くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

いざ、米沢!→米沢御城下

2012年06月22日 | 参陣記
随分と、先の日記と間が空いてしまいましたが(^^ゞ

とても楽しかった(けど、しんどかった(^^ゞ)上杉まつりから一夜明けた朝。
早くに起きて宿大浴場でサッパリした後、レストランで朝食(バイキング)。
米沢の伝統工芸品・笹野一刀彫に使われる?!うこぎの芽を交ぜて作ったおにぎりなどを食べて腹を満たし、身仕度を整えてから宿を発ちました。

雨は止んでいましたが、どんよりと曇っていて、いつまた降り出してもおかしくない空模様。
その中を、まず最初に向かったのは、米沢城址に建つ上杉神社
昨日の戦勝と我が武勲をご報告し、心静かに今後のことを祈願。

御堀端の桜は既に散り、水面を桜色にしていました。。。

ただ、境内の枝垂れ桜はいまが盛りでした。


続いて、私が敬慕する元徳院殿様が家督を継がれた時に誓詞(当主の心構え)を納めた春日社(上杉神社左手奥)。

そして、元徳院殿様とその御改革を支えた竹俣美作当綱、莅戸九郎兵衛善政と師・細井平洲が祭神として鎮座します松岬神社に参詣。

境内の枝垂れ桜がまた、とてもきれいでした。。。


この後、久方ぶりに上杉家御廟所に向かいました。

林立した木々に囲まれている御廟所は、前日来の雨を含んでか、より一層沈静とした雰囲気に包まれていました。
また、比較的早い時間で人出が少なかったので、心置きなく穏やかに参拝することができました。
御廟所正面におわします不識院殿様(上杉謙信公)。

左列には不識院殿様から数えて偶数、2代覚上院殿様(中納言景勝公)から10代元徳院殿様(弾正大弼治憲公)と夭折した瓊林院殿(直丸顕孝公)、12代俊徳院殿様(弾正少弼斉定公)まで。

右列は同じく奇数、3代大上院殿様(弾正大弼定勝公)から11代享徳院殿(弾正大弼治広公)までが眠っています。

ここでふと目に止まったのは、奉献石塔。
これには、いつ、誰が奉献したかが記されていて、とても興味深いんです。
特に興味深かったのは、5代樹徳院殿様(民部大輔吉憲公)の廟前に献納された2基の石塔。

▲黒井半四郎忠寄が献納。

▲丸山平六蔚明が献納。
2人は治憲公、次君治広公の御世にその才覚を見出されて立身し、いずれも国政に大きく寄与しています。
(丸山平六は、最終的に禄高が10倍になっています。)
ちなみに、よく見ないと解りませんが、しっかりと氏(黒井半四郎も丸山平六も源氏)を付けています。

御廟所の参拝を終えた後、再び米沢城址へ。
この一画に在る上杉博物館に入りました。

ここでこの時「上杉鷹山の財政改革~国と民のしあわせ~」という、実に興味深い企画展が開催されていたので、見て行きました。

この後の予定も考慮して幾分駆け足で見て回ったのですが、もう、大満足です!
図録も買っちゃいました。

私が学生の時にあれば・・・と、ちょい悔しく思いました(笑)
ちなみに、毎年上杉まつりに合わせて展示されている「洛中洛外図屏風」もしっかり、特に室町御所の場面を確認してきました。
この他にも、常設はいろいろな遊び心や工夫がなされていて、いままで来なかったことと、この日満足に楽しめないことを後悔しました。。。

この後、向かいの【上杉城史苑】でお土産を買い、次の目的地へ向けて米沢を発ちました。

▼いざ、合戦の後の一杯!大峠越えて熱塩温泉へ、いざ!!▲



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