一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ゴーン・ガール』 ……ロザムンド・パイクの演技がスゴ過ぎる……

2014年12月14日 | 映画
安部公房の『砂の女』は、次のような書き出しで始まる。

八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄におわった。
むろん、人間の失踪は、それほど珍しいことではない。統計のうえでも、年間数百件からの失踪届が出されているという。しかも、発見される率は、意外に少ないのだ。殺人や事故であれば、はっきりとした証拠が残ってくれるし、誘拐のような場合でも、関係者には、一応その動機が明示されるものである。しかし、そのどちらにも属さないとなると、失踪は、ひどく手掛かりのつかみにくいものになってしまうのだ。


この『砂の女』は、
英語、チェコ語、フィンランド語、デンマーク語、ロシア語など、
20数か国語に翻訳された世界的名作であり、
安部公房の代表作でもあるのだが、
私が初めて読んだのは高校生のときで、
以来、これまで何度も読み返している。
それほど面白い作品なのだ。
前衛的な純文学作品でありながら、
ミステリー的な要素もあり、
読みだしたら止まらない。


『砂の女』が刊行されたのは昭和37年で、
昭和42年には、『燃えつきた地図』という小説も刊行された。
『砂の女』は、
失踪者を探す物語ではなく、
失踪した側の視点で書かれたサスペンスあふれる小説であったが、
『燃えつきた地図』の方は、
失踪した男の調査を依頼された興信所員が、
追跡を進めるうちに、
大都会という他人だけの砂漠の中で、
次第に自分を見失い、
追う者が、追われる者になっていく……
という小説であった。

昭和30年代から40年代にかけて、
純文学だけでなく、
大衆文学でも、“失踪者”を題材にした小説が多く現れた。
松本清張の『ゼロの焦点』(昭和34年刊)や、
夏樹静子の『蒸発―ある愛の終わり』(昭和47年刊)などが有名だが、
人が突然行方不明になって(失踪して)しまうことに、
「蒸発」という言葉を使うようになったのも、この頃である。

『砂の女』には、
「統計のうえでも、年間数百件からの失踪届が出されているという」
と書かれてあったが、
現代はどうなのか?

2014年7月20日の日刊ゲンダイに次のような記事が載った。

子どもの誘拐、失踪事件が相次いでいるが、子どもに限った話ではない。
たった1億2000万人の島国で毎年8万人が姿を消している。
警察庁の統計によれば、
2013年度中に「行方不明者届」が受理された不明者は8万3948人に上るのだ。
11年度は8万655人、12年度は8万1111人と、
ここ数年、年間8万人台で高止まりしているから、シャレにならない。
(中略)
統計の約8万人はあくまで届けが出ている人の数。
「消えたのか、消えてないのかすら分からなくなった人」は、
その2~3倍いるとも言われている。


ビックリするような数字である。
これは、たぶん、日本だけの問題ではない……のではないだろうか?
ミステリー小説や、邦画・洋画に限らず、
物語の発端に、「失踪」を扱っているものが多い。

本日紹介する映画『ゴーン・ガール』も、実はそうなのだ。

結婚5周年の記念日。
美しい妻エイミー(ロザムンド・パイク)が突如自宅から姿を消した。



リビングには争った跡があり、
キッチンからは大量の血痕が拭き取られた跡が発見される。
検査の結果、血痕はエイミーのものと断定された。
警察はアリバイが不自然な夫・ニックに疑いをかけ、捜査を進めるが、



メディアが事件を取り上げたことで、
ニックは全米から疑いの目を向けられることとなる。


ニックは一切の関与を否定。
記者会見を開き、行方不明の妻に関する情報提供を呼びかけるが……



これ以上書くと、ネタバレになってしまうので、
ストーリーはこの辺で止めておこう。

監督は、デヴィッド・フィンチャー。
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)、
『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)、
『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)
などで有名な、
私の大好きな監督だ。(タイトルをクリックするとレビューが読めます)


期待に違わぬ面白さで、
上映時間149分も、あっと言う間だった。

何を言ってもネタバレになりそうで恐いが、
言わないとレビューにならなので、
映画を見るつもりの方は、
以下の文章は、鑑賞後にお読み下さい。

(言いましたからね


普通、失踪モノの小説や映画は、
失踪者自身はあまり登場しない。
誘拐されて監禁されているかもしれないし、
最悪、殺されているかもしれないからだ。
だが、この映画では、
行方不明者である妻のエイミーの出演シーンは多い。(笑)
なにしろ、エイミー役のロザムンド・パイクは、
アカデミー賞の主演女優賞の有力候補なのだから。(笑)
「ロザムンド・パイクがアカデミー賞の主演女優賞の候補」
というだけで、勘の鋭い映画ファンは、
ある程度、どんなストーリーかが判ってしまうのではないだろうか……
(私はある程度予想がついた)

この映画は、
妻・エイミーを探す夫・ニックの視点、


妻・エイミーの視点、


捜査する警察の視点、


の3視点で進む。
回想シーンでのエイミーの出番も多いので、
行方不明者でありながら、
エイミー役のロザムンド・パイクの出演シーンも、
当然ながら多いというワケだ。


ロザムンド・パイクと聞いて、
すぐに出演作などを思い浮かべる人は、
そう多くないのではないだろうか?

【ロザムンド・パイク】
1979年1月27日、ロンドン生まれ。
35歳。(2014年12月14日現在)
オックスフォード大学を優秀な成績で卒業している。
両親の仕事の都合で7歳までヨーロッパ各地で育ったため、
フランス語とドイツ語が堪能。
ピアノとチェロもたしなむ。
大学在学中に、アーサー・ミラーやシェイクスピアなどの舞台やテレビで活動。
2003年、ウエスト・エンドでの舞台『Hitchcock Blonde』、
2009年、ロンドンで上演された三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』などで主演。
映画にも、
2002年に、『007 ダイ・アナザー・デイ』で、
ハル・ベリーと共に、ボンドガールに選ばれ、その後、
『プライドと偏見』(2005年)、
『タイタンの逆襲』(2012年)などにも出演しているが、
日本では公開されていないインディーズ映画の出演も多く、
本国のみでの舞台出演も多いことから、
日本ではそれほど知られている女優とはいえない。

本作『ゴーン・ガール』では、
ニックと出逢うときのセレブなお嬢様、




ニックと結婚した後の、幸せそうな奥様、


その後の、ホームレスのようなみすぼらしい身なりの女から、
髪をふり乱した狂気を帯びた女まで、
いろいろな女を演じ分ける。


まさに、アカデミー賞の主演女優賞候補に挙げられるのも頷けるほどの、
快演(怪演?)なのだ。
本作の第一の見所は、
このロザムンド・パイクの演技だと言って間違いないだろう。


ロザムンド・パイクの素晴らしい演技の前に、
監督作『アルゴ』でアカデミー賞作品賞を受賞したベン・アフレックも、
やや影が薄くなってしまったが、
少し情けないダメ夫を好演していた。(付け足しみたいだが)


ネタバレついでに、
最後に、この特報(動画)を見て頂きたい。


この特報に流れる“she”という曲は、
ある箇所を省略したショートバージョンなのだが、
その省略した部分に、重要なヒントが隠されている……
と、ある映画評論家が言っていた。
この特報は、フィンチャー監督が自ら手掛けており、
「監督の大胆かつ遊び心たっぷりの仕掛けに、きっと驚くだろう」
と……

この“she”という曲は、
フランスのシンガーソングライターであるシャルル・アズナヴールが、
1974年に発表した楽曲“Tous les visages de l’amour”「忘れじの面影」。


1974年に放送されたイギリスの連続ドラマ『女の七つの顔』の主題歌となり、
4週連続で全英シングルチャート1位を獲得し、
英語の“she”というタイトルの方が有名になった。
そして、1999年、
エルヴィス・コステロが表題曲としてシングルを発売。
映画『ノッティングヒルの恋人』の主題歌としてリバイバル・ヒットした。
リチャード・カーティス監督作品、
『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』のレビューのときにも紹介したが、
『ノッティングヒルの恋人』は、リチャード・カーティス監督が脚本を手掛けており、
私も大好きな作品なので、
“she”が流れるラストの部分の映像を……


『ノッティングヒルの恋人』では、
幸せいっぱいのラストで流れるので、
そんなミステリーのヒントになるような歌詞があったのか……と思うが、
一応、歌詞を書き出してみる。

She may be the face I can't forget
The trace of pleasure or regret
Maybe my treasure or the price I have to pay

She may be the song that summer sings
Maybe the chill that autumn brings
Maybe a hundred different things
Within the measure of a day


She may be the beauty or the beast
Maybe the famine or the feast
May turn each day into a Heaven or a Hell

She may be the mirror of my dreams
A smile reflected in a stream
She may not be what she may seem
Inside her shell

She who always seems so happy in a crowd
Whose eyes can be so private and so proud
No one's allowed to see them when they cry

She may be the love that cannot hope to last
May come to me from shadows of the past
That I'll remember till the day I die


She may be the reason I survive
The why and wherefore I'm alive
The one I'll care for through the rough and rainy years

Me I'll take her laughter and her tears
And make them all my souvenirs
For where she goes I've got to be
The meaning of my life is
She, she, she


青い部分が、特報に使われている歌詞で、
赤い部分が、フィンチャー監督が省略した歌詞。

彼女……忘れることはできないその面影は
きらめく残像…… それとも 悔恨……
僕の宝物…… それとも つぐない……

彼女……夏が奏でる爽やかなさざめきのよう
秋がもたらす冷たい風のよう
まるで1日のうちに 
いくつもの違った顔を見せる……


彼女……美しき人 それとも けだもの
はかなき幻影 それとも 至福の宴
これからの日々は天国 それとも地獄

彼女……まるで 僕の夢を映しだす鏡のよう……
水面に映しだされる清らかな笑顔のよう……
でも彼女の心の奥の想いは誰にも見えない……

彼女……いつも多くの人に囲まれ幸せそう
自信と誇りに満ちたその瞳…… けれど
涙を流す姿は 誰にも見せることはない

彼女……永遠を望めない儚い愛かもしれない
でもいつか暗い過去から抜け出して
僕のもとへきてほしい……
僕は死が訪れるまで君をずっと覚えているから


彼女……それは僕が生き続ける理由かもしれない
僕が生きるためのすべて この想いを胸に抱いて
どんな時も彼女のためだけに人生を歩みたい

僕は……彼女の笑顔も涙を見つめ
そのすべてを僕だけの思い出にして
彼女がどこへ向かおうと いつも僕がそばにいる
そう彼女こそ 僕の生きる望み……
彼女……彼女……彼女


省略した歌詞の方に、
映画を見終えた者にはドキッとする言葉が含まれていて、
さすがフィンチャー監督と唸ってしまう。

映画『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』のレビューのときにも、
ネタバレした後に、

「ネタバレします」と言ったのに、
「どうせ映画なんか見ないわ」とここまで読んだあなた……(笑)
ここまでネタバレしても、
『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』を見る価値は、
いささかも減じないと付け加えておきましょう。


と書いた。
今回も、次のように書いておこう。

「ネタバレします」と言ったのに、
「どうせ映画なんか見ないわ」とここまで読んだあなた……(笑)
ここまでネタバレしても、
『ゴーン・ガール』を見る価値は、
いささかも減じないと付け加えておきましょう。


とても面白い映画なので、
(ある映画評論家はブラックコメディと言っていた)
映画館で、ぜひぜひ。

ところで……
あなたの配偶者は、大丈夫?

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