快気分析

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GWの後半と上総広常関連の城めぐり そして勝見城址

2022-05-05 11:15:20 | 旅行
 ゴールデンウィークは後半となりましたが、既に記事にした上総広常関連の城は諸説あるようです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%B7%8F%E5%BA%83%E5%B8%B8

広常の館跡
上総広常の館跡の正確な位置は今もって不明であるが、1990年代に千葉県夷隅郡大原町(現いすみ市)や御宿町一帯で中世城館址の調査が行われ、検討が進められた[13]。

千葉県東金市松之郷の字「新山」と字「城坂」に跨る舌状台地に「新山城」址があり、広常館があったと伝わっている[14]。

布施の殿台
「房総志料」は、布施村(現いすみ市下布施・上布施、御宿町上布施)に館があったとの説を唱えている。村内に山を背にした「殿台」と呼ばれる平坦な土地があり、ここが広常の館跡であるという。また同書は、かつて村内の川をせき止めるものがあり、村民がこれを見たところ、巨大なカニが近づいてきたので、恐怖して逃げたとの伝承を広常の霊であると説明している。

「日本伝説叢書 上総の巻」でも、『吾妻鏡』の内容を考えるに、安房の国東條の旅館から広常の館に送られた使者が2日ほどでたどり着ける場所として、布施村以外にないとしている。ただし、村民の中には伝承を上総景清と混同している者もいるほか、村内に実際にはないはずの頼朝の経過地を示す伝承地があるなど、混乱が見られるという。

「千葉大系図」では、一宮柳沢城に広常の館があったとしている。一宮町では、これを町内の高藤山城のことだとしており、城内に一宮藩主・加納久徴が広常の功績をたたえて作った石碑がある。一方、「柳沢」を一宮に近い「大柳」の誤記ととらえ、睦沢町の大柳館のことだと考える向きもある。

引用終了

 と言う事で一宮町に隣接する睦沢町の大柳館とも考えれているし、更に御宿方面にも館が有ったとしたら浪花駅から御宿駅に至るエリア、特に岩船から御宿のエリアあたりにも拠点が有ったのでしょうか。
 いずれにしても一宮町の高藤山城や隣接する睦沢町の大柳館車なら一宮駅から自転車を借りて回れる範囲、また車でなら浪花駅から御宿駅に至るエリアも一日で回れる距離です。
 それから上総広常の弟、金田頼次は長生郷(今の千葉県長生村金田)の領主であり、勝見城址が残っています。
 現在は城こそ有りませんが城の防衛のために築かれた様々な遺構が残っており、更に城下が比較的よく見渡せてその景色がまた長閑なので個人的にはですが好きな城の一つです。


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