一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『あの頃、君を追いかけた』 ……大抵の男はポニーテールが好きなのだ……

2016年09月27日 | 映画


2013年5月に、
福岡のTジョイ博多で、韓国映画『建築学概論』を見た。
とても心を動かされ、鑑賞後にすぐ、
……スジとハン・ガインが魅力的な、切ない初恋の物語……
と題して、このブログ「一日の王」にレビューを書いた。
このレビューは思いのほか好評で、
今も多くの人に読まれている。

翌年(2014年)、
同じような題材の台湾映画『あの頃、君を追いかけた』を見た。
だが、私が期待したレベルの作品ではなかった(B級映画としか思えなかった)ので、
このブログにはレビューを書かなかった。

レビューは書かなかったけれど、
その後、この映画『あの頃、君を追いかけた』は、
不思議と、何かの折に、度々思い出される作品になっていった。
初恋を扱った映画を見た時には必ず思い出すし、
今年見た台湾映画『若葉のころ』を見た時にも、もちろん思い出した。
あまり評価していない映画なのに、
いつの頃からか、私にとって、ちょっと気になる作品になっていた。
考えてみるに、
それは、この映画に、
私の好きなシーンがひとつだけあり、
〈そのことによって、忘れがたい作品になっているのではないか……〉
そう思うようになった。
で、その忘れがたいシーンについて、
〈ちょっと書いておこうか……〉
という気になった。

映画『あの頃、君を追いかけた』は、
台湾では2011年8月19日に公開された映画である。
日本では2年後の2013年9月14日に公開され、
佐賀では、それよりさらに遅れて、
シアターシエマにて2014年1月11日に公開された。
“初恋評論家”(笑)の私としては、
「青春は恥と後悔と初恋で作られる」
というキャッチコピーの映画『あの頃、君を追いかけた』は、
見逃すことのできない作品だった。
期待に胸をふくらませてシアターシエマへ出掛けたのだった。

1994年、コートン(クー・チェンドン)は、
台湾の地方都市の彰化で中高一貫の高校に通っていた。
彼は同じクラスの親友ボーチ(イエン・ションユー)、
アハ(スティーブン・ハオ)、
グオション(ジュアン・ハオチュエン)、
マタカキ(ツァイ・チャンシエン)らとつるんでふざけてばかり。
くだらないイタズラで授業を妨害しては担任を困らせていた。


そこで担任教師は、優等生の女子生徒シェン・チアイー(ミシェル・チェン)を、
監視役としてコートンの後ろの席に座らせることに。


コートンは口うるさいチアイーをわずらわしく感じながらも、
次第に彼女にひかれていく……
そして、チアイーの方も……


そんな二人だが、
別々の大学に進学し、離ればなれになってしまう。


おまけに、ささいな行き違いが生じたりして、
二人の仲はなかなか進展しない。
それもこれも、煮え切らない彼が、
“大事な一言”をチアイーにはっきりと言えないから……だった。


勇気をふり絞るのには、あまりにも時間がかかり過ぎて、
10年という月日が過ぎてしまう。
チアイーからの電話によって再会する仲間たち。
はたして、コートンの、起死回生、一発逆転はあるのか?



台湾の人気作家ギデンズ・コーが、
自伝的小説を自らのメガホンで映画化し、
台湾で社会現象を巻き起こす大ヒットを遂げ、
香港ではチャウ・シンチーの『カンフー・ハッスル』の記録を塗り替えて、
中国語映画の歴代興収ナンバーワンを記録した青春ラブストーリー。
時代背景は、1994年から2005年までの約10年間。
高校生たちは、やがて大学生になり、
いつしか社会人となって、それぞれの道を歩み始める。
登場人物たちの成長と共に、
学生寮の公衆電話に並ぶ長い列は消えて、
誰もが携帯で話すようになり、
いくつかの大きな事件に世の中は揺れ、
ヒット曲も入れ替わってゆく。
そして、アッと驚く結末を、観客は“笑いと涙”で迎えることになる。
このラストシーンが話題となり、
本作『あの頃、君を追いかけた』は、一躍有名になった。
だが、私は、このラストシーンに、
(期待が大き過ぎたということもあって)ちょっとガッカリした。
B級テイストのありえない結末だったからだ。
このラストシーンが好きな人も多いことと思うが、
私はダメだった。
このラストさえうまく着地していれば、
私は『あの頃、君を追いかけた』のレビューを映画鑑賞後すぐに書いていたと思う。
結局、書かなかったのは、
やはり、私の思い描いていた結末ではなかったからだ。
にもかかわらず、
『あの頃、君を追いかけた』は、ずっと気になる作品であり続けた。
それは、あるシーンをことあるごとに思い出していたからだ。
そのシーンとは……

コートンとチアイーは、
テストで負けたほうが、坊主かポニーテールにするという賭けをする。


そして、結果は、当然のことながら、優等生のチアイーの勝ち。
コートンは約束通り坊主になって登校する。
テストに負けたことにより、
チアイーのポニーテールは見られないこととなり、
坊主頭を笑いに、さぞ得意満面でコートンの前に現れるかと思いきや、
さりげなく友人と一緒にコートンの目の前を通り過ぎるチアイー。
チアイーの髪型を見ると、なんとポニーテール。
チアイーは、テストに勝ったにもかかわらず、ポニーテールにしてくれていたのだ。
そのチアイーを呆然として見つめるコートン。
惚れてまうやろ~


このシーンが秀逸であった。
やはり、すべての男はポニーテールが好きなのだ。
いや、「すべて」と言ったら語弊が生じるかもしれない、
「大抵の男はポニーテールが好きなのだ」
と書いておこう。


そして、このポニーテール姿のミシェル・チェンのなんと可愛いことか。
1983年生まれなので、
台湾公開時で、すでに28歳。(ビックリ)
28歳でこの可愛さは驚異だ。(笑)


男は何故ポニーテールが好きなのかを調べていたら、
「ほ乳類学者に聞いた! 男性がポニーテールを好きな理由」
という記事を見つけた。
そこには、動物学から導ける理由が書いてあり、ちょっと面白かった。
要約すると、次のようなことになる。

人間の髪の毛根には汗を出す汗腺とともに匂いの発生源となる“臭腺”があり、
そこから沸き立つ匂いが髪を伝って知らず知らずのうちに周囲に分散されている。
実は動物界で髪の毛が伸び続ける動物は人間だけで、
人間は他の動物に比べ、視覚が発達したため嗅覚が鈍化している。
そこで、異性を引きつける匂いを発するために、
髪の毛が伸びるようになった。(と考えられている)
髪の毛が長い女性は、その分だけ匂いを発生させているということ。
そもそもポニーテールは髪が長くないとできない髪型なので、
髪を結う以前に、長髪ということが好まれている。(のかもしれない)
また、髪を結ったとき、細いうなじが現れるが、
女性のうなじというのは、男性からすると細くてか弱いもの。
動物には子育てをするために、自分より弱いものを本能的に守ろうとする性質があるので、
それも理由の一つとして考えられる。
それから、「男性は揺れるもの好き」という習性があり、
これは、動物で言うなら幼少期に見られる現象だという。
動物の赤ちゃんは葉っぱや昆虫にも反応し目で追う習性があり、
大人になった動物たちは単なる動くものには反応しなくなる。
そういう意味では、ポニーテールしかり、揺れるピアスしかり、
「動くから好き」だという男性というのは、
幼児期を抜けきっていない可能性もある。(とのこと)


その他、
「男性に褒められちゃう髪型ランキング」では、
ポニーテールが1位になっていたし、
「あなたは、女性のポニーテールが好き? 嫌い?」
というアンケートでは、
好き……78.3%
嫌い……21.7%
という結果が出ており、
8割近い男性がポニーテールを支持していることが判った。
やはり、大抵の男はポニーテールが好きなのだ。(笑)


結局、こうして、映画『あの頃、君を追いかけた』のレビューを書いているのは、
私自身もポニーテールが好きなのだろうし、
ポニーテールと、
チアイーを演じたミシェル・チェンの可愛さの所以なのだと思う。
映画『あの頃、君を追いかけた』はもはや映画館では上映していないが、
TV放送や、レンタルDVDなど、
機会がありましら、ぜひぜひ。
(予告編の2:00頃に注目)

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