2年ぶりに参陣した上杉まつりを終え、喜多方経由で会津に入り、まずは藩校日新館を見学。
会津武士を育てたここは、不思議と身が引き締まり、凛とした雰囲気がありました。
このあと、やはり中心街から少し外れたところにある【会津武家屋敷】に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b0/3d810bc3d7cdebb9622baf94745c9be4.jpg)
ここには、会津松平家で代々顕職を歴任した西郷頼母家(上士、1,700石)屋敷や、白河領米精米場、中畑陣屋(松平軍次郎領)などが復元・移築されています。
見学順路の最初は、西郷頼母家屋敷です。
屋敷表門前には、9代近悳の養子で“姿三四郎”のモデルとなった西郷四郎が豪快に技を決めています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/9a/c03f51e5435a01befb4bbd6ca4cac958.jpg)
そして、その前を通って屋敷表門を潜り、屋敷内へ入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/da/5f056f6b4cfbf21bd46aa6720b82c242.jpg)
保科姓と九曜の紋の許しを得ていた西郷家に相応しい、立派な門構えです。
その先に在る、格式を感じさせる式台(表玄関)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1d/4c92ef9a01221092de035de75d6e21fe.jpg)
ご丁寧にも、お出迎えがあります。けど、上がれません(苦笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/59/ecbd33c398172339971eedec00bef0fc.jpg)
会津公の御成が有ったのか、屋敷内には御成の間が設けられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/ca/4fcc60b187c9a8fc380fe27ca462ebbf.jpg)
そこから見える庭は、小ぢんまりとしてはいますが、季節の枝垂れ桜がよかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fd/071952532823f70cb807d1d68c64ae14.jpg)
会津のご城下は、残念無念で理不尽極まりない会津戦争で大きな被害を受けたので、西郷頼母家屋敷も日新館と同じく復元された建物ではありますが、それとはあまり感じない、往時よりここに建っていたかのような佇まいがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c0/10f55551865fade36fd3ee07679d2cc5.jpg)
ただ、惜しむらくは屋敷内に上がれないこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/90/2239f9a26147ca538f72db22993c98a2.jpg)
上がることの出来る機会はあるようですが...
保存・管理の面で難しいかとは思いますが、外から見るというのはちょっと物足りなさを感じました。
さて、9代近悳は西軍への恭順を説いていましたが、家族は西軍の会津若松侵入に際して自刃して果ててしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/46/b55d3a97c28561cbe0f39eb5dcea65df.jpg)
敵に辱めを・・・という論理からですが、中には幼い子供も含まれていたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/b8/2b7cc94c4b2832a5246a8d7be7494c48.jpg)
落涙せずにはいられません。。。
この時の様子は、この先の順路の途中にある資料館で解説しています。
武家屋敷内には、先に触れたように頼母屋敷以外にも建物が3棟あります。
資料館の先に在った蔵の様な建物は、隣国白河領に在った水車を利用した精米所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/cf/437d513b644cbbf2e680496fc93fca10.jpg)
結構な迫力があります!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/50/818487816aa97cb4b21f37abb6d899d5.jpg)
順路通りに屋敷裏門から出、屋敷の片長屋に沿って行くと茅葺の屋敷に辿り着きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/93/5514b4439eb0d01827590410242a6323.jpg)
表門の途中でもあるこの建物は、白川郡内に設けられた松井流松平軍次郎家領(公儀寄合、5000石)の代官屋敷。
今の西白河郡矢吹町からここに移築し、重文にしていされているとか。
ここも、勿論上がれません...。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c5/381356bf11faadc31b1f77b292ffb5f0.jpg)
その隣には、かつて鶴ヶ城内に建てられていたという茶室が在ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/78/8d636df35609198f2ae99835aa8eae63.jpg)
これは、蒲生氏郷が城主の時に千利休の子・少庵が造ったとか。
小ぢんまりとしていて、侘び、さびを感じ・・・ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/39/8850f5748421fed0a52c294c57c59a02.jpg)
けど、ここは上がるどころから間近に寄れなかったのが難点です。
ちなみに、ここでも弓道体験が出来ます。
会津、いいところですね!
武家屋敷には、米沢の【上杉城史苑】のような施設が併設されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1b/59471b0b7636784262e4dfa03776536b.jpg)
中心から離れたところではありますが、こういう施設があるのは有り難いですね。
この一画で、地の銘酒「会津中将」の試飲が出来たんですが・・・車を運転しなければならなかったので、極めて無念な涙を呑んで、ここを後にして、この近くに在る【松平家墓所】(院内廟所)に向かいました。
会津武士を育てたここは、不思議と身が引き締まり、凛とした雰囲気がありました。
このあと、やはり中心街から少し外れたところにある【会津武家屋敷】に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b0/3d810bc3d7cdebb9622baf94745c9be4.jpg)
ここには、会津松平家で代々顕職を歴任した西郷頼母家(上士、1,700石)屋敷や、白河領米精米場、中畑陣屋(松平軍次郎領)などが復元・移築されています。
見学順路の最初は、西郷頼母家屋敷です。
屋敷表門前には、9代近悳の養子で“姿三四郎”のモデルとなった西郷四郎が豪快に技を決めています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/9a/c03f51e5435a01befb4bbd6ca4cac958.jpg)
そして、その前を通って屋敷表門を潜り、屋敷内へ入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/da/5f056f6b4cfbf21bd46aa6720b82c242.jpg)
保科姓と九曜の紋の許しを得ていた西郷家に相応しい、立派な門構えです。
その先に在る、格式を感じさせる式台(表玄関)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1d/4c92ef9a01221092de035de75d6e21fe.jpg)
ご丁寧にも、お出迎えがあります。けど、上がれません(苦笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/59/ecbd33c398172339971eedec00bef0fc.jpg)
会津公の御成が有ったのか、屋敷内には御成の間が設けられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/ca/4fcc60b187c9a8fc380fe27ca462ebbf.jpg)
そこから見える庭は、小ぢんまりとしてはいますが、季節の枝垂れ桜がよかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fd/071952532823f70cb807d1d68c64ae14.jpg)
会津のご城下は、残念無念で理不尽極まりない会津戦争で大きな被害を受けたので、西郷頼母家屋敷も日新館と同じく復元された建物ではありますが、それとはあまり感じない、往時よりここに建っていたかのような佇まいがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c0/10f55551865fade36fd3ee07679d2cc5.jpg)
ただ、惜しむらくは屋敷内に上がれないこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/90/2239f9a26147ca538f72db22993c98a2.jpg)
上がることの出来る機会はあるようですが...
保存・管理の面で難しいかとは思いますが、外から見るというのはちょっと物足りなさを感じました。
さて、9代近悳は西軍への恭順を説いていましたが、家族は西軍の会津若松侵入に際して自刃して果ててしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/46/b55d3a97c28561cbe0f39eb5dcea65df.jpg)
敵に辱めを・・・という論理からですが、中には幼い子供も含まれていたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/b8/2b7cc94c4b2832a5246a8d7be7494c48.jpg)
落涙せずにはいられません。。。
この時の様子は、この先の順路の途中にある資料館で解説しています。
武家屋敷内には、先に触れたように頼母屋敷以外にも建物が3棟あります。
資料館の先に在った蔵の様な建物は、隣国白河領に在った水車を利用した精米所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/cf/437d513b644cbbf2e680496fc93fca10.jpg)
結構な迫力があります!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/50/818487816aa97cb4b21f37abb6d899d5.jpg)
順路通りに屋敷裏門から出、屋敷の片長屋に沿って行くと茅葺の屋敷に辿り着きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/93/5514b4439eb0d01827590410242a6323.jpg)
表門の途中でもあるこの建物は、白川郡内に設けられた松井流松平軍次郎家領(公儀寄合、5000石)の代官屋敷。
今の西白河郡矢吹町からここに移築し、重文にしていされているとか。
ここも、勿論上がれません...。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c5/381356bf11faadc31b1f77b292ffb5f0.jpg)
その隣には、かつて鶴ヶ城内に建てられていたという茶室が在ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/78/8d636df35609198f2ae99835aa8eae63.jpg)
これは、蒲生氏郷が城主の時に千利休の子・少庵が造ったとか。
小ぢんまりとしていて、侘び、さびを感じ・・・ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/39/8850f5748421fed0a52c294c57c59a02.jpg)
けど、ここは上がるどころから間近に寄れなかったのが難点です。
ちなみに、ここでも弓道体験が出来ます。
会津、いいところですね!
武家屋敷には、米沢の【上杉城史苑】のような施設が併設されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1b/59471b0b7636784262e4dfa03776536b.jpg)
中心から離れたところではありますが、こういう施設があるのは有り難いですね。
この一画で、地の銘酒「会津中将」の試飲が出来たんですが・・・車を運転しなければならなかったので、極めて無念な涙を呑んで、ここを後にして、この近くに在る【松平家墓所】(院内廟所)に向かいました。
▼ いざ、学舎日新館へ ▼◇▲ 会津と松平家の歴史を観に、いざ! ▲
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます