一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『モリのいる場所』 ……山﨑努と樹木希林の名演と、池谷のぶえの存在感……

2018年07月17日 | 映画


タイトルの「モリ」とは、
洋画家・熊谷守一のことである。
「30年間もの間、ほとんど家の外へ出ることなく庭の生命を見つめ描き続けた」
というエピソードが有名なので、御存じの方も多いと思うが、
簡単に解説しておきたい。

【熊谷守一】(くまがい・もりかず)


1880年(明治13年)4月2日、
岐阜県恵那郡付知(現・中津川市付知町)に生まれる。
早くから才能を認められながらも、
絵を褒められようとも有名になろうとも思わず、
絵で家族を養えるようになったのは50歳を過ぎた頃。
42歳のときに、24歳の秀子と結婚。
1932年に、豊島区に自宅を新築し、
1977年に亡くなるまでそこで暮らした。
日本の美術史においては、フォービズムの画家と位置づけられているが、
作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近した。
富裕層の出身であるが、極度の芸術家気質で貧乏生活を送り、
「二科展」に出品を続け「画壇の仙人」と呼ばれた。
1956年(昭和31年)、76歳のときに、軽い脳卒中で倒れ、
以降、長い時間立っていると眩暈がすると写生旅行を断念し、遠出を控えるようになった。
晩年20年間は、30坪もない鬱蒼とした自宅の庭で、自然観察を楽しむ日々を送る。
熊谷守一自身が「約30年間 家から出ていない」などの言葉を残しているが、
実際はこの脳卒中以降というのが正しいようだ。
また、庭についても自身が「50坪足らずの庭」と言葉を残しているが、
実際はずっと狭かったとのこと。
1967年(昭和42年)、87歳のとき、
「これ以上人が来てくれては困る」
との理由で、文化勲章の内示を辞退。
また1972年(昭和47年)の勲三等叙勲も辞退した。
1977年(昭和52年)8月1日、老衰と肺炎のため97歳で没した。



「ほとんど家の外へ出ることなく庭の生命を見つめ描き続けた」
という熊谷守一=モリのエピソードをベースに、
晩年のある一日を描いたのが、本作『モリのいる場所』である。
監督・脚本は、沖田修一。


山崎努に熊谷守一のことを聞き、
老画家を主人公にしたオリジナルストーリーを作り上げたとのことで、
山﨑努が熊谷守一=モリを、
モリの妻・秀子を樹木希林が演じる。


沖田修一監督作品については、このブログでも、
『横道世之介』(2013年)
『滝を見にいく』(2014年)
などのレビューを書いているし、
もともと好きな監督であったし、
山﨑努はちょっと苦手だが、
樹木希林、加瀬亮、光石研、池谷のぶえなど、
好きな俳優も多く出演しているので、「見たい」と思った。

今年(2018年)の5月19日に公開された作品であるが、
当初は佐賀での上映館はなく、
〈福岡まで見に行かなければならないか……〉
と思っていたところ、
6月30日から7月12日までイオンシネマ佐賀大和で上映されることを知り、
先日、やっと見ることができたのだった。



昭和49年の東京・池袋。
94歳の画家の守一(山﨑努)が暮らす家の庭には、


草木が生い茂り、たくさんの生き物が住み着いていた。


猫、蟻、カマキリ、トカゲ、アゲハチョウ、鬼百合……
それら生き物たちは守一の描く絵のモデルであり、
じっと庭の生命たちを眺めることが、
30年以上にわたる守一の日課であった。


そして、妻の76歳の秀子(樹木希林)との2人で暮らす家には、
毎日のように来客が訪れる。


守一を撮影することに情熱を傾ける若い写真家・藤田(加瀬亮)と、
アシスタントの鹿島(吉村界人)。


守一に看板を描いてもらいたい温泉旅館「雲水館」の主人・朝比奈(光石研)。


近隣に建つ予定のマンションのオーナー水島(吹越満)。
工事現場監督の岩谷(青木崇高)。


画商の荒木(きたろう)。
さらには、得体の知れない男(三上博史)まで……


老若男女が集う熊谷家の茶の間は、
その日も、いつものように賑やかだった……




昭和天皇が、
「これは何歳の子供が描いたのですか?」
と問うシーンから映画は始まる。


その絵は、「伸餅」(1949年)という、守一69歳のときの絵なのだが、
一見すると、
〈自分でも描けそう〉
と思ってしまいそうな、
大人が描いたのか、子供が描いたのか判らないほどの、
なんてことのない単純な絵に見える。
だが、よく見ると、
包丁と餅の配置と向き、それに配色が絶妙で、
高度なデッサンの上に成り立っている作品だということが解る。


この冒頭のシーンが、
主人公・守一、それに、映画『モリのいる場所』の本質をよく表現している。
映画には、守一が絵を描いているシーンはなく、
守一が生き物を観察している姿ばかりが描かれている。
老人でありながら、
それはまさに、好奇心旺盛な少年みたいだ。
観察し、観察し抜いて描かれた絵は、
シンプルで、抽象画のようにも見える。
「これは何歳の子供が描いたのですか?」
とは、守一にとっては、最高の褒め言葉であったろう。

映画は、“家”と“庭”という狭い空間での一日を描いている。
狭い空間の一日であるが、
“家”に訪れる人々、
“庭”に生きる昆虫や植物などで、
その狭い空間はとても賑やかだ。
その賑やかさと、
守一がじっと観察するシーンの静寂さの対比が絶妙で、
それら一瞬一瞬を、
沖田修一監督は、ある種のユーモアを込めて描き出す。
クスッと笑えるようなシーンが随所に織り込まれており、
普通ならば退屈しそうな映画になりそうな感じであるが、
最後まで飽きずに見ることができる。


カメラは守一の目となり、
庭を徘徊、いや彷徨する。
ありふれた風景や情景も、
よく観察されることで、新鮮な驚きをもたらす。
守一の絵はこうした観察から生まれるのだということが解らされる。


また、カメラは、その観察する守一その人を追い、観察する。
“家”や“庭”を俯瞰したりもする。
すると、映画を見る者も、
その“家”と“庭”を盗み見しているような錯覚をおぼえる。
それが実に心地好い。



主人公の守一を演じた山﨑努。


先ほど、私にとっての「苦手な俳優」と書いたが、
名優と認めながらも、
どの作品で、どんな役を演じても、「山﨑努にしか見えない」という強い存在感が苦手だった。
そのいつもの山﨑努かと思いきや、
この『モリのいる場所』という映画では、
その強すぎる存在感を見事に消し去っていた。


年齢を重ね、枯れてきた結果なのか、
あるいは、演技の到達点なのかは判らないが、
その強い存在感を消すことで、
とても自然な形で守一という人物に成りきっていた。



守一の妻・秀子を演じた樹木希林。


『万引き家族』(2018年)をはじめ、
傑作と言われる作品にはほとんど出演している印象があり、
作品を選ぶ目の確かさは、映画界随一だ。
樹木希林が出演しているだけで、
その映画は傑作になる……とさえ言えるような気がする。
本作『モリのいる場所』への出演は、
脚本を読む前に即決したという。

もう飛びつきました。あの熊谷守一さんを演じられる山﨑努さんのそばにいられるんですから……だからすぐにハイって。山﨑さんとはこれまで、ご一緒するチャンスが全くなかったんです。この映画で出会わせてもらえ、至福でした。

熊谷守一の絵には20代の終わり頃から親しんでおり、
その絵と、守一の生き方に味わい深いものを感じていたとのこと。
お金にも名誉にも無頓着な守一を、自然体で演じた山﨑努と同じく、
妻・秀子を演じた樹木希林もまた、守一に寄り添うような自然な演技で魅せる。



モリの姪で、熊谷家の家事を手伝う美恵ちゃんを演じた池谷のぶえ。


どこにでもいそうなおばちゃんを演じさせたらこの人の右に出る人はいないくらいの存在感のある女優。
いろんなTVドラマや映画で見かけるが、
本作での存在感はピカイチであった。
本作『モリのいる場所』は、基本、
山﨑努と樹木希林と池谷のぶえで成り立っている物語で、
池谷のぶえが潤滑油のような役割を担っており、
お手伝いさんのような役柄ながら、
とても重要な役だと思った。


調べてみると、池谷のぶえは、1971年5月22日生まれの47歳(2018年7月現在)。
映画の中で、池谷のぶえが沢田研二の「危険なふたり」を口ずさむシーンがあり、
樹木希林が70年代の人気テレビ番組『寺内貫太郎一家』で沢田研二(ジュリー)のポスターを眺め、「ジュリ~!」と身もだえするシーンを思い出させるのだが、(監督のユーモア)
池谷のぶえは「危険なふたり」を聴いたこともなく、
一所懸命、現場で歌詞とメロディーを覚えていたのだそうだ。
「危険なふたり」は何年のヒット曲か調べてみると、1973年だった。
このとき、1971年生まれの池谷のぶえは、まだ2歳。
知らないワケだ。
いやはや、
「危険なふたり」を口ずさめる人も少なくなってきているという現実に愕然とする。
昭和は遠くなりにけり。



出勤前なので、この辺りで終わろうと思うが、
映画を見終えてしばらく経つが、
映画の印象が、日々濃くなっていくような感じがする。
これは、良い作品の証拠であると思う。


狭い空間にいても、
じっと観察することで、素晴らしい作品が生み出される。
私自身はとてもその境地に達することはできないが、
ここ数年、近くの山だけに登るようになった私にとっては、
共感する部分の多い映画であった。


【蛇足】
エンドロールを見ていたら、
「林与一」の名があったので、
〈えっ、出てた?〉
と思ったのだが、
帰って調べてみると、
あの昭和天皇の役が、林与一であった。


林与一と言えば、私が子供の頃は、
美空ひばりとの黄金コンビとして知られていた。


吉永小百合と浜田光夫、
山口百恵と三浦友和のような……(若い人はこれも知らないか~)
ヤサ男のような印象が強かったので、
昭和天皇の役と知って、とても驚いた。


いろんな意味で、驚きの多い映画であった。
皆さんも、機会がありましたら、ぜひぜひ。

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