甲府盆地を桃色に染める桃の花が咲き誇る卯月4月の中頃。
その旺盛な笛吹で開かれる“桃の花まつり”で盛大に挙行される“川中島合戦絵巻”に、今年、久しぶりに参陣しました。
実に、3年ぶりです。
一昨年は、かの大震災後でそれどころではなく、まつり自体も中止。
昨年は、身内の祝い事で長野へ行っていて参陣できませんでしたが、ちょうど合戦が終わった頃に中央道の釈迦堂で一休みしていました。
この時、ちょうど見頃を迎えていた桃の花を見て、機会在ればまた石和の戦陣に・・・と思っていましたが、それが今年叶いました(笑)
参陣の基本はグループでの申込み。
今は浪々の身の私を、前回同様濃尾の方々にお声掛けいただき参陣しました。
所属は上杉方、鮎川摂津守清長隊です。
なお、このお方については、別に立てて記します。
さて、甲州石和といえば有名な温泉地。
毎回参陣に際しては前日入りして、温泉と石和までの観光と集った方々との宴会を楽しむのを基本としているんですが、今回は、思いがけずも前日出勤に、、、。
しかし、合戦当日に乗り込む気にはなれなかったので、車で出勤し(て、近くのコインパーキングに止めておいて)、終業とともにささっと支度して(石和へ)向かいました。
この日の天候は生憎の雨。
都県境の雨脚や中央道に入るまでの渋滞で難儀しましたが、出発から1時間半程で石和の宿に到着。
残念ながら、食事は皆さんとご一緒出来ず、部屋に持ち込んでいただきました。
それから暫くして、前入りした隊の皆さんが一部屋に集い、大将と副将決めに入りました。
濃尾衆の皆さんは、両将を籤引き(黒髭危機一髪)で行いますが、幸い、今回も私は当たらず!心より望んでいた足軽になりました(_ _)v
・・・いや、畳鎧の足軽は身軽で自由が利くのでいいんです!
引き続き、有名なパテシエの作ったロールケーキなどを食して軽く宴をし、三々五々、お開きとなりました。
時刻は22時30分過ぎ。
仕事にも行ったので、一っ風呂浴びて一日の疲れを流そうと浴場へ行ったら、祭友にばったり遭遇!
(一っ風呂浴びた後)その人達が集う部屋で2時間ほど滞在してあーでもないこーでもないと話して(^^ゞ
25時過ぎに、自分の部屋に戻って休みました。。。
まつり当日、起床は6時。
朝湯に浸かりたくてこの時間に起きたのですが、外は・・・前日来の雨が、止まずにしっかりと降り続いてましたorz、、、。
石和は雨天でも決行!
昨年の米沢、そして、数年前の石和でも雨の中で合戦が決行されましたが、これ、結構大変で(^^ゞ
参ったなぁ・・・と思いながら粛々と、予定通り朝湯に浸かり、身支度を整えて宿を出ました。
今回は上杉方からなので、陣所が置かれた石和南小学校へ。
あっ、ついでに。石和南小学校についてはコチラで(^^ゞ
さてさて、陣所には9時過ぎに入りましたが、身支度場の体育館内は、合戦を控えた武者達で賑やかでした。
ここで、久方ぶりにお会いする方達とご挨拶などして合戦の準備を整え、表で謙信公と記念撮影してから各隊毎に整列。
諸注意の説明を受けてから1時間程練兵しました。
謙信公の激励と上杉必勝の陣形を会得してから、昼食に入りました。
近年は、弁当まで冷遇されていた上杉方ですが、参加費が値上げされた分、今年は些か豪華に(笑)
しかし、武田方の弁当は包装紙から歓迎ムード。
待遇の差は、まだまだあるようです((爆))
40分の、ちょっと短い休憩をまったりと過ごした後、12時50分に呼集が掛かり、全隊縦列集結してから、いよいよ出陣の号令が!!
上杉方総勢で気勢の勝鬨を上げ、各隊、朝礼台におわします謙信公に辞儀を、我等は勝ち鬨を上げて、笛吹川原の“合戦場”へと向かいました。
以前は、途中で北小の陣を出た武田方と鉢合わせしていたのですが、後で聞いたところによると出陣が遅くなったということでそれはなく、順調に、笛吹川原に(武田方に先んじて)到着。
武田方も、上杉方に続いて参着。
いよいよ本番です!
何年か前、今川義元が板輿に乗って参陣していましたが、今年は、信長と権現様と直江山城殿が参陣していました。
それぞれお値段別料金とか。
・・・・・私は、足軽(畳鎧)がいいです(^^ゞ
両勢参着後、諸儀式と鉄砲の撃ち合いを経て、いよいよ、攻めの合図が!
まず手始めに、車掛りの陣で武田方の中央を割らせ、一息置いて、両総掛かり!!
ただこの時、総勢競って敵の総大将を狙って駆けて行くので、本陣、即ち我等が総大将の護りが手薄になってしまうので、陣所出立前、此度の謙信公より「我を護るべし!」とのお達しが上杉方全将兵にあったので、それに呼応して、1度目と2度目は謙信公の周りにいて遊撃。
謙信公直々のお願いが功を奏してか、将兵が十重二十重と、正に車掛りの陣を敷いて謙信公を守護。
寸分の隙もない鉄壁の護りだったので、3度目は、武田方に勇躍攻め込みました!
私は信玄公まで迫りませんでしたが、我等が謙信公の護りに較べて手薄だったようで、上杉方の猛攻の前に敢え無く・・・との話も。。。
私は、先の総掛かりで土を付けられたら我等が大将・鮎川摂津様の敵を討ち取ることに夢中だったので(笑)
その時は気が付きませんでしたが、よくよく思い返すと、確かに、武田方本陣に将兵は少なかったと・・・思います。
ちなみに、敵は確かに取って参りましたm(_ _)m
この他、幾人かを討ち取って、本陣に戻りました。
陣所出立から、約3時間。
車掛りと3度の総掛かりを終えて、隊伍を整え、両勢の健闘を讃えて陣所へ戻りました。
ここで武装を解き←この時の解放感が堪らないんです(爆)
宿に戻って(宿の方のご好意で)温泉に入れていただき、合戦の汗を流しました(*´▽`*)
ここで暫し休息してから、帰路に就きまた。
朝方雨が降っていて出足が鈍かったか、心配された中央道の渋滞もなかったので、高速に入る前、地の物を・・・と思い立ち、石和市街の「小作」でほうとうを平らげていきました。
石和を発ったのは19時30分頃。
渋滞にもハマることなく、交通法規を咎められることなく順調に、千葉まで2時間程で帰り着きました。
前日からの雨が夜が明けても強く降っていたので、雨に降られることを覚悟していましたが、予報通り、午前中、陣所に着いた頃には雨が止み、陣所のグランドも合戦場の河原にも泥濘などなく、合戦には何の支障も、返って、砂埃など上がらず快適でした。
久しぶりの石和、とても楽しかったです!
また来年、縁と機会があれば!!
ところで、今回の御大将である鮎川摂津守清長殿については、別して記しますm(_ _)m
その旺盛な笛吹で開かれる“桃の花まつり”で盛大に挙行される“川中島合戦絵巻”に、今年、久しぶりに参陣しました。
実に、3年ぶりです。
一昨年は、かの大震災後でそれどころではなく、まつり自体も中止。
昨年は、身内の祝い事で長野へ行っていて参陣できませんでしたが、ちょうど合戦が終わった頃に中央道の釈迦堂で一休みしていました。
この時、ちょうど見頃を迎えていた桃の花を見て、機会在ればまた石和の戦陣に・・・と思っていましたが、それが今年叶いました(笑)
参陣の基本はグループでの申込み。
今は浪々の身の私を、前回同様濃尾の方々にお声掛けいただき参陣しました。
所属は上杉方、鮎川摂津守清長隊です。
なお、このお方については、別に立てて記します。
さて、甲州石和といえば有名な温泉地。
毎回参陣に際しては前日入りして、温泉と石和までの観光と集った方々との宴会を楽しむのを基本としているんですが、今回は、思いがけずも前日出勤に、、、。
しかし、合戦当日に乗り込む気にはなれなかったので、車で出勤し(て、近くのコインパーキングに止めておいて)、終業とともにささっと支度して(石和へ)向かいました。
この日の天候は生憎の雨。
都県境の雨脚や中央道に入るまでの渋滞で難儀しましたが、出発から1時間半程で石和の宿に到着。
残念ながら、食事は皆さんとご一緒出来ず、部屋に持ち込んでいただきました。
それから暫くして、前入りした隊の皆さんが一部屋に集い、大将と副将決めに入りました。
濃尾衆の皆さんは、両将を籤引き(黒髭危機一髪)で行いますが、幸い、今回も私は当たらず!心より望んでいた足軽になりました(_ _)v
・・・いや、畳鎧の足軽は身軽で自由が利くのでいいんです!
引き続き、有名なパテシエの作ったロールケーキなどを食して軽く宴をし、三々五々、お開きとなりました。
時刻は22時30分過ぎ。
仕事にも行ったので、一っ風呂浴びて一日の疲れを流そうと浴場へ行ったら、祭友にばったり遭遇!
(一っ風呂浴びた後)その人達が集う部屋で2時間ほど滞在してあーでもないこーでもないと話して(^^ゞ
25時過ぎに、自分の部屋に戻って休みました。。。
まつり当日、起床は6時。
朝湯に浸かりたくてこの時間に起きたのですが、外は・・・前日来の雨が、止まずにしっかりと降り続いてましたorz、、、。
石和は雨天でも決行!
昨年の米沢、そして、数年前の石和でも雨の中で合戦が決行されましたが、これ、結構大変で(^^ゞ
参ったなぁ・・・と思いながら粛々と、予定通り朝湯に浸かり、身支度を整えて宿を出ました。
今回は上杉方からなので、陣所が置かれた石和南小学校へ。
あっ、ついでに。石和南小学校についてはコチラで(^^ゞ
さてさて、陣所には9時過ぎに入りましたが、身支度場の体育館内は、合戦を控えた武者達で賑やかでした。
ここで、久方ぶりにお会いする方達とご挨拶などして合戦の準備を整え、表で謙信公と記念撮影してから各隊毎に整列。
諸注意の説明を受けてから1時間程練兵しました。
謙信公の激励と上杉必勝の陣形を会得してから、昼食に入りました。
近年は、弁当まで冷遇されていた上杉方ですが、参加費が値上げされた分、今年は些か豪華に(笑)
しかし、武田方の弁当は包装紙から歓迎ムード。
待遇の差は、まだまだあるようです((爆))
40分の、ちょっと短い休憩をまったりと過ごした後、12時50分に呼集が掛かり、全隊縦列集結してから、いよいよ出陣の号令が!!
上杉方総勢で気勢の勝鬨を上げ、各隊、朝礼台におわします謙信公に辞儀を、我等は勝ち鬨を上げて、笛吹川原の“合戦場”へと向かいました。
以前は、途中で北小の陣を出た武田方と鉢合わせしていたのですが、後で聞いたところによると出陣が遅くなったということでそれはなく、順調に、笛吹川原に(武田方に先んじて)到着。
武田方も、上杉方に続いて参着。
いよいよ本番です!
何年か前、今川義元が板輿に乗って参陣していましたが、今年は、信長と権現様と直江山城殿が参陣していました。
それぞれお値段別料金とか。
・・・・・私は、足軽(畳鎧)がいいです(^^ゞ
両勢参着後、諸儀式と鉄砲の撃ち合いを経て、いよいよ、攻めの合図が!
まず手始めに、車掛りの陣で武田方の中央を割らせ、一息置いて、両総掛かり!!
ただこの時、総勢競って敵の総大将を狙って駆けて行くので、本陣、即ち我等が総大将の護りが手薄になってしまうので、陣所出立前、此度の謙信公より「我を護るべし!」とのお達しが上杉方全将兵にあったので、それに呼応して、1度目と2度目は謙信公の周りにいて遊撃。
謙信公直々のお願いが功を奏してか、将兵が十重二十重と、正に車掛りの陣を敷いて謙信公を守護。
寸分の隙もない鉄壁の護りだったので、3度目は、武田方に勇躍攻め込みました!
私は信玄公まで迫りませんでしたが、我等が謙信公の護りに較べて手薄だったようで、上杉方の猛攻の前に敢え無く・・・との話も。。。
私は、先の総掛かりで土を付けられたら我等が大将・鮎川摂津様の敵を討ち取ることに夢中だったので(笑)
その時は気が付きませんでしたが、よくよく思い返すと、確かに、武田方本陣に将兵は少なかったと・・・思います。
ちなみに、敵は確かに取って参りましたm(_ _)m
この他、幾人かを討ち取って、本陣に戻りました。
陣所出立から、約3時間。
車掛りと3度の総掛かりを終えて、隊伍を整え、両勢の健闘を讃えて陣所へ戻りました。
ここで武装を解き←この時の解放感が堪らないんです(爆)
宿に戻って(宿の方のご好意で)温泉に入れていただき、合戦の汗を流しました(*´▽`*)
ここで暫し休息してから、帰路に就きまた。
朝方雨が降っていて出足が鈍かったか、心配された中央道の渋滞もなかったので、高速に入る前、地の物を・・・と思い立ち、石和市街の「小作」でほうとうを平らげていきました。
石和を発ったのは19時30分頃。
渋滞にもハマることなく、交通法規を咎められることなく順調に、千葉まで2時間程で帰り着きました。
前日からの雨が夜が明けても強く降っていたので、雨に降られることを覚悟していましたが、予報通り、午前中、陣所に着いた頃には雨が止み、陣所のグランドも合戦場の河原にも泥濘などなく、合戦には何の支障も、返って、砂埃など上がらず快適でした。
久しぶりの石和、とても楽しかったです!
また来年、縁と機会があれば!!
ところで、今回の御大将である鮎川摂津守清長殿については、別して記しますm(_ _)m
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本文の手直しと鮎川摂津殿に関しては別に立てて再掲載しています。
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