秋晴れの中、早朝に家を出て、今回は暫くぶりに那須町の芦野方面へ石碑調査に出かけた。しかし、那須町の教育委員会がこうした石碑類の拓本採りは、地元住民にまで許可が必要という通達が徹底していて、思うように手拓は出来ませんでした。確かに、質の悪い人達が那須方面では芭蕉句碑の拓本採りで問題を起こしているので仕方がないとは思うのだが、それならもう少し石碑管理にも関心を持ってもらいたいものである。何しろ、幾10年以上も前から掃除一つしていないので、それなら手写しようとしても碑面は酷く汚れていて銘文が読めないありさま。戊辰戦争関係碑等はもっと酷く、お目当ての石碑の前で思わずため息。しかしそうも嘆いていられないので、せっせと水洗いして銘文を手写しました。これで、黒羽藩の当時の様子が判る資料がまた一つ加わりました。
今回、上に掲載した写真は、これも拓本は禁止とのことでしたが、管理している方が「実は、私も拓本が欲しくて仕方がなかったので、私の分も採ってくれるなら目をつぶりましょう」ということになり、半切画仙紙で5枚分をエラク時間をかけて採りました。石材が地元の芦野石。この石は水には弱いが火には強いとらやで、水張りをしてみると石面にかけた水分は瞬く間に吸い込まれて水張りが出来ない状態。仕方なく、タオルで石面にタップリ水を吸い込ませるところからやらなければならず、これがまた大変。そのために半切画仙紙2枚をだめにする。そんなことを繰り返しながら、どうにか同じものを2組取り終えたときは午後も2時半を過ぎていた。そして採った拓本を並べてみると、剥離が酷くて7分の1は判読さえ出来ないありさま。これでは、今夜からまたその銘文解読にとてつもなく時間が取られそうである。それでも、拓本が本来なら採れない石碑だけに貴重な資料が出来上がった喜びは大きい。今日の予定では、この地区の愛宕山を訪ねる予定だったが諦め、ここで初めて昼食として長い休憩時間を取り、そのまま帰宅への道とした。それにしても那須は遠い。今日の成果は、これを含めて2基のみ。ちなみに、今回の碑は、嘉永元年の建立で、農業についての内容でした。通称「諭農の碑」と言われているものです。もちろん、一般の方には見ても何が記されているのか等はまったく判りません。同様に、今後は那須町教育委員会の許可証がなければ絶対に拓本はとれません。
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