかもしれないので
一概には言えないのだが。