一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『この空の花 -長岡花火物語』 ……大林宣彦ワールド全開の160分……

2012年09月09日 | 映画
大林宣彦監督の新作『この空の花 -長岡花火物語』は、
「長岡映画」と題された作品で、
2012年4月7日から新潟県内で先行公開され、
5月中旬より全国公開が始まった。
大林宣彦監督作品が好きで、
その主要作品のほとんどを見ている私としては、
『この空の花 -長岡花火物語』も早く見たいと思っていた。
全国主要都市を皮切りに順次公開されていたが、
佐賀での上映はなかなか決まらず、
福岡まで見に行かなければならないか……と思っていたところ、
ようやくシアターシエマでの上映が決まり(9月8日~9月21日)、
ホッ。
で、さっそく見に行ってきた。

登場人物が突然カメラ目線で語り出したり、
その語る内容が、ト書きやナレーションが担う解説のようなものであったり、
時空を行き来し、目まぐるしく人物が入れ替わったり、
「痛い! この雨が痛い!」
「まだ戦争に間に合う」
という面食らうような言葉が突然飛び出してきたり、
一輪車の少女が走り回ったり……と、
のっけから大林ワールド全開で、
大林宣彦監督作品を見慣れていない人にとっては、
本当に驚きの連続であると思う。
それが3時間近く(160分)も続く。(笑)


《ほとんどの登場人物は歴史の中の実在の人物たちであり、歴史的事実を革新的なセミドキュメンタリィ・タッチの劇映画として綴る》
《いま、ひとつの、とてつもなく壮大な物語世界(ワンダーランド)の花が夜空に咲く!》


とのキャッチコピー通りの世界が展開する。

天草の地方紙記者・遠藤玲子(松雪泰子)が長岡を訪れたことには幾つかの理由があった。


ひとつは中越地震の体験を経て、
2011年3月11日に起きた東日本大震災に於いて、
いち早く被災者を受け入れた長岡市を新聞記者として見詰めること。
そしてもうひとつは、
何年も音信が途絶えていたかつての恋人・片山健一(高嶋政宏)から、
ふいに届いた手紙に心惹かれたこと。


山古志から届いた片山の手紙には、
自分が教師を勤める高校で女子学生・元木花(猪股南)が書いた
『まだ戦争には間に合う』
という舞台を上演するので、玲子に観て欲しいと書いてあり、
更にはなによりも
「長岡の花火を見て欲しい、長岡の花火はお祭りじゃない、空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼の花火、復興への祈りの花火なんだ」
という結びの言葉が強く胸に染み、導かれるように訪れたのだ。
こうして2011年夏。
長岡を旅する玲子は行く先々で出逢う人々と、数々の不思議な体験を重ねてゆく。


そしてその不思議な体験のほとんどが、
実際に起きた長岡の歴史と織り合わさっているのだと理解したとき、
物語は過去、現在、未来へと時をまたぎ、
誰も体験したことのない世界へと紡がれてゆく。
(ストーリーはパンフレットより引用し構成)


大林監督がこの作品を創るきっかけは、
監督が、2009年8月に初めて長岡花火を見たことに端を発する。
花火を見て、涙する。
「映画のような花火」と感じる。
映画とは、目に映るものを超えて、画面には映らないものをすら感じさせもの。
姿や形のみならず、人の心までが見えて来る花火。
散って消えた後の暗闇に、花火の心さえ見えた……と監督は語る。
そして、長岡花火が、観光のためのイベントではなく、祈りの花火であることを知る。


昭和20年8月1日午後10時30分、
米軍の爆撃を受けた長岡の空は赤く染まり、
街は一夜にして灰塵と化し、
1470余名の命が奪われた。
その2年後、
地獄の底から立ち上がった市民は、
戦災復興と平和への祈りを込めて、長岡の空に花火を捧げる。
以降、毎年惜しみなく夜空を染め上げる華麗な一瞬の花々に、
喜び、悲しみ、感謝、鎮魂……さまざまな思いを託し続けてきた。
長岡花火は、毎年8月1日午後10時30分、
長岡空襲が始まった時刻に合わせて慰霊の花火を打ち上げる。
日本三大花火と言われているが、
長岡の花火は大曲や土浦のような「花火を競う」というものではなく、
長岡空襲や中越地震など自然災害といった慰霊・復興を表す為の花火大会なのである。


「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな」
とは貼絵『長岡の花火』の作者・山下清画伯の言葉。


〈長岡花火に象徴される長岡市のあり様は、ひとつの大いなるヒントとなり得るのではないか〉
と考えた大林監督は、
長岡市をひとつの現代のワンダーランドと捉え、映画制作を始める。

どうか皆さんも一人の旅人となって、思いがけないウサギたちと出逢い、語り合いながら、この映画の中をさ迷ってみて下さい。これも映画なるものの、ひとつの時代を生きる有り様であるだろうから……

2004年の新潟県中越地震から復興をとげ、
2011年の東日本大震災発生時には、
被災者をいち早く受け入れた新潟・長岡市を舞台に、
ひとりの女性新聞記者がさまざまな人と出会い、
不思議な体験を重ねていく物語。


この映画の制作が始動した2010年の段階では、
現在の作品とはかなり違ったものであったのではないか……
それが2011年3月11日の東日本大震災を経ることにより、
大幅に内容が変更されたものと想像する。
反戦争と共に、
反原発の要素も加わることになったからだ。


そこで、ひとつの問題が加わることになる。
なぜなら、大林宣彦監督は、
かつて九州電力のTVCMに出演し、
原子力発電を推進する役目を担っているように見えていたからだ。
それが、最近では、反原発の立場をとり、原発全停止との発言(←クリック)をしている。

「発達しすぎた文明はいつか人類を滅ぼすだろう」とは20世紀初頭の警句。現在の知力では2と答えるのが精一杯だろうが、ここは思い切って本能で「怖い!」と。今は知力より本能を信じよう。前進し続けるより立ち止まってみよう。

意地の悪い見方をすれば、回心したようにも転向したように見える。
一部の人々からは、その部分が批判の対象になっている。
そのことに対する説明が欲しいと……

このブログの前回の記事にも記しているが、
9月6日(木)に、
私にとっての三人目の孫が誕生した。
孫の数が増えるにしたがって、
孫たちが生きていく未来について、
考えずにはおられない。
東日本大震災以降、
原発問題をはじめとして、
様々な問題が頻発している。
それらの事項を考える上で、
まず基本にしなければならないのは、
我々の子供たち、
それから孫たちの世代が、
安心して幸せに暮らせる世の中にしていかなければならない……
ということだろう。
それは、我々の世代の責任でもある。
その基本さえ忘れなければ、
様々な問題の答えは自ずと導き出されるように思う。


そして、
大林監督の答えはすべて、
映画『この空の花 -長岡花火物語』の中にあるように感じた。
……多くの人に見てもらいたい一作である。

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