一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

再び、薬師丸ひろ子の「薬師丸」姓のルーツの地を訪ねて…そこは薬師丸村だった…

2020年04月28日 | その他


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昨年(2019年)の夏、

薬師丸ひろ子の「薬師丸」姓のルーツの地を訪ねて ……佐賀県金立町薬師丸……

と題して、このブログにレポを書いた。


レポの最後に、

(鳥栖での)薬師丸ひろ子コンサートの日に、
早めに佐賀に来ることができれば、
このように薬師丸ひろ子のルーツとなる地を巡ってみるのも楽しいのではないかと考える。
ぜひぜひ。

と書いたのだが、
実際に訪問された方もおられたようで、
このレポは概ね好評であった。
その後、ネットで、
薬師丸ひろ子の『フォトメモワール』という本で、
薬師丸ひろ子自身が、
「いまは別の地名になっているそうだけど、佐賀県に薬師丸という村があったと聞いています」
と語っていることを知った。
昔の地名は「肥前国佐賀郡薬師丸邑」(“邑”は「人の集まり住む所」「むら」「町」の意)だったようだが、
現在の地名は「佐賀県佐賀市金立町大字薬師丸」。
「薬師丸村」とか「薬師丸町」として名が残っているのではなく、
今は、金立町の一地区として、かろうじて「薬師丸」の名が残っているだけ。
なので、ここが「薬師丸村」であった証拠を探したいとかねてより思っていた。
先日、金立町方面に行く用事があったので、
約9ヶ月ぶりに、薬師丸ひろ子の「薬師丸」姓のルーツの地を訪ねたのだった。



佐賀県道294号薬師丸佐賀停車場線は、


佐賀市久保泉町から同市金立町薬師丸を経て、同市駅前中央1丁目に至る県道で、
起点は、佐賀県佐賀市久保泉町上和泉(村徳永交差点、佐賀県道48号佐賀外環状線交点)、
終点は、佐賀県佐賀市駅前中央1丁目(駅前交番西交差点、佐賀県道29号佐賀停車場線交点、佐賀県道267号松尾佐賀停車場線終点)となっている。
高津九郎橋で巨勢川を渡り、
さらに徳永橋で焼原川を渡って村徳永交差点に至る2車線改良の区間がバイパスとなっている。
東渕(兵庫町渕)から村徳永(金立町薬師丸)までの区間は、
薬師丸橋(2004年開通)で巨勢川を渡り、巨勢川左岸(東側)堤防上を通るのが元の路線であった。




この元の路線にある薬師丸橋の傍に、
「薬師の森」がある。


階段の上り口に、プレートがあって、


そこに、「薬師の森」の名の由来が書かれている。
大字薬師丸付近は、昔は江湖が深く入り込んでいて、
帆をかけた船がここらまで自由に上下していたとのこと。
あるとき船中に薬師如来を祀った薬師丸という船が、
この森の東北にあたる「はぎや」と呼ばれるところで沈没してしまった。
その後、この船の薬師如来を移して祀ったのが薬師の森と言い伝えられている。


見上げると、大きなクスノキが枝を広げている。


石で造られた祠があり、


中の薬師如来像は比較的新しいもののように見えるが、
石の祠そのものは、造られた当時のものであろう。


向かって左の扉には、
「天明六丙午十月十二日」と彫られている。
天明6年(西暦1786年)、干支は丙午(ひのえうま)。
今から234年前に造られたものだ。


向かって右の扉には、
「氏子中」と彫られてある。
「氏子中」(うじこじゅう)とは、「同じ氏神を祭る人々」の意である。


その右上にも何か彫られてある。
よく見ると、「薬師丸村」とある。


前回来たときには見落としていたのだが、
ここにはっきり「薬師丸村」と彫られていたのだ。
「薬師丸村」の氏子中が造った祠であることが判明した。


薬師如来像が比較的新しく見えるのは、
明治初期の廃仏毀釈によって破壊され、
新しく作られたからではないだろうか?
祠の傍にあった石仏の頭部もなかったので、そう考えた。


この祠が造られた時点で、すでに「薬師丸村」であったのだから、
薬師丸という船が沈没し、この船の薬師如来を移して祀ったのは、それよりも遙か昔であろう。
そして、薬師如来像の祠があるこの一帯を「薬師丸村」と呼ぶようになり、
それから長い年月を経て、祠が老朽化し、
天明6年(西暦1786年)に、薬師丸村の氏子中が石の祠として再建したのが、
現在残る「薬師の森」であるような気がした。


このいきさつから考えると、
薬師丸の「丸」は、「丸子部」(マリコベ)からくる、
九州に多い「源五郎丸」「五郎丸」「三郎丸」「弟子丸」など「丸」のつく苗字と同じではなく、
沈没した船の名「薬師丸」からきているのではないかと思った。

「薬師の森」の階段を下りてくると、前方に麦畑が見えた。


「薬師の森」の前には、麦秋の風景が広がり、


その裏手には、
江湖が深く入り込んでいた頃、
そして、薬師丸という帆をかけた船が浮かんでいた頃を想像させる風景が広がっており、


その向こうには、私のホームマウンテンである天山が見えた。
〈薬師丸ひろ子の祖先も、こうして天山を眺めることがあったのだろうか……〉
と、遠い昔に思いを馳せたひとときであった。


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