2月17日も、南河内町(現・下野市)の石仏巡りに出かけました。相変わらず、南河内町のどこかに隠れているかも知れない、江戸前期までの庚申塔探索です。しかし、予想していたとおりに見つからず、返り討ちにあいました。考えてみれば、そうそう簡単に見つかるはずもないし、元々無いかも知れない庚申塔なのだから、いくら探しても無いものは”無い”のかもしれません。それでも、南河内町の教育委員会の碑塔目録にあった一つ、青面金剛像には思わず笑ってしまいました。何と、六臂馬頭観音しかも坐像像容を、六臂青面金剛像としていたのです。
本当は、今回の南河内町調査を以て、一度南河内町を離れようと思ったのですが、まだ探しきれない、もしかしたらあるかも知れない場所が数カ所残ってしまいましたので、もう一回だけ南河内町へ入ろうと思っています。それはタブン、来週24日になるでしょう。
今回の調査で得られたのは、そのほとんどが十九夜塔でした。また、過去に調査済みの場所へも行ったりして、総数57基の調査記録を得ながらも、その成果は余り良いものではありません。それでも2003年に確認していた面白い碑塔の幾つかを写真に撮ってきましたので、おいおいに掲載してみようと思っています。
本当は、今回の南河内町調査を以て、一度南河内町を離れようと思ったのですが、まだ探しきれない、もしかしたらあるかも知れない場所が数カ所残ってしまいましたので、もう一回だけ南河内町へ入ろうと思っています。それはタブン、来週24日になるでしょう。
今回の調査で得られたのは、そのほとんどが十九夜塔でした。また、過去に調査済みの場所へも行ったりして、総数57基の調査記録を得ながらも、その成果は余り良いものではありません。それでも2003年に確認していた面白い碑塔の幾つかを写真に撮ってきましたので、おいおいに掲載してみようと思っています。