一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

小池真理子『死の島』 ……“死者のための島”へ小舟を漕ぎ進む男の物語……

2018年05月02日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


『死の島』というタイトルで思い出すのは、
スイス出身の画家アルノルト・ベックリン(1827年~1901年)の代表作「死の島」だ。

墓地のある海上の小さな孤島をめざし、
白い棺を乗せた小舟が暗い海原を漕ぎ進む……

不気味な絵だが、
ベックリンは、1880年から1886年の間に、この謎めいた主題で繰り返し作品を描いている。
(理由は長くなるので割愛)

1.1880年5月(111 x 115 cm)バーゼル市立美術館。


2.1880年6月(74 x 122 cm)メトロポリタン美術館。


3.1883年(80 x 150 cm)旧国立美術館、ベルリン美術館。


4.1884年(81 x 151 cm)第二次世界大戦中に焼失。(白黒写真のみで現存)


5.1886年(80 x 150 cm)ライプツィヒ造形美術館。


20世紀半ばのヨーロッパでは非常に有名になった絵で、
複製画がポストカードになったり、普通の家庭に飾られるほどの人気だったとか。
ヘッセもこの絵を好んで飾っていたことが知られており、


ナボコフも小説『絶望』で「ベルリンの家庭という家庭でみることができた」と記すほどであった。


ラフマニノフは複製画に着想を得て交響詩『死の島』を作曲している。


日本の作家にも影響を与えている。
福永武彦の代表作『死の島』のタイトルも、
ベックリンの「死の島」に由来している。



昭和20年代末の東京。
小説家志望の編集者・相馬鼎は、
美術展で、「島」という一枚の絵に惹きつけられる。
この世の終わりを暗示するかのような暗い島を描いたのは、
広島で被爆し、心と体に深い傷を負った画家・萌木素子であった。
相馬が出版物の装丁を依頼する目的で素子の家を訪れると、
そこには彼女と同居しているという若い女がいた。
美しく清楚だが、男と駆け落ちしたという暗い過去がある相見綾子だった。
タイプの異なる二人の女性と接しているうちに、
双方に惹かれてしまっている自分に気づく相馬。
そんな彼の許に、素子と綾子が、広島で心中したという報せが届く。
女のうちの一人が死に、一人は危篤状態にあるという。
東京駅から飛び乗った急行列車が広島に着くのは、翌日の早朝。
はたして、どちらが死に、どちらが生きているのか……
自分は、どちらの女性に生きていてほしいと願っているのか……



小説の中に、直接このベックリンの絵画が登場するわけではないが、
萌木素子が描いた画がベックリンの死の島に似ており、
ストーリーも、死の島に向かって流れていくように進行する。

小池真理子の『死の島』を読み始める前、
こちらの『死の島』も、福永武彦の『死の島』と同じく、
〈ベックリンの絵をモチーフにしているのだろうか……〉
と思った。
はたしてどんな物語なのか?
興味津々で読み始めたのだった。



文秋社という出版社で文藝編集者として勤務し、
定年を迎えたあとはカルチャースクールで小説を教えていた澤登志男(69歳)。
女性問題で離婚後は独り暮らしを続けているが、
腎臓がんに侵され余命いくばくもないことを知る。
カルチャースクールを辞めた数日後、
かつての恋人、三枝貴美子の妹・久仁子から電話があり、
「実は先月、姉が亡くなりました。63歳。……がんでした」
と告げられる。
6つ年下の貴美子とは、澤が44歳、貴美子が38歳のときに出逢った。
貴美子は独身だったが、澤には妻と娘がいた。
澤は48歳のときに離婚することになるが、
直接の原因ではなかったものの、貴美子のことが少なからず影響していたことは間違いなかった。
だが、皮肉なことに、離婚後には貴美子との情熱も失われ、
貴美子とも別れてしまった。
久仁子によると、貴美子は、生涯独身で、
入院せず、最後まで自宅で生活を続け、治療はすべて拒否し、
在宅訪問看護を受け、鎮痛剤を投与してもらい、
自宅のベッドで、眠るように息を引き取ったという。
その後、久仁子は、貴美子の遺品整理をしていたときに、
「自分が死んだら、澤登志男さんに渡してほしい」
というメッセージが添えられた一冊の本を見つける。
後日、久仁子から直接受け取ったのは、
『ベックリーン 死の島』と題した絵の解説書だった。
(小池真理子の小説では、“ベックリン”ではなく“ベックリーン”と表記)
「死の島」の絵に、澤は魅了される。
澤は、巻末にあった折り込み式のカラー図版を切り離し、
リビングルームの壁にピンで留める。
絵を見ているだけで、なんだかもう、舟に乗っている気分になるのだった。
「死の島」に己の姿を重ね合わせ、
人生の終幕について準備を始める澤の前に、
カルチャースクールの教え子で、彼を崇拝する若い女・宮島樹里が現れる。
自らの辛い体験を『抹殺』という小説に書き、澤に褒められた経験を持つ樹里は、
澤を深く尊敬しており、澤の力になりたいと申し出る。
樹里との交流で、ひとときの安らぎを覚えるが、
己の終焉に樹里を巻き込むことはできなかった。
そして、澤は、樹里に、
「……おれが死んだら、おれのことを書け。小説にするんだ」
と言い残し、姿を消すのだった。



小池真理子の『死の島』もまた、
ベックリンの「死の島」をモチーフにした物語であった。
澤登志男がベックリンの「死の島」を初めて見たときの様子を、
小池真理子は次のように描写している。

見つめているうちに、絵の中に吸い込まれていきそうになるのが不思議だった。一艘の小舟に載せられている白い柩の中に、貴美子の青白い亡骸が横たわっているのが透けて見えてきた。
背の高い黒々とした糸杉の木々を囲むようにして、茶色い岩肌の城砦を思わせる建物がそびえている。よく見れば、その内側に白っぽい四角いものが幾つか。霊廟なのか。
一羽の鳥の姿もない。生き物の気配のない死の島に向かって、小舟がゆっくりと水面を進んでいく。柩は今まさに、静寂に包まれた島の霊廟に安置されようとしている。
貴美子は今、ここに……この世のどこにもない「死者のための島」にいて、穏やかな眠りを貪っているに違いなかった。時をおかずして、自分もまた、この島に向かっていくのだと思うと、彼は深く和んだ気分に包まれた。



澤もまた、「死の島」へ向かって小舟を漕ぎ出そうとしていた。
どのような方法で、どのような手段を用いて「死の島」へ行ったかは、
ここに記すことはできないが、
69歳の澤と同じ60代(前半ではあるが)の私としては、
深く考えさせられる結末ではあった。

この小説は、主人公の澤登志男が、
カルチャースクールの講師を辞めるシーンから始まる。

万事、ものごとの幕引きは、あっさりと行わねばならない。決めたことを翻そうとしたり、顔をこわばらせたり、感傷的になりすぎたり、その逆で自暴自棄になったりするのは避けるべきだった。
しかもそれを「美学」だの「美意識」だのといった、いかにも高尚な言葉で飾りたてるのはもってのほか。ただ黙って静かに幕を引く。引いた後のことは考えない。そこに意味を探したりしない。振り返って涙ながらに過去を懐かしんだりもしない。
幕が引かれれば、黙っていても観客は去って行く。客席の照明は静かに落とされる。すべての気配が遠のき、何も聞こえなくなる。あたりは闇に包まれる。
……あたかも何事もなかったかのように。


この冒頭の文章は、
てっきり、カルチャースクールの講師を辞めるにあたっての“心構え”を記したものだと思っていた。
だが、小説を読み終え、
あらためて冒頭の文章を読んでみると、
それは、「死の島」へ向かう際の“心構え”であったことに気がつく。
なんと大胆不敵な!
一番言いたかったことを冒頭で語り、
最後の最後で、読者にその意味を解らせるとは……
皆さんも、この小説を読み終え、
冒頭の文章をもう一度ぜひ読んでもらいたい。
きっと、最初の印象とはまったく異なった感慨を抱くに違いない。
ぜひぜひ。


セルゲイ・ラフマニノフの交響詩『死の島』(3分間のみ)


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