2015年10月29日(木)
9:16
頂上避難小屋を出発する。
石室経由で下山する。
9:28
石室に到着。
この石室は、大正9年(1920年)に、
地元の人々の奉仕によって夏山登山道が整備された翌年に、
避難用として造られたそうだ。
10:02
六合目避難小屋を通過。
登山者が多くなってきた。
10:14
「行者谷分かれ」を通過。
この辺りから黄葉が多く見られるようになってきた。
ブナ林の中を下って行く。
九州のイヌブナと違って、
樹高がかなりある。
そして、樹皮が美しい。
ブナだけではなく、
ミズナラやイタヤカエデ等もあり、
樹下には、
クロモジ、ウリハダカエデ、オオカメノキ、エゾユズリハなどの低木も見られる。
だが、主役は、やはりブナ。
この一帯は、西日本最大級のブナ林なのだ。
九州ではなかなか見られない風景だ。
おじいさんと、お孫さんが、元気よく登って行く。
ブナの大きさが際立つ。
その後も、黄葉の中を下って行く。
だが、標高が1000mより低くなってくると、
次第に黄葉が見られなくなってくる。
そして、登山口が近くなると、緑一色となった。(笑)
11:26
夏山登山口に到着。
これにて、
海抜0メートルから登る「伯耆大山」、完了。
左陀川に架かる大山寺橋を渡る。
橋の上からは、このような風景が眺められる。
旅館街を歩いていると、このような紅葉も見られた。
大山情報館から30分ほど歩いて、豪円山に登る。
ここからの眺めが素晴らしいのだ。
日本アルプスというより、
本場のアルプスのような風景。
ズーム。
黄葉も、まずまず。
伯耆大山を存分に楽しませてもらった。
感謝。
10月30日(金)の早朝に佐賀に帰ってくると、
「2015佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が始まっていた。
生憎の曇り空であったが、
多くの熱気球が大空に浮かんでいた。
その風景を見て、
私の“小さな旅”が終わったことを実感したのだった。
9:16
頂上避難小屋を出発する。
石室経由で下山する。
9:28
石室に到着。
この石室は、大正9年(1920年)に、
地元の人々の奉仕によって夏山登山道が整備された翌年に、
避難用として造られたそうだ。
10:02
六合目避難小屋を通過。
登山者が多くなってきた。
10:14
「行者谷分かれ」を通過。
この辺りから黄葉が多く見られるようになってきた。
ブナ林の中を下って行く。
九州のイヌブナと違って、
樹高がかなりある。
そして、樹皮が美しい。
ブナだけではなく、
ミズナラやイタヤカエデ等もあり、
樹下には、
クロモジ、ウリハダカエデ、オオカメノキ、エゾユズリハなどの低木も見られる。
だが、主役は、やはりブナ。
この一帯は、西日本最大級のブナ林なのだ。
九州ではなかなか見られない風景だ。
おじいさんと、お孫さんが、元気よく登って行く。
ブナの大きさが際立つ。
その後も、黄葉の中を下って行く。
だが、標高が1000mより低くなってくると、
次第に黄葉が見られなくなってくる。
そして、登山口が近くなると、緑一色となった。(笑)
11:26
夏山登山口に到着。
これにて、
海抜0メートルから登る「伯耆大山」、完了。
左陀川に架かる大山寺橋を渡る。
橋の上からは、このような風景が眺められる。
旅館街を歩いていると、このような紅葉も見られた。
大山情報館から30分ほど歩いて、豪円山に登る。
ここからの眺めが素晴らしいのだ。
日本アルプスというより、
本場のアルプスのような風景。
ズーム。
黄葉も、まずまず。
伯耆大山を存分に楽しませてもらった。
感謝。
10月30日(金)の早朝に佐賀に帰ってくると、
「2015佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が始まっていた。
生憎の曇り空であったが、
多くの熱気球が大空に浮かんでいた。
その風景を見て、
私の“小さな旅”が終わったことを実感したのだった。