一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『銀河鉄道の父』(門井慶喜)…父でありすぎた(宮沢賢治の)父を描いた感動作…

2018年03月06日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


第158回(2017年下半期)の直木賞と芥川賞が、
今年(2018年)の1月16日に発表された。
直木賞の受賞作は、『銀河鉄道の父』(門井慶喜)であった。


〈読んでみたい!〉
と思い、私が住む町の図書館に予約すると、
1ヶ月ほど待って、すぐに借りることができた。
(これが都会の図書館だったら、かなり待たされたことであろう)
受け取った本を見ると、案外厚く、
408頁もあって、読み応えがありそうだった。

巻末の著者紹介を見ると、次のように記されていた。

【門井慶喜】(カドイ・ヨシノブ)
1971年群馬県生まれ。
同志社大学文学部卒業。
2003年、オール讀物推理小説新人賞を「キッドナッパーズ」で受賞しデビュー。
2015年に『東京帝大叡古教授』が第153回直木賞候補、
2016年に『家康、江戸を建てる』が第155回直木賞候補となる。
2016年に『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、
同年、咲くやこの花賞(文芸その他部門)を受賞。
他の著書に『パラドックス実践 雄弁学園の教師たち』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』、共著『決戦! 新選組』などがある。



目次には、次のような項目が並ぶ。

1 父でありすぎる
2 石っこ賢さん
3 チッケさん
4 店番
5 文章論
6 人造宝石
7 あめゆじゅ
8 春と修羅
9 オキシフル
10 銀河鉄道の父


さっそく読み始める。
400頁以上もあったので、
〈読み終えるには、さぞ時間がかかるだろう〉
と思ったが、
改行が多く、
解り易い文章だったということもあって、
すらすらと読めて、一日で読み終えてしまった。
こういうときは、えてして、あまり満足感が得られないものであるが、
読後の充実感は十分にあり、
さすが直木賞受賞作と思ったことであった。

『銀河鉄道の父』は、
そのタイトルを見ればすぐに解ると思うが、
宮沢賢治の父を描いた作品である。


ただし、内容は、
単に賢治の父を描いているのではなく、
宮沢賢治を“父の視点”から描くことによって、
父・政次郎がどういう人物であったのかが分るような仕組みになっている。
明治29年(1896年)の岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、
昭和8年(1933年)に亡くなるまで、
主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作していている。
賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、
長男である彼は本来なら家を継ぐ立場であったが、
学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。


地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、
この賢治とどのように接していたのかを本書は描いている。
37歳で病没することになる賢治の短くも紆余曲折に満ちた生涯は、
父・政次郎の視点から描かれると、
これまで読んだ宮沢賢治に関する本とは違った面白さがあり、
私にとっても格別な読書体験になった。

宮沢賢治の父・政次郎は、
明治7年(1874年)2月に、岩手県花巻村に生まれている。
「あととりが生まれた」
と父の喜助は喜んだという。
12歳のときに小学校を卒業し、成績はすべて「甲」であった。
校長から、
「花巻一の秀才です」
と、折り紙をつけられるほどで、
政次郎自身も勉強が好きだったので、
「中学に進みたいです」
と、喜助にたのむが、
「質屋には、学問は必要ねぇ」
と、にべもなく一蹴される。
「わかりました」
と、政次郎は答え、
小学校卒業の翌日から、喜助について家業を学び、
二度と中学校の話はしなかったという。

宮沢賢治も父・政次郎と同じく、小学校の成績はすべて「甲」で、
校長が直々に家へ来て、
「進学させませんか?」
と勧める。
70歳になっていた(賢治にとっては)祖父の喜助は、
「質屋には、学問は必要ねぇ」
と、政次郎のときと同じ言葉を言うが、
賢治の父・政次郎は、進学を認める。
そして、異議を唱える喜助に向かって言う。
「時代が違います、お父さん。日本はもう一等国なんですじゃ」
政次郎は、賢治のみならず、
賢治の妹のトシや、弟の清六なども進学させている。
そのことによって、質屋は後に廃業することになるが、
清六が異なる業種で起業し、成功している。
明治の男というと、
喜助のような頑固一徹というようなイメージがあるが、
政次郎はそうではなかったのである。

賢治が7歳の頃に赤痢になったときは、
病院に泊まり込み、看病しているし、
中学卒業直後に疑似チフスになって手術したときにも、
ずっと付き添って看病している。
その後も、賢治や、賢治の妹のトシは度々病気になるのだが、
その度ごとに、政次郎は現地へ飛んで行き、看病するのだった。
このようなエピソードを読むと、
私は、向田邦子の父親を思い出す。
『眠る盃』に収められた「字のない葉書」というエッセイを読むと、
今でも涙が出るのだが、(皆さんもぜひぜひ)
暴君ではあったが、
「威厳と愛情に溢れた非の打ち所のない父親がそこにあった」
と、向田邦子が書いたような父親像を、
賢治の父・政次郎にも見ることができるのだ。

賢治の父・政次郎を一言で表現するならば、
本書の第1章のタイトルにもなっている
「父でありすぎる」
であろう。


夢を追い続ける賢治と度々対立するのだが、
明治の男でありながら、子供には慈愛も持って接し、
政次郎は「父でありすぎる」ことを止めなかった。

父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほかならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える。ひょっとしたら質屋などという商売よりもはるかに業ふかい、利己的でしかも利他的な仕事、それが父親なのかもしれなかった。(75~76頁)

本書では、このように、
「父親であるというのは……」という問いかけの文章が度々登場する。
父親でもある私は、その都度立ち止まり、考えさせられたし、
政次郎の行いに感動させられた。

『銀河鉄道の父』の著者・門井慶喜は、

僕が政次郎に興味を持ったのは、子どものために買った賢治の伝記漫画を読んだのがきっかけです。政次郎は少ししか出てきませんが。

と語っていたが、
その学習漫画の伝記では、父・政次郎は、どちらかというと悪役だったそうだ。
本書でも、賢治の進むべき道に立ちふさがる壁として描かれているが、
読んでいくうちに、賢治の方がワガママに思えてきて、
政次郎の方に肩入れしている自分に気付く。
そういう意味で、本書は、普遍的な「父親論」としても読め、
大変興味深かった。

「お父さん」
賢治はなおも原稿用紙の塔を見下ろしつつ、おのずから、つぶやきが口に出た。
「……おらは、お父さんになりたかったのす」
そのことが、いまは素直にみとめられた。
ふりかえれば、政次郎ほど大きな存在はなかった。自分の命の恩人であり、保護者であり、教師であり、金主であり、上司であり、抑圧者であり、好敵手であり、貢献者であり、それらすべてであることにおいて政次郎は手を抜くことをしなかった。
ほとんど絶対者である。いまこうして四百キロをへだてて暮らしていても、その存在感の鉛錐はずっしりと両肩をおさえつけて小ゆるぎもしない。尊敬とか、感謝とか、好きとか嫌いとか、忠とか孝とか、愛とか、怒りとか、そんな語ではとても言いあらわすことのできない巨大で複雑な感情の対象、それが宮沢政次郎という人なのだ。
しかも自分は、もう二十六歳。
おなじ年ごろの政次郎はすでに賢治とトシの二児の父だった。質屋兼古着屋を順調にいとなんだばかりか、例の、大沢温泉での夏期講習会もはじめている。文句のつけようのない大人ぶりである。自分は父のようになりたいが、今後もなれる見込みは、
(ない)
みじんもない。それが賢治の結論だった。自分は質屋の才がなく、世わたりの才がなく、強い性格がなく、健康な体がなく、おそらく長い寿命がない。ことに寿命については親戚じゅうの知るところだから嫁の来手がない。あってもきちんと暮らせない。
すなわち、子供を生むことができない。
自分は父になれないというのは情況的な比喩であると同時に、物理的に確定した事実だった。それでも父になりたいなら、自分には、もはやひとつしか方法がない。その方法こそが、
(子供のかわりに、童話を生む)
このことだった。原稿用紙をひろげ、万年筆をとり、脳内のイメージを追いかけているときだけは自分は父親なのである。ときに厳しい、ときに大甘な、政次郎のような父親なのである。物語のなかの風のそよぎも、干した無花果も、トルコからの旅人も、銀色の彗星も、タングステンの電球も、すきとおった地平線も、すべてが自分の子供なのだ。(268~269頁)



賢治もまた「父親になりたかった」としたところに、
著者・門井慶喜の手柄があった。

長い文章を引用したが、ここに、
父・政次郎への想い、
賢治が童話を生み出すことになった要因など、
本書の語るべきすべてが要約されている。

本書を読み終えたら、
あらためて、また、宮沢賢治の詩集を読みたくなった。

賢治の生前に刊行されたのは、
詩集『春と修羅』と、童話集『注文の多い料理店』のみ。
『春と修羅』はあまり売れず、
献本した著名人からも梨のつぶてであった。
そんな中、辻潤が読売新聞で絶賛の記事を載せた。

若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら、私は「ツアラトウストラ」を忘れても「春と修羅」を携へることを必ず忘れはしないだらう。

私も、今年の夏に、北アルプスか南アルプスへ行くことがあるならば、
宮沢賢治の詩集を持って行こうと思った。


そう思わせてくれた『銀河鉄道の父』に感謝したい。
皆さんも、ぜひぜひ。

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